余燼
放送の翌日。
朝の街に流れた空気は、前日とはまるで違っていた。
満員電車の中、スマートフォンの画面には、
再アップロードされた“七瀬ソラの生放送”が何度も再生されていた。
誰かが録画し、拡散し、そしてそれを消される前に次の誰かが保存した。
政府の情報統制をかいくぐり、言葉だけが燃え広がっていた。
役所の前に、ぽつぽつと人が立ち始める。
70代の男性が職員に静かに尋ねる。
「私は、まだ“死にたくない”んですけど、それはダメですか?」
返答できない職員。
やがてその様子が撮影され、SNSに投稿される。
そこに書かれた短い言葉。
「国家は、私を生きさせてくれない。」
それは、“死にたくない”と願うただの一人の声。
だが、それが何万回もシェアされ、次第に**“運動”**へと変化していった。
旧多摩送信所。
破損した中継装置を前に、アカリは腕を組んで立っていた。
セイゴがゆっくりと口を開く。
「……俺が、ずらした。
怖かったんだ。もしあれで戦争になったらって……」
アカリは無言だった。
「でもな、ソラの声、聞いた瞬間に思った。
……やっぱ、俺が間違ってた。
怖いからって、黙ってていい理由にはならねぇんだなって」
彼はアカリに、外したケーブルの一部を差し出した。
「“もう一度、繋ぎ直してくれ”ってさ。遅いか?」
アカリは少しだけ笑った。
「遅い。でも……無駄じゃない」
政府は表向き、「誤送信による混乱」として放送を一蹴。
だが内部では緊急事態として、**記録局データの“物理封鎖”**に乗り出していた。
それは、“誰が制度の被通知者に指定されたか”という名簿をも封印するという意味だった。
だが──そのときすでに、
一部の記録が、別ルートで流出していた。
流出元:元・国家中央記録局所属、藤堂ミツル。
彼は、自身の逃走ルートを断ち切るとともに、
データをクラウド分散保管し、
一定期間後、自動公開されるよう設定していた。
カズキは、ソラの放送中、密かに**“国家記録の原本”**をダウンロードしていた。
内容は、定命制度に関する全立案記録、政治家との交渉履歴、
さらには「誰が利益を得たのか」までを明らかにする生々しい文書だった。
「これを公にしたら、もう後戻りはできないよ」
彼はユウに言った。
ユウは、傷痕の残る頬を指でなぞりながら、静かに頷いた。
「だからこそ──やる価値があるんだろ」
放送後、ソラの居場所は誰にもわからなかった。
政府は「錯乱後、自死の可能性」と発表したが、
遺体は確認されていない。監視記録も一切、消去されていた。
だが、放送から7日後。
全国の中学校・高校に、匿名の封筒が届く。
中には、わずか一枚の紙が入っていた。
『あなたは、
まだ、生きていていい。
それだけは、忘れないで。
七瀬ソラ』
それは、本物か偽物か──誰にも断定できなかった。
だが、多くの若者がその紙を教室の壁に貼り、
泣きながら見つめていた。
国家は制度の見直しを一部発表し、
定命通知の“自主同意制”への移行を検討すると報じた。
けれど、それは火消しのための見せかけかもしれない。
制度の根幹は、まだ変わってはいない。
だが、確実に世界は変わり始めていた。
人々が、「死に方」ではなく「生き方」について語るようになった。
そして、誰もが、七瀬ソラという名前を知っていた。
この物語はフィクションです。
実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。