赦しを乞わぬ謝罪
牢の扉が軋むような音を立てて開いた。
重く湿った空気とともに、鉄の匂いが微かに鼻をかすめる。
「ミコト様……本当に、ここへ?」
戸惑う護衛の声に、ミコトは小さくうなずいた。
「どうしても、会いたい人たちがいるの」
それ以上は何も言えなかった。
言葉にすれば、きっと心が揺らいでしまう気がした。
⸻
牢の中には、十数人の男女がいた。
その多くは痩せ細り、壁にもたれながら無言でこちらを見つめている。
中には、顔を背ける者もいた。
ミコトに気づいた瞬間、わずかに肩を震わせる者もいた。
彼らは、あの日、石を投げた人々だった。
罵声を浴びせ、怒りをぶつけた人々だった。
ミコトはゆっくりと歩を進める。
目を背ける男の前で膝をつき、手を伸ばす。
その掌から、淡い光が広がった。
苦しげにうずくまっていた男の身体がわずかに緩み、咳とともに、深く息を吐いた。
「……な、に……」
男が呻く。
「なぜ……俺たちなんか……」
ミコトは何も答えなかった。
ただ一人ずつ、静かに、等しく“癒し”の力を分け与えていく。
やせ細った少女に、冷たくなった指先を重ね、
泣き続ける母親の手に触れ、
視線も交わさずにうずくまっていた青年の背に手を添える。
誰一人拒まなかった。
むしろ、戸惑いと怯えのなか、黙って“癒し”を受け入れていった。
それが終わったとき――
ミコトは立ち上がり、ゆっくりと頭を下げた。
「……本当に、すみませんでした」
静寂が落ちる。
誰も何も言わなかった。
だが、ひとり、またひとりと、息を詰めたように目を伏せる。
その時。
「……綺麗事を、述べるな」
牢の奥から、男の低い声が飛んだ。
ミコトは顔を上げる。
「俺たちを癒して……いいご身分だな、“癒し手”様よ」
その言葉に、周囲の空気が微かにざわついた。
けれど、ミコトは――ほんの少し目を伏せ、そして、まっすぐに答えた。
「……そうですね。これは、私のエゴです」
男の眉が動く。
返す言葉を失ったように、ただ黙ったままミコトを見た。
「誰かを癒したからといって、すべてが赦されるわけではありません。
救った命があるからといって、失われた命が戻るわけでもない。
だからこれは、私の贖いです」
ミコトの声は静かだった。けれど、一言一言が確かだった。
「あなたたちを癒したのは――あなたたちのためじゃない」
「……“私が、生きていくために必要だった”だけです」
ざらりと空気が揺れた。
「私は助けられなかった。
そして私は……その罰を背負って、生きていきます」
拳を握りしめる者。
泣き出しそうな目で見つめる者。
沈黙のなか、誰かがぽつりとつぶやいた。
「それでも……お前は、来たのか」
ミコトは微笑みすら見せなかった。
ただ、最後に一度、深く頭を下げた。
「声も、怒りも、恨みも……全部、届いていました。
だから、これが私の答えです」
その背中が、ゆっくりと牢の奥から去っていく。
誰も、もう言葉を投げなかった。
その静けさが、なによりの答えだった。
⸻
その夜、レイガの部屋には静かな空気が流れていた。
窓の外では風が木々を揺らし、夜の匂いがかすかに漂ってくる。
扉がノックされ、開いた。
そこに立っていたのは、ミコトだった。
レイガは驚いたように顔を上げた。
「……無事で、よかった」
ミコトは何も言わずに部屋に入り、
静かに扉を閉めてから、レイガの向かいに座った。
灯りは柔らかく、影を落とす。
しばらく沈黙が続いたあと、
レイガが問いかけた。
「……なぜ、牢に行った?」
ミコトは、少しの間だけ目を伏せて、
それから、はっきりと答えた。
「私の、エゴだから」
その声は、静かで、澄んでいた。
嘘や飾りは一切なかった。
レイガは眉をひそめる。
「……自分を傷つけるために行ったのか?」
「違うよ」
ミコトは小さく首を振った。
「私が、あの人たちを癒したのは――
あの人たちのため、というより……
“自分が生きていくために必要だった”の」
「私は助けられなかった。
あの子も、あの母も、あの日の誰も……」
「だから私は――その罰を背負って、生きていく。
それが、私の答え」
レイガは、何も言えなかった。
ミコトの言葉が、静かに胸の中に降り積もっていく。
少しだけ間を置いて、ミコトが口を開いた。
「ねぇ、レイガ?」
「ん?」
ミコトは、まっすぐに彼を見た。
「私、旅に出たいの」
レイガの目が、わずかに揺れた。
「今回のことで、痛感した。
私は……まだまだ、力不足だって」
「私はもっと、いろんな人を見たい。
もっと、いろんな命に触れたい。
そして、たくさんの人たちを、癒していきたいの」
「もう二度と、私の手からこぼれ落ちないように――
誰の命も、見逃さないように」
その言葉は、まっすぐで、揺るぎなかった。
でも、どこか、少しだけ泣きそうなほど、
“遠い”言葉でもあった。
レイガは視線を落とし、
しばらく沈黙してから、静かに呟いた。
「……お前は、優しすぎる」
ミコトは、薄く笑った。
「ううん。きっと私は――ずっと、臆病なんだよ。
怖いの。誰かをまた失うのが」
夜風が、カーテンをそっと揺らした。
ふたりの間に、何も言葉はなかった。
でもその沈黙すら、確かな“別れの兆し”を含んでいた。
⸻
この夜、ミコトの旅立ちが決まった。
それは、贖罪の旅であり、癒しの旅であり――
“もう誰もこぼさないため”の、痛みを抱いた優しさの旅だった。