2000年ぶりのお風呂
しんと静まる別邸の朝。
鳥のさえずりと、風に揺れる木々の音が、ミコトの目をそっと覚ました。
「おはようございますよ、ミコトさま。今日はお湯が沸きましたからねぇ、たまにはのんびり湯に浸かりましょう」
そう言ったのは、お世話係の老女・フキだった。
白髪をきっちりと結い上げたフキは、どこか懐かしい匂いのする人だ。
ミコトは、はにかむように小さく頷いた。
「……2000年ぶりです」
「そりゃあ、ずいぶん冷えちまってたでしょうねえ、心も身体も。さ、あたしがお背中流してあげますよ」
脱衣所で衣を脱いだミコトの肌は、透けるほど白く、細い手足は風に折れそうだった。
フキはその背中を優しく撫でながら、ぽつりと呟いた。
「……あんた、ずっとひとりで寒かったでしょうに」
ミコトはしばらく黙っていたが、湯けむりの中、ふと、肩を落とした。
「……もう、誰の声も、聞こえないのかと思ってました」
「大丈夫ですよ。あたし、いますからね。あんたを“ちゃんと”見てる目が、ここに、ある」
ごしごしとタオルで洗うのではなく、まるで古びた繭を解くように――
フキの手は丁寧に、時のこびりついた塵を落としていく。
髪を洗い、切りそろえる。
「前髪、ちょいと伸びすぎてますねぇ。目が隠れちゃう……あら、見てごらんなさいな。鏡の中」
そこには、あどけなさを残しながらも、凛とした瞳の少女がいた。
18歳で時を止められた、その“まま”のミコト。
「――まぁまぁ、こりゃあ……えらい美人さんじゃないですか」
フキはニッコリ笑った。しわくちゃの顔をしっかりとほころばせて。
それを見て、ミコトもふっと、わずかに微笑む。
「……なんだか、体が軽いです」
「それはねぇ、誰かに“優しくされた”証拠なんですよ」
湯けむりの向こう、陽が差し込む。
ほんの少し、ミコトの心に、春が芽吹いたようだった。
***
次回、日常の始まり。
でも、それは長くは続かない。