また、あの村で
朝ごはんは、お味噌汁に焼き魚、炊きたてごはんに漬物。
何より、昨夜自分たちで収穫したトマトとキュウリが並んでいた。
「……うまっ……」
カナトが感動している横で、ミコトはにっこにこ。
「ねえ、見て見て! このキュウリ、ちょっと曲がってるけどすごく甘いよ! メルバおばあちゃん、塩加減も最高!」
「そりゃ、うちの畑の子だもの」
メルバおばあちゃんが嬉しそうに笑うと、ミコトはこくこくと何度も頷いた。
「もう、全部美味しすぎて幸せ……!」
食べ終わるや否や、ミコトは「もう一回畑行ってきます!」と飛び出していく。
もくもくと、収穫。
葉っぱに引っかかっては「いてっ」、土で転びそうになっては「わっ」
それでも笑って立ち上がるミコトに、村の人たちもつられて笑う。
そんな姿を、カナトは遠くから見ていた。
「……はぁ、マジで楽しそうだな」
夕方、メルバおばあちゃんに「今日も泊まっていくかい?」と聞かれると――
「はいっ!!!」
満面の笑顔で即答するミコト。
「ふふ、じゃあ今夜はね、とうもろこし焼くからねぇ」
「やった……!」
ミコトのテンションは、空まで跳ね上がる勢いだった。
囲炉裏の火がゆらゆらと揺れていた。
薪がぱちりと弾け、土間に柔らかな光を落とす。
ミコトはちゃぶ台に正座しながら、ふと気づいた。
柱の上に、小さな額縁が飾られている。
「……この写真、誰ですか?」
何気なく問いかけたその声に、メルバおばあちゃんは手を止めた。
煮物の鍋から湯気が立ち上る中、少しだけ目を細めて写真を見上げる。
「……ああ、それねぇ。うふふ、懐かしい顔だわ」
ゆっくりと座り直して、囲炉裏の前に戻ってくると、
メルバは少し、遠くを見るような目になった。
「この子ね、わたしがね、もうずいぶん歳いってから産んだ子なの。
ほんとにね、奇跡みたいだったのよ。周りにはずいぶん心配されたけど――
元気に、元気に生まれてきてくれてねぇ」
ミコトは息を呑むように、火の明かりに照らされたその顔を見つめていた。
「……名前はね、セイナっていうの。
“命”って文字を入れたくて……
この子には、生きてるだけで価値があるって、そう思ってほしかったのよ」
「セイナさん……」
「ええ。ほんとに優しい子だった。男の子なのに花が好きでねぇ。
わたしが畑から帰ってくると、いつも花を一輪摘んで待っててくれたのよ」
メルバの笑顔は、どこか寂しげで、それでもあたたかかった。
「でもね……あの子、大きくなったら村を出ていったの。
夢があるんだって。都会に行くって、笑ってた」
ふ、と火が小さく跳ねる。
「わたしは引き止めなかったのよ。だって……母親として、応援してあげたかったから。
でも……もう何年も、何年も……」
メルバは、少しだけ目を伏せた。
「……元気にしてるといいんだけどねぇ。
たまにね、夜になるとこうやって考えるのよ。
“今ごろどこにいるのかしら”って」
静かだった。
囲炉裏の火の音だけが、ぽつぽつと部屋に響いていた。
「……いつか、会えるといいですね」
そう言ったミコトの声は、どこか祈るように、そっとしていた。
メルバは、にっこりと笑った。
「ありがとう。そうね。……いつか、またね」
そしてまた、鍋の蓋を開けて、湯気の中へと目を向けた。
その香りは、まるでどこか遠く――
優しい誰かに届いていてほしいような、そんな香りだった。
……そして――
気がつけば、1ヶ月。
ミコトは毎朝早起きしては畑に出て、収穫を楽しみ、
村の子どもたちと遊び、時には料理まで手伝っていた。
「ほら、カナトも剥いて!」
「いや俺とうもろこし剥くためにここ来たんじゃ……」
「ブツブツ言わない! 手ぇ止まってる!」
「はーーーい……」
そして――その夜、囲炉裏の火がまたゆらめく中。
カナトが、ぼそっと呟いた。
「……なあ、ミコト」
「ん?」
「……いい加減、進もうぜ?」
ミコトは、手を止めた。
しばらくの間、何も言わずに火を見つめていたが――
やがて、ふっと笑って頷いた。
「うん。……ありがとう。すっごく楽しかった」
名残惜しさを隠すように笑って。
ミコトは明日また旅立つ覚悟を、静かに胸に刻んだ。
外では、夜風が静かに田畑を渡っていた。
それはまるで、「また帰っておいで」と言ってくれているようだった――。
⸻
朝。
靄の残る畑の向こうで、村のみんなが見送ってくれていた。
「ほんとに、もう行っちゃうのかい?」
メルバおばあちゃんが名残惜しそうに、手を握ってくる。
その手は、土の匂いがして、あたたかかった。
「……はい。また、絶対来ます」
ミコトがしっかりと頷くと、おばあちゃんは目を細めて笑った。
「今度はもっと、たくさんの種を用意しとくねぇ」
その後ろでは、村の子どもたちが口々に叫ぶ。
「寂しいよー」
「ミコト姉ちゃん、次いつ来るのー!?」
「ねぇねぇ、また一緒にとうもろこし剥こうよ!」
ミコトは、ちょっとだけ唇を噛んで――
「ぜったい、また来るから!!!!」
空に届くような声で、まっすぐに叫んだ。
背中の荷物には、たくさんの野菜。
かごの中には、サツマイモ、トマト、キュウリ、とうもろこし。
そして、村の人たちのあたたかさがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「……よし、行くか」
カナトがぽん、とミコトの頭を軽く叩いた。
「……うん」
足取りは重くても、心にはちゃんと「前に進む力」がある。
2人の影が、だんだんと遠ざかっていく。
けれど村の人たちは、ずっと手を振り続けていた。
風が吹いた。
あの日と同じように、畑を通り抜け、2人を追いかけるように。
ミコトが、後ろを振り返った。
そして――もう一度、笑った。
「……ほんとに、また来るからねー!」
その声は、朝の光の中に、まっすぐ伸びていった。