抱きしめたのは、臆病な心
王宮正門――
カナトが拘束されるその瞬間。
ミコトはレイガを見上げ、真っ直ぐに言った。
「ねぇ、王宮に入る前に……一箇所、寄ってもいい?」
レイガは一瞬だけ眉をひそめた。
「どこへ行くつもりだ?」
「お墓。……私の、あの時代のたった一人の友達のお墓だよ」
それだけを言って、ミコトはゆっくりと視線を下げた。
そして続ける。
「それと……お願いがあるの。護衛は、下げてもらっていい?」
レイガはその言葉に目を細めた。
「……なぜだ?」
「あなたと……二人で話がしたいの」
しばしの沈黙。
だが次の瞬間、レイガは静かにうなずいた。
「……わかった」
***
森の奥――慰霊碑の前。
朝露に濡れた草を踏みしめ、ミコトとレイガは並んで立っていた。
石碑には、変わらず一つの名が刻まれている。
「――アルファード」
ミコトはそっとしゃがみ込み、石に触れながら微笑んだ。
「……レイガ。あなたが来てくれて、嬉しいよ」
「……」
「ねぇ、ありがとう。いつも一緒に寝てくれて」
レイガの眉がぴくりと動いた。
ミコトは、石碑を見つめながら続けた。
「……あの日。あなたが帰ってこなかった日が、何日も続いて……怖かったんだ。
誰かの恨み、妬みいろんな感情が襲ってきて」
「ミコト――」
「夜、眠れなくて、ベランダに出てみたの。そしたらね、思い出しちゃったの……昔、逃げようとした時のこと」
「……」
「今なら飛べるかもしれないって……少し、思っちゃったんだ」
レイガが、ふっと目を伏せた。
拳が震えていた。
けれどミコトは、彼に背を向けたまま語り続ける。
「ここはね、私が唯一、王都で心を許せた“友達”のお墓なの」
「……」
「2000年前のこと……だけど、その人の思想や言葉、あなたにそっくりなの」
そして、ふいに振り返った。
レイガの瞳を、まっすぐに見つめて。
「ねぇ……あなたは、アルファードなの?」
レイガの目が揺れた。
でも何も答えない彼に、ミコトは――笑った。
「……なんてね」
そして、ほんの少し意地悪そうに言葉を重ねた。
「ねぇレイガ……見たんでしょ? アルファードの手記」
「……」
「嫉妬、した?」
その言葉に、レイガは一歩だけ前に出た。
その表情は、どこか悔しそうで――でも、優しかった。
レイガは、わずかに目を伏せたあと――
低く、かすれるような声で答えた。
「……ああ、したよ。
悔しいぐらいに」
その言葉に、ミコトは少しだけ目を見開き――
それから、微笑んだ。
「……そっか。アルファード、素敵だったもんね」
風が、ふわりと2人の間を通り抜ける。
ミコトは静かに石碑から立ち上がり、そっとレイガの前に立った。
「でもね、レイガ……」
彼女は、まっすぐ彼の目を見つめる。
「そのアルファードに――いちばん似てるのが、あなたなんだよ」
レイガの表情が、わずかに揺れる。
「強くて、優しくて。
どこか遠くを見てて、でも……大切な人のためなら、誰より近くにいる」
「……」
「私、アルファードのこと、大好きだった。
でも……あなたのことは――“いま”の私が、ちゃんと好きになったの」
レイガが、ゆっくりと息をのんだ。
ミコトの頬には、一筋の涙が伝っていた。
けれどその瞳は、まるで朝の陽光みたいに澄んでいた。
「ありがとう。レイガ。
あの日、あなたが来てくれて、嬉しかった」
「……ミコト……」
レイガは、何かを言いかけて――そして、口をつぐんだ。
その代わりに、そっと手を伸ばす。
指先が、ミコトの頬の涙を拭った。
「泣くな。お前の涙は……好きじゃない」
「……ごめん。でも、嬉しくて泣いてるの」
「じゃあ――もう少しだけ、泣いててもいいか?」
「……うん」
ふたりの影が、日に溶けて寄り添う。
ここからまた、何かが始まる。
でも今は、ただこの静けさの中で――
ミコトとレイガは、確かに“今”を生きていた。
ミコトが涙を拭い、微笑んだその時――
レイガは、ふいに視線を落とした。
そして、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
「……ずっと、怖かったんだ」
ミコトが目を瞬かせる。
「え……?」
「……お前がいなくなるのが。
また、どこかに攫われて……
もう二度と戻ってこないんじゃないかって……」
その声音は、これまで聞いたどんな声よりも弱く、痛ましかった。
「だから……閉じ込めた。
話も聞かずに、勝手に決めて、護衛を付けて……
それが、お前を守ることだと思ってた」
レイガの拳が、震えていた。
「違った。守るって、そんなことじゃなかった。
お前の言葉を奪って、自由を奪って……
俺は、ただの臆病者だ」
ミコトは、何も言わなかった。
ただ静かに、彼の言葉を受け止めていた。
「……ごめん」
それは、初めてレイガがミコトに向けて口にした――
本当の謝罪だった。
沈黙が流れる。
そのなかで、ミコトはそっと一歩、彼に近づいた。
そして――
「……もう、いいよ」
その言葉に、レイガの肩が小さく揺れる。
「私は、今ここにいるよ。
泣いて、笑って、怒ってる。生きてるの。
……あなたが、守ってくれたから」
レイガの目が、ゆっくりとミコトに向けられる。
「私は、閉じ込められてたんじゃない。
――あなたの“怖さ”の中にいたの」
「……ミコト……」
「じゃあ、今度は――私がその怖さを、抱きしめる番だよ」
ミコトがそっと手を差し出す。
それを見て、レイガは戸惑いながらも……ゆっくり、その手を取った。
指先が触れ合った瞬間。
レイガの瞳から、静かに涙がこぼれ落ちた。
「……ありがとう」
2人の影は、朝陽のなかで、ひとつに重なる。
失われた過去と、やっと触れた今。
その全てを抱きしめながら――
2人は、ようやく同じ場所に立っていた。
***
王宮・政庁の大広間。
貴族や軍上層部がずらりと並ぶ中、
中央には椅子に座らされたカナト。
手足には拘束具――“反逆罪”としての正式な裁きが今まさに下されようとしていた。
「――騎士団長、カナト。貴殿の行為は王命に背き、癒し手を拉致同然に連れ出した反逆行為と認定する」
老齢の文官が、冷たく読み上げる。
「よって、この罪――打首とする」
重苦しい空気が広間に立ち込めた、その時だった。
――ガンッ!!
重たい扉が勢いよく開かれる。
響く靴音。
凛とした佇まいで、ミコトがゆっくりと歩みを進める。
誰もが言葉を失う中、
ミコトはまっすぐに玉座の前へと進み、静かに頭を上げた。
「――それは、私の命令です」
ざわり、と空気が揺れる。
「癒し手である私が、カナトに“連れて行ってほしい”と命じました。
彼は私の命令に従っただけ。罪があるとするなら――それは、私にあります」
カナト「なっ……!」
ミコトの言葉に、場内の空気が凍りつく。
「もし彼を打首にするというのなら……
私をそうしてください。
それが無理というのなら封印しなさい
――私はそれに値する覚悟を持って、ここに立っています」
その瞳に、恐れはなかった。
悲しみも、迷いも、もうなかった。
あるのはただ――
“命を守る者”としての誇りと覚悟。
沈黙のなか、誰かが小さく呟いた。
「……癒し手……が、自ら命を…いや、でも彼女は不死…だから封印?」
動いたのは、レイガだった。
「……打首や封印など、ありえん」
静かに、しかし揺るぎない声で言う。
「彼は“反逆者”なんかじゃない。
国の宝を、命をかけて守ったんだ。
――それを罰する国に、何を守れる?」
会議の空気が、一気に変わる。
そして、王族側の長老が立ち上がる。
「……癒し手の命や封印と引き換えに、罪を問うわけにはいかん……。
ここは、騎士団長・カナトの忠誠心と行動を重く見て――減刑を提案する」
ざわざわ……ざわざわ……
貴族たちの反応が分かれながらも、
ミコトとレイガの言葉が、確かに場を動かしていた。
そして――
「……審議の結果。カナト、騎士団長の職務を一時停止。
罰として三ヶ月の謹慎を言い渡す。ただし……打首は免除とする」
その瞬間、ミコトの目に涙が浮かんだ。
「……よかった……」
カナトは、拘束具のまま叫ぶ。
「いや泣くなよ!? こっちが泣きそうになるから!!」
誰かが小さく笑い、空気がほどけていった。
そして――
癒し手としての威厳を見せたミコトの姿は、王宮に新たな風を吹き込むこととなる。