第七話 籠詠
──囚われの歌が、未来の扉を揺らす。
黒き山脈の陰に沈む、鉄灰の国。
その大地は、風が吹いても木々がささやかず、月が満ちても影が伸びない。
この国では、光さえも言葉を失う。
その国の中心、《王城レヴェルト》にて。
粗く削られた岩盤の壁と、鎖のように交差する梁に囲まれた大広間には、二つの影があった。
一人は、仮面をつけた若き国王──アズヴァル=クロイド。
年齢は二十に満たぬが、その眼光には千の屍を越えてきた者の鋭さが宿る。
「ゼアク。……帰ったか」
「ええ、陛下。全てを視て、全てを聞き、幾ばくかの血も流しました」
返した男は、かつてミラザリス宮を襲撃し、逃げ延びた魔導将──ゼアク=レヴァレス。
彼の声は低く、乾いていた。まるで地の底を這う風のような、理性と激情の狭間の声。
アズヴァルは玉座に腰かけたまま、手元の鉄製の杯を傾ける。
「その目で見て、どうだった? “猫の姫君たち”は」
「……人の形を持ち、人より深い魂を持っていました。
三位一体の調和──破壊、守護、調和。
ただの魔獣ではない。あれは“血に選ばれた器”です」
「ならば奪う価値があるな。私の“玉座”を完成させるために」
ゼアクは顔を上げた。
「ですが……彼女たちは、奪えば砕ける。砕けば、国を滅ぼすほどの力を持ちます。
あれは、籠の中で歌わせるべきです。“籠詠”。
自由を与えてはならぬ。囚えて、その存在だけを響かせるのが最も美しい」
アズヴァルの唇に笑みが浮かぶ。
「……詩人のような物言いだな、ゼアク。
だがその言葉、私には不似合いだ。
私は美を知らぬ王。欲するのは勝利だけだ」
「ならば、勝利は姫の“哀しみ”によって成されるでしょう」
「望むところだ。
準備を進めろ。魔導兵を三百、傀儡兵を五十。
東の峡谷より進軍。
一度、姫たちを誘い出せ」
「囮ですか?」
「いや、導火線だ。
感情は、もっとも高貴な武器。
彼女たちが心を揺らせば、魔力は自ずと溢れる。
……それが我らの望む、“鍵の開門”だ」
ゼアクは深く頭を垂れる。
「御意。……だが、陛下」
「何だ?」
「もし、私が……あの三姉妹の中に“人としての光”を見たならば。
私は、その火を消せません。
……その時は、剣ではなく、歌を選びます」
アズヴァルは杯を傾け、無言で応じた。
その金属の響きが、レヴェルト城の闇に、鈍く、凍りつくように鳴り響いた。
その夜、光の宮廷では、異変が始まっていた。
風がざわめき、夜の警鐘が三度鳴った。
《封書の塔》に届けられた一通の密書が、姉妹の寝室へ届けられる。
ヴァミは赤いガウンのまま扉を開け、巻紙を受け取った。
──『西峡谷にて、奇怪なる魔力の波動を感知。敵軍、動きあり。詳細不明』
リヴォンとノンも、寝衣のまま集まった。
「……始まった」
ヴァミの声に、リヴォンが頷く。
「母上は?」
「まだ応答はない。でも、私たちは動くべきだと思う。
……“何か”が、呼んでいる」
「誰?」
ノンが小さな声で尋ねた。
だがヴァミは答えなかった。ただ、胸元のロケットに手を添えた。
それは、亡き父の形見──聖剣を封じた印。
「この剣が……震えてる」
三姉妹の運命は、いま再び交差しようとしていた。
それぞれの力を手に、それぞれの心を抱いて。
──彼女たちの“人間としての旅”が、本当の意味で始まるのは、これからだった。




