13,時計塔
女子寮に行って、取り敢えず置きっぱなしにするつもりだった教科書を手にした。
休暇中、勉強するつもりは一欠片もない。明らかにソフィアのキャラではないからであって、夏休みに遊び倒すためではない。
でも帰り道、うっかりビクター様に会ったときに手ぶらだと本当に言い訳が出来ないので、それっぽい物を持っていなくては。
待たせている馬車に戻る途中、時計塔の前に来た。
真正面に立って、その大きな大きな時計塔を見上げる。
「あれ、まだ学校にいたのか?」
声に振り替えると、用務員姿のエリックが箒を持って立っていた。
「エリック」
「てっきりもう帰ったと思っていたけど、忘れ物か?」
「…今日は、ビクター様と街に遊びに行ってたの。それで、家まで送ってもらうのは気が引けたから、ここでお別れを」
「ふぅん。それで、私服か」
私は自分の姿を見る。
白いドレスは、ソフィアのとっておきの服。服に合う靴を選ぶために一時間かけてみた。
髪も時間をかけて編み込んでもらって、髪飾りはビクター様の目の色に因んで赤い石。アクセサリーもつけてお化粧もして、と準備に時間がかかった。
だからだろうか、今日は「ソフィア」の存在が大きかった。
「良かったな」
「何が?」
「だって、好きなゲームだったんだろ? その登場人物と遊べたんだから、楽しかったんじゃないのか?」
「…」
ビクター様は私の推しじゃない。でも…。
「いいのかな。私が楽しんで…」
私は悪役令嬢で、ビクター様に嫌われると自覚してもなお、婚約破棄のため行動を改めない。
お疲れのビクター様に更なる負担をかけてばかりの一日だった。
そんな私が、楽しむなんて…。
「いいだろ」
あまりにもあっさり言われて、戸惑う。
「別に、ここで感想を言うくらいは、悪役令嬢のイメージを崩さないだろ」
「聞いてくれるの?」
「まぁ、ちょうど掃除をするところだったから、耳は暇だな」
そう言うと、エリックは時計塔の下のベンチを指差した。
夕暮れの中、夏休み直前の学校は人が少ない。私は、そばに誰もいないのを確かめて、ベンチに座った。
エリックは満足そうに頷いて、箒で地面を掃きはじめた。
「埃っぽいのが難点だな…」
「うん。でも、この方が他の人には聞こえなだろうから…」
竹箒なので、地面に擦れる音がなかなかに大きい。
これなら万が一近くに人がいても、声は届かない。私は安心して話し出した。
「あのね…。ビクター様がすごいの! いつもよりヒールの高い靴だってすぐに気付いてくれて、ほんの少しの段差でも、エスコートしてくれて。あと、一緒に食事もしたんだけど、マナーが完璧なの! お手本の先生みたい。お疲れなのに、お芝居も真剣にみてらして役者さんの身のこなしを…」
「…それで、揺れる馬車の中でも…」
夢中で話していると、鐘が鳴った。
「あっ…」
それはこの学校のシンボルの時計塔の鐘。
「ご、ごめんなさい! もうこんなに時間が経ったんだ!」
よく見ると、私の回りの地面は綺麗に掃き清められている。とっくに掃除は終わっていたようだ!
ただ無意味に箒を動かしていただけ。
「おぅ。少しは満足したか?」
「うん。ずっと、我慢してたから…」
大好きなゲームだった。
大好きなキャラクターと一緒に過ごせて、イベント以外の姿を見られる幸せ。
ビクター様も、ティファニーちゃんも、ワンコ先輩も。
アイドルの素の部分を見られたファンみたいな感じ?
そんな気持ちをずっと押し隠していたので、辛かった。
「ありがとう。私のおしゃべりに付き合ってくれて。…引いた?」
「驚きはしたが…」
「うぅっ…。だって、ビクター様がゲームよりももっと素敵だったから!」
「じゃあ、作戦は中止か?」
「まさか。…ビクター様はとっても素敵な方だけど、私、同じ熱量でティファニーちゃんやワンコ先輩についても語れるよ?」
聞いてくれる?
エリックに訊くと、また今度な、と流された。若干、ひきつった笑顔だった気がしたけど、悪役令嬢に社交辞令は通じない。今度、とびきり美味しいお菓子を持っていって、聞いてもらおうと決めた。
「つまりは、恋愛感情じゃない、と」
「うん」
ときめくけど、ティファニーちゃんと一緒にいる姿を見た方が嬉しいくらいだ。
「でも、以前のあんたは?」
「…うーん。どちらかと言うと、みんなが欲しがる一番良いのが欲しかった、みたいな感じかなぁ」
以前のソフィアは、みんなの憧れの王子様に優しくされる自分が好きだったのだ。
「だから、婚約破棄を告げられて国外追放されるシーンを思い出した途端、気配は薄くなっちゃった」
今日は、また王子様に優しくされて出てきたけど、それも一過性のもの。
滅亡、みんなの前で断罪、婚約破棄に国外追放。
呪文のように唱えれば、ソフィアは小さくなる。
ソフィアに、ピンクダイヤモンドは似合わない。
「そっか。…時間は平気なのか?」
「そうだった!」
私は慌てて立ち上がった。
「馬車を待たせてるんだ。もう帰らないと」
「おう。今度は、休み明けか?」
「うん」
ティファニーちゃんに必要以上に会うのは怖い。だから、夏休みは学校にこないつもりだ。私は時計塔を見上げた。
「この時計塔、学校のシンボルでしょ」
「あぁ。創立当時からある」
「ゲームのオープニングも、この時計塔の鐘が鳴っているところから始まるの」
青空にどこまでも響く、澄んだ鐘の音。
「いつもどきどきしながら、聴いてた」
だから、休み前にもう一度実物を見ておきたかった。
「休み中も悪役令嬢の演技がんばる。あと、これから起きるイベントの書き出しとか…」
「国外追放されたときの準備もしておけよ?」
「あー、一応、行きたい国のリストアップはしてるんだけどね」
「ははっ。休み明けに教えてくれ」
「うん! お土産買ってくるから、またゲームの話させてね!」
私は、時計塔の下に立つエリックに手を振った。




