第八話 白紡
──少女たちの手で、白く織り上げられる未来
ルミエルの空が、異様に白んでいた。
朝の気配ではない。夜が明けるには早すぎるその光は、東の峡谷から滲むように広がっていた。
石造りの回廊を、ヴァミの足音が鋭く切った。
紅のドレスの裾が風を裂き、肩に羽織った夜衣が翻る。
腰に帯剣はない。だが、彼女の背には“何か”が揺らいでいた。まだ誰にも見えぬ、ひとつの覚悟が。
「リヴォン、ノン。準備を」
「完了してる」
「もちろん」
リヴォンは緋銀のガウンに手袋を嵌め、胸元に魔導水晶を仕込んでいる。
ノンはブレスレットを確かめながら、今日だけはブーツを履いていた。
「……行こう。西の峡谷へ。
私たちの国を、私たちの手で守るために」
三姉妹は、初めて“自分たちの意志”で城を出た。
《サルヴァネス》から送り込まれた魔導兵たちは、すでに峡谷に展開していた。
複数の術陣が大地に刻まれ、岩肌には黒い紋章が浮き上がっている。
そこに一人立つ、ゼアク=レヴァレス。
黒衣の外套、首には古い白金の護符。
彼の周囲には、機械のように無言で動く魔導兵たち──感情も魂も捨て、ただ魔力に従う“人形”。
「……来る。あの光。あの空気。
三人、揃って……来る」
ヴァミは、剣を手にしていない。
だが、立ち止まったその姿勢には、“切っ先”が感じられた。
「名を名乗れ、敵将」
「ゼアク=レヴァレス。
……君は、“人間”だと自分を信じているのか?」
「……なに?」
「いや、失礼。
私が知りたいのは、“君たち”が何を守りたいのか──それだけだ」
その瞬間、大地が震えた。
魔導兵が地中から湧き上がり、陣形を取り、彼女たちを囲む。
リヴォンが水晶を掲げ、銀色の障壁を展開する。
空間がねじれ、音が一瞬で消える。
「全方位結界、展開完了。
ヴァミ、ノン──ここからは本気でやっていいわよ」
「うん!」
ノンが足元を滑るように駆け、ブレスレットを高く掲げると、風に乗って光の粒が舞い散った。
その光は兵たちの動きを一瞬鈍らせ、数秒の“心の揺らぎ”を生んだ。
「感じる……この人たち、どこか苦しそう……!」
「情けをかけるな、ノン!」
ヴァミの声が鋭く響き、模擬剣を抜いた。
ただの訓練用──だが、彼女が振るうそれは、炎のような気迫をまとっていた。
ひと振り。空気が裂け、兵の一人が倒れる。
「……なぜ、力を封じて戦う?」
ゼアクの問いかけに、ヴァミは答えなかった。
ただ、胸元のロケットに手を触れた。
──“あれ”を使う時ではない。まだ。
リヴォンが前へ出る。
「お前こそ、なぜ語る。敵のくせに」
ゼアクの声が静かに揺れる。
「……人間の顔をしたまま、剣を振るう姿が、美しいと思っただけさ」
その瞬間、ヴァミの中で何かが“脈打った”。
それは怒りではない。
哀しみでもない。
──憧れ、かもしれない。
「この戦は……お前が始めたのか?」
「違う。けれど、私は“終わり方”を見届けたいと思ってる。
君たちが、この国をどう紡ぐのか──それを」
ヴァミは、一歩踏み出した。
ノンとリヴォンも、左右に広がる。
そして、三人の中心に風が集まり、ひとつの“兆し”が生まれる。
それは──光でも闇でもない、
“人の意志”によって紡がれる、第三の力。
まだ名前もないその力が、静かに戦場の空気を変えはじめていた。
戦闘は続く。
ゼアクは剣を抜かずに、そのまま退く。
彼はまだ、“その時”ではないと知っていた。
だが、確信もまた生まれていた。
──彼女たちは、人間以上の人間になる。
王国を守る姫君ではない。
「王国を創る存在」になる。
そしてその時、ゼアク自身もまた──選ばなければならない。
剣か。
歌か。
破壊か。
祈りか。
戦いのあと、姉妹は静かに帰路についた。
誰も倒れず、誰も壊さなかったことを、
ただ心の中で安堵しながら。
ヴァミは空を見上げた。
白い月が、欠けながらも光を残していた。
──私はまだ、覚醒していない。
だけど、もうすぐだ。
この剣が震える夜が来る。
その時、私は……“私”を選ぶ。
次なる夜明けが、血と記憶をもたらすことを、まだ誰も知らなかった。