夜明けと、解放
ミコトとリナが、静かな地下を抜け――
階段をのぼり、ようやく地上に出る。
扉が、重たく軋みながら開いた瞬間。
ふわり、と風が吹いた。
空は、霧が晴れかけていた。
長い夜の名残のように、うっすらと残る霧の向こう――
東の空から、朝日が差し込んでくる。
ミコトは、一歩、外へ出る。
冷たい空気と、あたたかい光が交差する。
その狭間に、今の自分がいるような気がした。
リナもまた、よろめくように足を出す。
その目が、光に細められる。
「……朝……だね」
ミコトは、黙って頷く。
言葉なんて、今はなくてもいい。
しばらく、二人で朝日を見ていた。
すると――
「ねぇ、ミコト」
リナが、不意に声をかけてきた。
ミコトがゆっくり振り向くと、
彼女は、笑っていた。
どこか壊れたような、でもどこか優しい、そんな笑み。
「……私を、“癒して”くれない?」
ミコトは、目を瞬いた。
「どこか、怪我を……?」
リナは首を振る。
「ううん……怪我じゃないの。
私ね、“この世から、解放してほしい”の」
ミコトの心が、止まった。
「こんなこと、出会ってすぐの相手に言うもんじゃないって、わかってる。
でもね、あの人が死んだ日から……」
リナの声が、震え始めた。
「……あの人が、目の前で……殺されたあの日から、
私の“時間”は、止まってるの」
ミコトは、何も言えなかった。
ただ、リナの言葉に、耳を傾けた。
「子どもも産んだのに、抱けなかった。
泣き声も、顔も……何ひとつ、覚えてないの。
全部……全部、連れていかれたから」
「……それでも、生きてなきゃって思ってた。
でももう、“耐える理由”が……残ってないの」
リナは、微笑んだ。
「こんなふうにお願いするの、おかしいよね。
でも、あんたなら……“終わらせてくれる”気がしたんだ」
ミコトは、唇を噛みしめる。
その手が、震えていた。
「私は、“癒し手”だから……」
「うん。知ってる」
「命を……奪うことは……」
「……もう、やってるでしょ?」
リナの声が、静かに響いた。
朝焼けの中で、涙が光る。
「“あれ”を見てた。
私、ちゃんと……見てたんだよ」
「だから、お願い」
「“痛くない終わり”を、ちょうだい」
ミコトの目に、涙が溜まる。
この人は、壊れている。
でも、それは自分のせいじゃない。
誰のせいでもない。
世界が壊したのだ。
そして――
「癒し」とは、
「痛みを消すこと」じゃない。
「命を繋ぐこと」でもない。
「心の重荷から、解放すること」
ミコトが、ゆっくりと手を差し出した。
その手は震えていた。
「……あなたの“願い”を、癒します」
ミコトの手が、リナの額に触れる直前だった。
リナが、そっと目を開いた。
朝日が差し込む空の下、
彼女は微笑んで――こう言った。
「ねぇ、ミコト。
癒すことだけが、救いじゃないと思うの」
ミコトは、はっとして目を見開いた。
「あなたは、きっと“誰かの痛みを消す”ことしか、
正解だって思えない優しい人なんだと思う。
でも、ね……」
「“終わりを選ばせてもらえること”だって、
人によっては、それが“救い”なんだよ」
リナの声は震えていなかった。
涙も、もう流れていなかった。
ただ、穏やかに。
まるで朝の風のように――静かで優しい声だった。
「だから、お願い。
“私の最後”を、あんたの優しさで包んでよ」
ミコトは、黙って頷いた。
その手のひらに、淡い光が集まる。
でもそれは、“癒す”ための光ではなかった。
“痛みに寄り添う”ための、静かな光だった。
ミコトの手が、リナの額に触れる。
「……あなたの、願いが、どうか……朝に届きますように」
その願いとともに――
リナは、静かに、空へと還っていった。