異国の世界
夕陽が沈んでから、いくつの夜を越えただろう。
ミコトとカナトは歩き続け、ようやく――異国の地へとたどり着いた。
そこは、鉱山が盛んな国だった。
山々に囲まれた盆地には、赤茶けた石造りの建物が肩を寄せ合うように並んでいる。
建物の外壁には、金属の粉が混ざっていて、夕陽を反射して鈍く光っていた。
「わぁ……」
ミコトが思わず立ち止まる。
風が運んでくるのは、金属のにおいと、わずかな硫黄の匂い。
聞きなれない言語で叫ぶ物売りの声、ガタンガタンと軋む貨物用の台車――
すべてが、彼女にとって“はじめての世界”だった。
「ねぇ、カナト。あれ見て、壁の石……光ってる」
「拾うなよ、それたぶん高いやつだぞ」
「えっ、そうなの!? 危なっ……」
「……つか、お前がいちばんキラキラしてんだけどな」
ミコトはちらりとカナトを見たが、彼はすました顔のまま前を向いて歩いていく。
顔は見えないのに、耳だけがほんのり赤くなっていた。
二人は坂道を下りながら、石畳の広場を抜け、市場の方へと足を進めていく。
カートのレールが足元を走り、台車の上に積まれた鉱石がキラキラと輝いていた。
「旅人さん! この指輪、光る石入りだよ! 魔法じゃない、本物さ!」
「ひゃっこい水だ〜! 喉乾いてないかい! ひゃっこい水だ〜〜〜!」
叫び声は反響し、まるで街そのものが生きているように響き渡る。
活気と熱気、そしてほんの少しの異国の緊張感――
そのすべてを、ミコトは胸いっぱいに吸い込んだ。
「ねぇ、ここ……なんだか、ちょっと好きかも」
「は? 来たばっかだろ」
「でも……そんな気がするんだよ」
カナトはミコトをちらと見て、肩をすくめた。
その表情は、どこか安心したようでもあり、呆れているようでもあった。
そして――
次の瞬間だった。
「きゃああああああっ!!」
女の子の悲鳴が、坂の上から響いた。
とっさに顔を見合わせた二人の前を、黒い影が駆け抜けていく。
「泥棒だぁーーー!! 誰かっ!! 財布が……!」
走ってきたのは、少女だった。
年の頃は十八、あどけなさの残る顔に涙を浮かべながら、必死にこちらへ駆けてくる。
そのすぐ後ろを、黒ずくめの男が猛スピードで追いかけていた。
「カナト!」
ミコトの声に、カナトは軽く頷いた。
それだけで、すでに“何をすべきか”は伝わっている。
次の瞬間、カナトは一歩、道の中央へと踏み出した。
男が全速力で走ってくる――
カナトは、何気ない素振りで足をひょい、と出した。
「――わっ!?」
男は勢いのままバランスを崩し、派手に前のめりに転倒した。
ガシャアアッ!!と音を立てて転がる身体の下から、金属の財布が飛び出す。
「盗みはいけねぇって、ばあちゃんに習わなかったのか?」
カナトは男の腕をガシッと掴み、くるりとひねって地面に押さえつけた。
「ぐっ……!」と男が呻いたが、容赦なく押さえ込みながら財布を取り返す。
その時、少女が泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「そ、それ……私のです!! 今日の売り上げが全部入ってて……っ」
カナトはその財布を、少し雑に見える動作で少女に渡した。
「ん、ほら。落とすなよ。泣くなよ」
少女はしばらく呆然と財布を見つめていたが、ふいに涙がこぼれた。
「ありがとうございますっ、本当に……ありがとう、ございます……!」
「……っと。こいつ、どこに渡しゃいい?」
カナトは腕をひねったまま、近くにいた兵士の方を顎でしゃくった。
兵士は慌てて駆け寄ってきて、男を引き取っていく。
「あ、あのっ、よかったら……!」
少女が一歩前に出て、カナトとミコトの方を向いた。
「私の家、すぐそこなんです。お礼に……食事でも、どうか……!」
「おい、ミコ――」
「行く!」
カナトの言葉を遮って、ミコトがきらきらした目で即答した。
カナトは「あー……やっぱりな」と呟き、少女に向かって頷いた。
「じゃあ、少しだけな」
三人は並んで歩き出す。
夕陽はすっかり沈み、街にはオレンジ色のランタンが灯り始めていた。
その灯りの下で、ミコトは――まだどこか、不思議な空気を感じていた。
次に彼女たちが足を踏み入れるその家が、“生活の気配のない家”だとは、まだ知らずに。