5,山羊とワンコ先輩
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ティファニーは、ぼろぼろになった薔薇を呆然として見ていた。
踏み潰されてしまったのは一輪だけだったが、他の薔薇も落とされた衝撃で無惨にも花びらが散ってしまって、もう飾ることは出来ないだろう。
遠くで、吹奏楽部のホルンの音が聴こえていた。
「…片付けなくちゃ…」
本当はこのまま寮の部屋に戻って、毛布を頭からかぶって泣きたかった。
でも、この場を片付けなくては他の人の迷惑になる。それに、今日も生徒会の手伝いをすると約束してしまったのだ。
「頑張ったのにな…」
もらった薔薇は剪定したもの。だから、傷んでいたり、咲き終わりに近いものがほとんどだった。そのなかで、まだ綺麗なものをよりわけた。薔薇の棘を取り除くのにも時間がかかった。手にも何度も刺さって、痛かった。
それでも自分を救ってくれた人たちが喜ぶ姿を想像して、幸せな気持ちでいたのに…。
緩慢な動作で薔薇に手を伸ばしたとき、近くの茂みが動いた。
「シロ、待ってよ」
渡り廊下の外からやって来たのは、一匹の大きな山羊だった。
「!!」
シロと呼ばれた山羊は、ティファニーの前にやって来て散らばった薔薇の匂いを嗅ぐと、その中から花びらだけを口に加えた。
驚いて動けないティファニーをよそに、そのまま、ムシャムシャと花びらを食べ始める。
「シーロ。ちょっと待ってって。…わぁ」
シロを追いかけてきたらしいその人は、ゆっくりとシロの隣にしゃがみこんだ。緑色のネクタイをしているので、三年生のようだ。
「食べたら駄目だよ。ご飯ならちゃんとあげるから」
そう言うと、散らばったままの薔薇を拾い始めた。
それでやっとティファニーは我に返った。
「…すみません。私が片付けるので…!」
目元の涙を拭って、慌てて花を集める。
「ごめんね。シロが驚かせちゃった? それで、薔薇を落としたの?」
三年生に申し訳なさそうに言われ、ティファニーは首を振った。
「! 違います。…ちょっと、私の不注意で落としただけで…。この子のせいではありません」
「でも、少し食べちゃったね」
「いえ、もう捨てるだけだったので…。むしろ、食べてくれて良かったです」
ほんの少しでも役に立ったのならこの薔薇も、ティファニーも救われる。少しだけ、気持ちが前を向いた。
「えっ、捨てちゃうの?」
三年生は驚いたように眼を丸くした。
ボサボサの蜂蜜色の髪に黒いふちの眼鏡。
穏やかそうなその雰囲気は、ティファニーの生まれ育った村の大きな牧羊犬を思い出させた。
「はい」
「こんなに美味しそうなのに?」
「えっ?」
聞き間違いだろうか。
ティファニーは思わず聞き返した。
「あの、美味しそう、ですか?」
「うん」
そう言うと、三年生は一枚の花びらを口に入れた。
「ほら、ね。大丈夫。まだ十分に食べられるよ」
「!」
優しく微笑まれた。
年上の美麗な男の人が薔薇の花びらを口にくわえた姿はとても綺麗で絵になるけれど、それよりもティファニーは気になることがあった。
「あの、薔薇の花って食べられるんですか?」
「うん? この薔薇、砂糖漬けにするんじゃないの?」
シロのように花びらを飲み込んだあと、三年生は言った。
「いえ、飾ろうと思っていたんですけど…落としてしまって。…砂糖漬けってなんでしょうか?」
「砂糖漬けは、花びらに卵黄を塗って砂糖をまぶして乾燥させたお菓子だよ。…あれ、卵白だったかな…?」
「そんな素敵なお菓子があるんですね!」
途端に目の前が開けた思いだった。
これなら花を捨てなくて済むし、上手く出来れば差し入れにもなる。
「教えてくださって、ありがとうございます。早速、やってみます!」
ティファニーは廊下に落ちた薔薇を丁寧に拾い集めた。
その中で、いくつかをハンカチに包む。
「あの、これ。もし良かったら、シロちゃんにどうぞ」
「…くれるの?」
「はい。先輩とシロちゃんは私とこの薔薇の救世主なので。…これがお礼になれば良いんですが…」
気安い雰囲気に心が緩み、つい差し出してしまったが、ここはティファニー以外はみんな貴族。
地面に落としたものをお礼に差し出すなんてと、不快に思われたらどうしようと、突然不安になった。
「…クレイグ・ワグナーだよ。砂糖漬けの作り方の本が部室にあるはずだから、おいで」
オレンジ色の瞳の三年生はティファニーからハンカチを受け取ると、少し照れたように微笑んだ。
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クレイグ・ワグナー;理科部所属
山羊のシロは五歳のオス
[公式ファンブックより]




