化け物と呼ばれても
地上――朝。
空気が、ふっと変わった。
風が吹く。
霧が、まるで嘘のように晴れていく。
夜を覆っていた白い帳がゆっくりとほどけ、
そこに、黄金色の光が差し込んできた。
ミコトは、ただ立っていた。
朝の光の中、リナのいた場所を、
まるで“誰か”がいた証を心に刻むように見つめていた。
そのとき――
「ミコトーーーッ!!」
遠くから、叫ぶような声がした。
「……え?」
振り向いた先。
林を抜け、駆けてくる影がひとつ――いや、ふたつ、みっつ。
一番に飛び込んできたのは、カナトだった。
「無事か!? おいミコト!!」
彼は息を切らしながら、ミコトに駆け寄ると、
ためらうことなく、力強く抱きしめた。
「よかった……! ほんとに……!」
その腕の中で、ミコトは驚いたように瞬き、そして――
そっと目を閉じた。
その胸のぬくもりが、どこまでもあたたかくて。
「……ありがとう。カナト」
「もう、急にいなくなるなよー」
そこに、別の声が飛んでくる。
「まったく……癒し手がいなくなったって、
王都出発して二日目で、行方不明って、どういうことだ」
「う……っ」
カナトが、ばつの悪そうな顔をする。
「父さん……いや、隊長……っ!」
現れたのは――シオン。
騎士団の鎧を纏い、数人の兵を連れていた。
「状況説明を受けて、急行した。まさか本当に本人がいたとはな」
「う、うん……俺、兵に頼んで……癒し手が消えたって言ったら……」
「“まさかのシオンさんが来る”とは思わなかった?」
「うん…だって騎士団長だぜ!?…」
「馬鹿者」
ビシィッと、シオンの手刀がカナトの頭に振り下ろされる。
「ぐっ……いってぇ!」
「この状況が深刻だったのはわかるがな」
「だ、だって!俺の将来の嫁候補の女の子だぞ!?」
「知らん!」
シオンがピシャリと叱責しながらも、その目がわずかに細められる。
「……だが、無事でよかった。ミコト」
ミコトは、少しだけ暗い顔をした
「はい」
「少し詳しく話を聞かせてくれるか?」
ミコトは頷く。
空はすっかり晴れ渡り、
霧の村だった場所には、陽の光がやわらかく降り注いでいた。
“夜が明けた”というよりも、
“長い夢から、ようやく目を覚ました”――
そんな朝だった。
ミコトは、静かに語った。
声を張り上げることもなく、淡々と――
けれど、その瞳はひとつも逸らさずに。
自分が見たもの。
あの牢で感じたこと。
男たちのこと。
リナの願いと最期。
そして、自分が“手を下したこと”。
誰も口を挟まなかった。
ただ、聞いていた。
その場にいた全員が、彼女の言葉を、重みごと受け止めていた。
語り終えたとき、
ミコトは、まっすぐシオンを見た。
「……これが、すべてです」
しばしの沈黙の後、
シオンは、小さく頷いた。
「……報告、感謝する。
君がここまで来てくれなければ、我々はこの場所を知らぬままだった。
そして、子どもたちも……もう、助からなかっただろう」
彼はゆっくりと歩き出し、牢の前へと立つ。
「この者たちは、国家が正式に責任を持って保護する。
二度と、あのような場所に戻すことはない。約束しよう」
それを聞いた兵たちは、深く頭を下げ――
そのまま、静かに手を合わせた。
誰が命を失ったのか。
誰が逃げられなかったのか。
何が壊れて、何が守られたのか。
すべてを見届けたからこその、祈り。
ミコトは、それを黙って見つめていた。
そのときだった。
「……おい、化け物」
声をかけてきたのは、拘束されたままの男のひとり――
かつて“息を奪われ”、ミコトにより今は命を繋がれた者だった。
「お前……やっぱり、おかしいよ。
あんなことをして、人間の顔してる……お前は、化け物だ」
その言葉に、あたりの空気がぴんと張りつめた。
けれど、ミコトはただ――笑った。
とても静かに。
それは、どこか痛みに似た微笑みだった。
「そうね。……私は、化け物かもしれないわ」
彼女は、ほんの少しだけ空を見上げる。
「でも、それでも――
“誰かを救えるなら”、私はその名で呼ばれても構わない」
風が、静かに吹き抜ける。
「……はぁ?」
低い声が、すぐ隣から響いた。
ミコトが顔を上げると、そこにはカナトがいた。
表情は怒りでピクリと歪み、けれどその目は、まっすぐだった。
「なにが“化け物”だよ」
カナトは、振り返って男を睨みつけた。
その声は怒りに満ちていて、でも、どこか投げやりな軽さも混ざっていた。
「俺の嫁候補に向かって、“化け物”とか――
お前、目腐ってんじゃねーの? あ、もう腐ってたか。すまんすまん」
一瞬、兵士の誰かが「ぷっ」と吹き出した。
男は顔を真っ赤にして歯を食いしばるが、カナトは気にも留めない。
「大体な、あいつがどんだけ人を癒して、
どんだけ人を想ってここまで来たか、知りもしねぇくせに」
「“化け物”なんかじゃねぇよ」
「……あいつは、ただ――優しすぎるだけだ」
そう言って、カナトはふっとミコトを見た。
「なあ、ミコト。
……お前が自分を“化け物”って思うならさ――」
「俺は、そんな化け物に惚れてんだよ。文句あるか?」
一瞬、時が止まったようだった。
ミコトは、ぽかんと口を開けたまま、何も言えなかった。
頬が、ほんのりと赤くなる。
そして――その唇が、かすかに震えながら、笑った。
「……バカ」
「よし、その笑顔が見たかった」
カナトは、満足そうに言った。
彼の言葉は不器用で、まっすぐで、
けれど何よりも――ミコトを救うのに、十分すぎるほどだった。
ふと空を見上げていたミコトの後ろで、
シオンが深いため息をついた。
「……だが、カナト」
「ん?」
「お前――癒し手を旅に連れて出て、たった二日で行方不明にさせたよな?」
「……あ」
「しかも、国家指名の守護対象。レイガ様激怒案件だぞ」
「うわっ、それ言うなよおおおお!!」
カナトがその場に崩れ落ちそうになる。
「いや、だってちょっと浮かれてたっていうか……初めてのふたり旅だし……その……」
「言い訳するな」
「……で、でもさ!レイガには言うなよ!?マジで!絶対だぞ!墓まで持ってけよ!」
「持っていけるわけがない。騎士団が動いてる時点で報告義務がある」
「うわーーーー!!!終わった!!俺の春終わった!!怒られるの確定じゃん!!」
シオンは真顔で返す。
「全力で怒られるな。……覚悟しておけ」
カナトは地面をゴロンと転がって、顔を覆った。
「……だる。ぜってードヤされる……」
その姿に、ミコトが思わず笑いそうになって口元を手で隠す。
その様子をちらりと見て、カナトは勢いよく立ち上がった。
「よし!じゃあもう墓作って、さっさと出発するぞー!!
ここに長居したらレイガに追いつかれる!!!」
「……お前が悪いんだろうが」
シオンがぼそりと呟いたが、カナトは聞こえないふりをしていた。