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それでも、ここからは出られない

牢の中。

火は弱々しく揺れ、冷えた空気がミコトの肌を刺す。


 


リナの足は、もう動く。

だが、それでも彼女は椅子から立ち上がらなかった。


 


ミコトは、ずっと気になっていたことを、ついに口にした。


 


「……あの、なんで……

なんで、ここからみんな逃げないんですか?」


 


リナは顔を上げず、焚き火を見つめたままだった。


 


「みんなで協力したら……きっと、逃げられそうじゃないですか?」


 


その言葉に、牢の奥にいた子どもたちの一人が、ぴくりと反応した。


でも、すぐに目を伏せた。

誰も、答えなかった。


 


沈黙の中――リナが口を開いた。


 


「……そう思うよね。最初は、誰もがそう思うの」


 


ミコトは目を見開いた。


 


「“みんなで力を合わせれば、逃げられる”。

でもね、それが通じるのは、“生きる意志”がある人間だけ」


 


リナの声は静かで、優しかった。

だけど、その奥には――絶望が、張り付いていた。


 


「ここにいる子たちは、ね。

何度も“裏切られた”のよ。

助けを呼んでも、来ない。

逃げようとしても、捕まる。

“逃げよう”って言った子が、最初に連れていかれるの。

……見せしめに、ね」


 


ミコトの喉が詰まった。


 


「“協力”なんて言葉が、もう怖いの。

誰かと希望を持つと、その分、苦しむの。

だから……誰も、もう言わない」


 


ミコトの手が、柵をぎゅっと握りしめた。


 


「でも、それでも……っ」


 


リナは、微笑んだ。


その笑みは、やさしくて――悲しかった。


 


「“でも”って言えるあんたが、まだ希望なのよ。

でも、私は……もう、“そこ”に戻れない」




リナは笑っていた。

ほんの少し、顔をゆるめただけの、

それでもミコトには強く焼きつくような――そんな笑み。


 


「ここでね、あたし、いろんなことされたよ。

あいつらは“壊れた人形”を見るのが好きなの」


 


ミコトは、何も言えなかった。

視線をそらすことすらできなかった。


 


「旦那がいたの。

あたしの手、いつも握ってくれた人だった。

ここに連れてこられて……何度も、何度も、あの人の目の前で……」


 


震えながら、リナは続けた。


 


「最期は、目の前で殺された。

あたしの叫びなんか、誰も聞いちゃいなかったよ。

むしろそれを見て、笑ってた。

そんな場所なのよ、ここは」


 


火の粉が、ぱちんと音を立てた。

その音すら、残酷なBGMに思えるほど、静かだった。



そのときだった。


 


――ギィ……


 


錆びついた扉の軋む音が、闇の向こうから響いた。

誰かが、牢のある地下へ降りてくる。


 


カツン……カツン……

硬い靴音が階段に響く。


 


リナが、小さく息を呑んだ。


 


「……来たわね」


 


ミコトがリナの方を見たが、

彼女は動かない。表情を消して、ただ火を見つめていた。


 


足音は止まった。


 


そして――男たちが現れた。


 


ボロボロの鉄格子の前に、

男が5人。

そのうちひとりが、ミコトに目を留めると、にやりと笑った。


 


「なんだよ、目ぇ覚めてるじゃねぇか。

おいおい、ずいぶん可愛らしいのが混じってんな」


 


他の男たちも笑い出す。


 


「こいつ、目もでかいし肌も白ぇ。お姫様か?」


 


「触るなよ」

先頭の男が手を上げて、制した。

低く、嗄れた声で言う。


 


「こいつは“上物”だ。……俺が先だ。

おまえらは手を出すな」


 


ぞわり、と空気が冷える。

ミコトの全身に、粘つくような嫌悪と恐怖がまとわりついた。


 


(……だめ……)


 


(こわい……)


 


(誰か、、、カナト――)


 


けれど、違う。

“誰か”じゃない。

自分が、“自分で”守らなきゃいけない。

もう閉じ込められてる癒し手ではない、旅立ったんだから。


 


柵の奥。

小さな子どもたちが、布をかぶって震えているのが見えた。


 


(こんなの、間違ってる……)


 


(こんな場所、壊さなきゃいけない)


 


男たちが鍵を開けようとした瞬間――




ミコトは、柵の前で静かに立ち上がった。

焚き火の揺らめきが、その影を妖しく映し出す。


そして、深く、息を吸い込む。


 


「……もう、やめて」


 


その言葉に誰も耳を貸さなかった。


だが、次の瞬間――


 


ミコトは、手を前に差し出し、強く握りしめた。


 


「――息、しなくていい」


 


 


ぎぃぃっ――!!!


何かが壊れるような音が、静寂を裂いた。


男たちの体が、バタバタと倒れた。


目を見開き、口を開こうとする。

でも、声が出ない。

喉が、動かない。

肺が、震えない。


 


「……ぐ……ぁ……!」


 


地を這うように苦しみながら、男たちは喉を押さえた。


必死に空気を求めているのに、

吸えない。

吐けない。

声を上げることすら許されない。


 


全身を痙攣させ、白目を剥き、

足をバタつかせ、

指先を引きちぎらんばかりに床を掴んで――


 


それでも、何も伝えられない。


 


「……命までは、取ってない」


ミコトは、静かに言った。


「“今”は、ね」


 


火の粉が、ぱちりと舞った。


柵の奥で震えていた子どもたちが、その異様な静けさに気づき――そっと顔を上げる。


リナもまた、動かない。


ミコトの姿を、言葉もなく、ただ見つめていた。


 


ミコトは、その視線を受け止めることなく、もう一度だけ男たちを見下ろして言った。


 


「次に誰かに手を出したら……“完全に止める”」


 


喉を潰されるような、

肺が凍りつくような、

“死より恐ろしい”沈黙がそこにあった。



ミコトは、ゆっくりと鍵を回す。


カチリ――

重く鈍い音が響き、柵が開いた。


外の空気が流れ込むその瞬間、

ミコトは後ろを振り返った。


 


「……出よう。一緒に」


 


奥のほうで震えていた子どもたちは、誰ひとり動かなかった。

まるで、動けばまた“罰”が下ると思っているかのように。


 


ミコトは、もう一歩、柵の外へ出た位置で立ち止まった。


 


「……じゃあ、そこで待ってて」


優しく、でも確かに言葉を紡ぐ。


「ちゃんと“誰か”呼んでくるから。絶対に、置いていかないから」


 


その言葉に、わずかに一人の子の手がピクリと動いた。


けれど、やはり誰も出てこなかった。


 


ミコトは、それ以上急かさなかった。


彼女の隣で、リナが立ち上がる。

二人で、火の揺れる牢をあとにする。


 


 


だが――


 


階段を一歩上がった、その瞬間だった。


 


――ギィィ……


 


不意に、上から扉が開く音。

ミコトの身体がぴたりと止まる。


 


(……まさか)


 


カツン、カツン――

聞き覚えのある、硬い靴音。


すぐに、それが近づいてくる。


 


「……やばい、来る……」


リナが息を呑んだ瞬間――


 


階段の上から、男たちの影が落ちた。


ミコトとリナの視線が、上と下でぶつかる。


 


「なんだ、お楽しみの途中か?」


 


男たちが笑う。

だがその笑みは、ほんの一瞬で凍りついた。


 


ミコトが、柵の前とは違う“目”で彼らを見据えていたからだ。


 


静かに、前に出る。

手を、前に差し出す。


 


もう迷いはない。


 


「……やめてって言ったのに」


 


そして――


 


「――息、しなくていい」


 


次の瞬間、空気が止まった。



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