約束の朝
夜明け前の空は、まだ藍色を残していた。
王宮の離れ、古びた一室。
そこに、少女は静かに座っていた。
2000年の眠りから目覚めた“癒し手”、ミコト。
白い衣の袖に、小さな朝露が降りていた。
その指先は、どこか遠くを見るように震えていた。
コン、コン――
戸を叩く音がした。
「……入ってください」
扉の向こうから入ってきたのは、二人の男。
一人は、威厳を宿す壮年の王。
そしてもう一人は、まっすぐな瞳を持つ少年――レイガ王子だった。
ミコトは、少し目を見開いた。
王は静かに、彼女の前に膝をついた。
「……顔を上げられぬ立場だと、我が身を自覚しております」
その言葉に、侍女たちがざわめく。
王が、たったひとりの少女の前で膝をつくなど、かつて見た者はいなかった。
「貴女を、2000年にわたり閉じ込め、苦しめた罪。
我々が積み上げてきたこの王家の歴史――すべて、赦されることではないと知っております」
王の声は、震えていた。
「けれど。……あの夜、貴女が差し出してくれた手によって、
我が妻も、息子も――生きることができた」
ミコトは、何も言わなかった。
ただその目に、王の姿を映していた。
レイガが前に出る。
「……僕は、貴女のことを、化け物なんて思わない。
怒るのは当たり前だと思った。……それでも手を差し伸べてくれて、ありがとう」
ミコトの瞳が、揺れた。
王は続けた。
「過去は消せぬ。けれど我々は、これからの時間で、できるかぎりの償いをしたい」
「……貴女のために、別邸を用意しました。
人の目を避け、静かに暮らすことも、希望するならば都の中での生活も。
全て、貴女が選べるように整えてあります」
「……望まぬなら、それでも構わぬ。だが、どうか。
“生きる”という選択を、もう一度……していただけないか」
ミコトは、その言葉を胸で受け止めた。
長い長い、時の檻。
叫ぶことも、泣くこともできず、ただ風の音だけを聞いていた日々。
あの時、ただ一度だけ思った。
――どうして、私は、生まれてきたのだろう。
「……生きる、か」
ぽつりと、呟くように言ったその言葉は、
まるで初めて口にする“呪文”のようだった。
レイガは、そっと手を差し出す。
「君の時間は、止まったままだったかもしれないけど。
これからは、止まらない時間を、一緒に過ごせたらって、思ってる」
ミコトは、その手を見つめた。
迷いの中で、それでも――
静かに、ゆっくりと、その手を握り返した。
「……私、きっと、誰かを赦したいと思っていたのかもしれない。
ほんの、少しだけでも」
窓の外、夜が明ける。
2000年を越えた朝が、ようやく始まった。