7,イベント対策
しっとりじめじめ、六月。
ここは大好きなゲームの世界。
だから、何が起きるか、どう動けばいいかは分かっている。
でも、いくつか誤算があった。
ここは今の私の日常なのだ。
つまりは、ゲームで設定されたイベントがない日もある。というか、そんな日がほとんどだ。
だから、こんなときすごく困る。
「ティファニー・アンブローズが、まだ生徒会室に出入りしているようですわ」
ガラスの温室内でいつものようにお茶会をしていると取り巻きの一人、クレアが言った。
水色のショートカットの凛々しい顔立ちの彼女は、いつもこんな情報を持ってきてくれる。
「まぁ、ソフィア様がせっかく忠告して差し上げたのに」
「本当に庶民って、図々しいのね」
遠い目になりそうなのを堪える。
ティファニーちゃんは秋に控える行事の手配で忙しい生徒会員の手伝いをしているだけだ。
「どうしますか? ソフィア様」
…どうするもなぁ。
今日も隣の席のティファニーちゃんの鞄からは甘い良い香りがした。
悪役令嬢の妨害なんかに負けず、お菓子作りを頑張っているんだなと、心の中で応援した。
イベントではないとき、どう動けばいいのかがわからないのだ。
…あんまり大人しいと悪役令嬢の説得力が落ちるから、わがままや癇癪は定期的に起こしているけど…。
でも、イベントでもないのに、ティファニーちゃんに酷いことはしたくないし…。
私はゲームの記憶が戻る前のソフィアのことを思い出す。
「…まぁ、皆さん。心配してくださってありがとう」
紅茶のカップを置いて、私は微笑んだ。
悪役令嬢の強みは、類いまれなる美貌。手入れの行き届いた銀色の髪が光輝くように少し頭を傾け、アメシストのようだと称される深い紫色の瞳を伏せ目がちにして、大人びたこの顔で少し微笑んだだけでも効果絶大だ。
事実この動作だけで、取り巻きの子たちはほのかに顔を赤らめた。
「わたくしは、ビクター様を信じています。きっと、何か事情があるんですわ」
今日の悪役令嬢の気分は、かわいそうな被害者。
そのメッセージを受け取った彼女たちは、うるっと涙目になって口々に励ましの言葉をくれる。
それよりも中間試験が近いから、勉強しませんこと?
その言葉に持っていくのに、一時間かかった。
「やっと終わった…」
お茶会が解散して、私は一人、池のそばを歩く。特別感ありまくりの宝石のついた髪飾りを外し、どうしても目立つ銀髪は三つ編みにしてまとめる。
夕方の西日の射した今の時間なら、きっとそんなに目立たない。
そもそも、ソフィアはいつも数人の取り巻きたちとゆっくり道の真ん中をあるくのがデフォルトなので、一人うつむいて歩くだけでもばれない気が…。
「うん。ここだ」
広大な魔法学校には池がいくつかある。
そのうちの一つ、大きな木のそばにある池。
「…えーと」
スチルを思い出す。
曇天、大きな木、ピンク色のあじさいとスケッチブック。
そして、泣いているティファニーちゃんと困ったように笑う褐色の肌の男の子。
商人の息子ハーリィとの出会いの場面だ。
王子との仲を邪魔はしない。けど、ここでもティファニーちゃんを傷つけるのは、ソフィアなのだ。
「うわぁ。やっぱりすごい色…」
池を覗くと、緑色の藻がいたるところに浮かんでいる。
この池は学校内の奥にあって、来賓はもちろん生徒も来ないところだからか、あまり手入れはされてないようだ。
透明度ももちろん低くて、ちょっとドブ臭く足を入れたくない。
この池に、ソフィアはティファニーちゃんが大切にしているネックレスを投げ捨てる。
「ううぅっ」
考えただけで、胃がっ!
それをハーリィが取ってくれて 、それをきっかけに二人の仲は急接近するのだけれど…。
いくら無事に取り返してもらえると分かっていても、この池に人様の大事なネックレスをポイッとは…出来ない。
うん。無理だ。
絶対泣く。
でも、泣いたら悪役令嬢じゃないよね。
泣きながら捨てる悪役令嬢ってなに?
「ど、どうしよう…!?」
ゲームを思い出す。
正直、意地悪ソフィアの場面よりもハーリィとのやり取りが見たいからゲームをしてたわけで、あまりソフィアとの絡みは覚えてはない!!
どんな時でも泣かない練習をするには、時間が足りない。
池のそばのあじさいはもう少しで咲きそうで、スケッチブックを使う美術の授業は毎週金曜日。
それをふまえて考えると、商人の息子ハーリィとのイベントは三日後だ。
「こんな池に…」
…池に捨てるのは不可避。
池に捨てた振りをして地面に落としては、お話が変わってしまうのだ。
きっとそんな小さなことでも、積み重なれば、物語は変わってしまう。そのさきにあるのは、魔王復活に国家滅亡…。
「それはだめ」
ネックレスをすり替える?
いや、拾うのは商人の息子で目の肥えたハーリィ。
彼の目はごまかせないだろう。
うーん。
悩む目の隅に、とある人が見えた。




