44,秋薔薇の君13 モーリス・コリンズ
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「あーぁ。もう、寒いし眠いし…」
薄暗い中モーリスは一人、腕をさすりながら歩いていた。
「コート、着てくれば良かったなぁ」
本当は、双子の兄であるマックスも来るはずだったのだ。しかし、ベッドから出てこなかった。寒すぎる、まるで寝言のように言うと、そのまま布団をかぶってしまった。
一体誰が「朝露のおまじない」なんて流行らせたのか。
そのまじないのせいで、ここ数日間マックスは落ち着かない。
どうやら、ティファニーが誰をお茶会に誘うのかが気になるらしい。
ティファニーの好きな人は誰か?
それを確認するためだけにモーリスはこの寒い中、早起きをして薄暗い道を歩きながら、庭園に向かっている。
もう太陽は昇っている時間だが、校舎の影に隠れてしまっているようで、辺りは本当に薄暗い。おまけに今朝は霧まで出てきた。時折、姿の見えない鳥がキーキー鳴くのもまた薄気味悪く、モーリスは一気に憂鬱になった。
「…」
ティファニーもリンジーも、ただ早朝の庭園で遊んでいるだけだ。
おまじないなどと言う不確かなものに頼るのは、本気ではない証拠。
だって好きな人がいるのなら、本人に言えば良いだけじゃないか、とモーリスは思う。
「聞けないから困る」とは、マックスの言葉だが、そのマックスだっておまじないには頼っていない。
だからこれは、おままごとの延長線上の女子たちのただの遊び。
「…やっぱり、帰ろ」
誰もいない薄暗い学校を歩くのが虚しくなったモーリスは、立ち止まった。
マックスには、自分で頑張ってもらおう。
来た道を戻ろうとしたとき、朝日が顔を出した。
「…!」
校舎の上に昇った朝日が、辺りを照らし出す。
霧がその光を反射して、黄金色にキラキラと輝いていた。
そして、その光の中心にその子は立っていた。
「…リンジー?」
「!」
香り高い薔薇に囲まれて立つその姿は、まるで薔薇の妖精のよう。
「どうしたの、泣いてるの!?」
リンジーのその目は赤く潤んでいた。
モーリスが駆け寄ると、リンジーは驚いたように言った。
「…モーリス、何でここに…?」
「そんなことはいいだろ。どうして泣いてるの? 誰かと喧嘩した?」
慌ててハンカチを探す。
あぁ、こんなときに限って持ってきていない!
「あの、大丈夫。泣いてないよ…」
「じゃあ、寒い?」
リンジーの声は頼りなく掠れている。
泣いていたのではなければ、体調が悪いのかもしれない。
そこでふと、リンジーは寒がりだったのを思い出した。
いつも冬は、マフラーや手袋をして完全防備だった。それなのに、何で今日はコートを持ってきていないのか。
モーリスは自分の制服の上着を脱いで、リンジーの肩にかけた。
「えっ! モーリス! 私、大丈夫だから」
「いいから」
モーリスはなんだか、罪悪感で一杯になった。
手袋をしていては、花は摘めない。
寒いのが苦手なのに、毎朝、こんなに頑張っていたなんて…。
全然、遊びじゃないじゃないか。
「リンジー…」
モーリスがリンジーに向き合ったとき、
「あっ!!」
突然、リンジーが大声をあげた。
「ど、どうしたの?」
それは、今まで聞いたリンジーの声の中で、一番大きな声だった。
しかし、リンジーはモーリスの問いかけに答えず、ふらふらとした足取りで、薔薇の植え込みに向かう。
まるで砂漠の中でオアシスを見つけた人のようだ。
そのままリンジーがそっと手を伸ばしたのは、一輪の薔薇。
触った瞬間に壊れてしまう飴細工のように、慎重にその薄紅色の薔薇に触れる。
「は、ハサミ!」
「えっ」
リンジーは、叫んだ。
それまでの少し熱に浮かされたような様子から、急に生気が戻って一生懸命にハサミを探す。
「庭師のおじさまと約束したの。一輪だったら、持っていって良いって!」
大事そうに薔薇を手に添えたまま、キョロキョロと辺りを見回す。
何がなんだかわからないながらも、モーリスはリンジーの願いを叶えてあげたくて、一緒にハサミを探した。
「えっと、庭師を探してくるよ」
「ううん。籠に…」
ティファニーが入れてくれてたの。その呟きを、モーリスは聞き逃さなかった。
「籠?」
「う、うん!」
どこかに籠があるらしい。
リンジーの視線を辿り、モーリスも懸命に探した。
「薔薇の植え込みの下に置いたんだけど…」
「わかった。薔薇の下だね」
霧が晴れてきた庭園を見回す。
「あ! これか!」
少し離れた薔薇の根本に、大きな籠を見つけた。
モーリスは大急ぎで籠に向かって行って、ハサミを取り出した。
そのとき、籠の中に入っていた茶器にぶつかり、茶器がカシャンと音をたてた。
「…」
あぁ、そうか。
丁寧に詰められた茶器を見て、モーリスは夢から覚めたような気持ちになった。
リンジーも、あのおまじないをするために、この庭園に来たのだ。
つまりは、リンジーにも好きな人がいる。
「はい、これ」
「ありがとう!」
モーリスが手渡したハサミを嬉しそうに受け取って、リンジーは薄紅色の薔薇を一輪切った。
切った薔薇を微笑んで見つめる女の子。
まるで薔薇の妖精みたいだね。
いつもなら簡単に言える言葉が、今日に限ってなぜか言えない。
それが、こんなにも辛いなんて。
「あ、あのね。モーリス」
「うん?」
この、世界で一番かわいらしい妖精はきっと、霧が全て晴れたら儚く消えてしまうのだろう。
そして昼間の太陽の下、人間の女の子に戻った彼女は、自分の知らない誰かと楽しげに紅茶を飲むのだ。
…今さら気づいても、もう遅い。
「あのね、さ、寒いでしょ。だから、もしよかったら、一緒にお茶を飲まない?」
「えっ?」
「ああああの、ティファニーと一緒にお茶会するつもりだったの! だから…モーリスも…」
この時期のお茶の誘いはどんな意味があるか、男子生徒のほとんどが知っている。
でも、ただのリンジーの優しさかも。
ハサミと上着のお礼と、寒さ対策の。
そうモーリスが自分に言い聞かせると、寒い中、リンジーは真っ赤な顔で訊いた。
「…いや?」
その手にぎゅっと握られた薔薇の花びらの朝露が、朝日を受けてきらりと輝いた。
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