72,別れの挨拶
ここは生徒立ち入り禁止の旧校舎。
でも、私のようにこっそり入り込むことは出来るし、エリックのように仕事で来る大人もいる。
「ど、どうしよう。こっちに来るかな!?」
「…多分、生徒だな。ここは入口から遠いが、念のため、もう帰ったほうがいいだろう」
私には、小さな物音がするくらいにしか聞こえない。
でも、エリックには入ってきた人の足音が聞こえているようだ。
「向こうの教室に大きな窓があるから、そこから外に出ろ」
エリックはお茶セットを手早くまとめると、近くの戸棚に隠した。
「うん…」
もしかして、誰かが来てもすぐに逃げられるように、気を配ってくれてたんだろうか。
今まで、ずっと?
そんなすごいことに、今になって気付くなんて!
「エリック。…色々、ありがとう」
「気にするな。大したことはしてないよ。それに、俺も楽しかった」
これが、最後。
魔王様が復活したら、私の出番はない。
ここでエリックに慰めてもらうことも、作戦会議をすることもない。
だから、ここに来ることはもうないのだ。
「大丈夫。ちゃんと、魔王は討伐出来るよ」
励ますように言ってくれたその言葉が、悲しい。
「うん。…そうだね」
だめ。泣かない。
折角、エリックに強いって褒めてもらえたのに、また泣きそうだ。
うつむく私の頭に、突然、エリックが手を置いた。そのまま、子どもをあやすように撫でる。
「そんなに嫌か? 魔王討伐」
「えっ?」
なんだか、衝撃的なことが多すぎて!
どれだけおかしな顔をしていたのか。
顔を上げた私を見て、エリックは笑った。
「ソフィアの推し? ってやつ は、魔王なんだろ?」
「ななななっ、なんで…わかった…の…?」
撫でる手は止めてるのに、なぜか頭の上に手を置いたままエリックは言った。
若干、手に隠れてエリックの顔が見えない!
「分かりやすかったからな。魔王に様付けだし、他の攻略対象者の話をするときと違ったから」
「うぅっ…」
まさかばれてたとはっ。
「国を滅ぼす悪役なのに、なんでだろうって思ってたんだ」
「あぅっ。それは…」
確かに、魔王様は悪役。だけど。
「最初は、一目惚れだったかな」
おぼろげな記憶だ。
何がきっかけだったのかは思い出せないくらいに、ずっとずっと前の記憶。
「すっごくかっこ良くて、素敵で。こんな人が恋人だったらいいなぁって、そんな感じ」
「…そ、そうか…」
またしても、エリックが引いてる?
でも、ずっとこらえていた魔王様トークだ。一端話し出したら止まらない。
「確かに悪役だけど。二周目で、魔王様の孤独や優しさに触れて、さらに好きになってね。だって、人間を憎んでいるはずなのに、それも猫の姿なのに、ティファニーちゃんをソフィアから身を挺して守ったり、部屋で一人泣くティファニーちゃんの肩にとびのって頭を擦り付けて、スリスリしたり、ほっぺたをなめてあげたり。あと、泣きながら眠りについたティファニーちゃんを、もとの姿に戻って…」
「あー。ソフィア。侵入者が近付いてきた。もう行ったほうがいい」
はっ。
そうだった。
「ご、ごめんなさい。つい」
頭の上のエリックの手が退けられる。
「いや。…うん。まぁ、二周目ではそうなんだろうけど。ここは多分一周目だ。魔王は悪意しかない。だから、気に病むな。ずっと封じられていた魔王を解放してやる、くらいの気持ちでいいと思うぞ」
「…うん」
「パトリシアの失敗を正せ」
そのとき、私にもはっきりと二人分の足音が聞こえた。
「ほら、早く」
「うん。…エリック、ありがとう!」
私は、チョコレートの箱をエリックに押し付けるように渡して、教えてもらった方へと向かった。
足音はすぐそばで聞こえているので、もう声は出せない。
私は、なるべく物音を立てないようにそっと、外に出た。
「…」
昨日の夜は眠れなかった。
どうやってチョコレートを渡そうか、とか、懐中時計を本当に貰っていいのか、と最終確認するべきかな、とか。色々、考えていた。
考えていたのと、全然違った、慌ただしいお別れだった。
でも、それで良かったのかも。
「エリック。…ごめんなさい」
私は、旧校舎を見上げて呟いた。




