変化
王妃が完全に目を覚ましたのは、夜が明ける直前だった。
弱々しく手を伸ばし、隣の王子の指を握る。
「……この子の……体が……あたたかい……」
王はその言葉を聞き、胸に顔を伏せて泣いた。
命が戻った。
絶望の中にいた家族が、少女の“手”によって救われた。
王宮の侍女たちは静かに、けれど確かに泣いた。
兵士たちは沈黙の中で、深く頭を下げた。
あの夜、
誰もが、少女の力が“本物の奇跡”だと信じた。
──そして、朝が来た。
翌日、王宮は騒然としていた。
“癒し手”が生きていたという事実が、一部の民にも漏れ出し、
王都の広場には、人々が噂を語り始めていた。
「本当に、2000年前の聖女なのか?」
「王妃様が目を覚ましたって……」
「噂だと、王子様も……!」
多くの者が、久しぶりに希望を口にした。
だが。
その一方で、
“もうひとつの力”を恐れた者たちがいた。
議会が開かれた。
王妃と王子が助かったわずか数時間後のことだった。
最初に口を開いたのは、白髪の老貴族だった。
「王よ。……申し訳ありませんが、我々には看過できぬ事態です」
「癒し手が再び現れたという事実。
それはすなわち、“魂の選別者”が蘇ったということにほかなりません」
別の貴族が言う。
「彼女が癒したのは“高貴な魂”だったから良かったのです」
「しかし、“そうでない者”にも手を差し伸べるようになれば――
この国の秩序は、再び乱れることになります」
「“再び”?」と王が問いかける。
すると、老人が声を荒らげる。
「2000年前の“あの夜”を、我々は忘れてはおりません!!」
場が凍りつく。
「あの女は、我々の祖先を――我が曽祖父を、
癒さず、魂を“潰した”のです!!」
「高貴なる魂を否定されたあの日、
我が一族に刻まれた屈辱は、今も語り継がれております!!」
次々と叫びがあがる。
「我が家系でも“魂喰らい”の名で伝えられている!」
「彼女は“神の判断”なしに、命を選んだ!
それを“癒し”と呼ぶなど、断じて許されない!!」
「癒しの資格は、高貴な血にこそ与えられるもの!」
「村娘がその力を持つなど、本来あってはならないのです!!」
「救われたからといって、“過去の罪”が消えるわけではない!」
「あの女は、我々貴族にとって、“赦されざる厄災”!!」
「再び封印を!」
「魂を守るために!!」
「我々の誇りを、二度と踏みにじらせるな!!」
激昂する議場の空気を裂くように、
一人の若者が、ゆっくりと中へ足を踏み入れた。
その姿を見た瞬間、空気が一変する。
「っ……! 殿下……?」
腰を抜かす者、背筋を伸ばす者。
場の空気が一気に静まり返る。
彼は、王の第一子。
そして、王位継承権第一位の――十八歳のレイガ王子だった。
王子は、議場のど真ん中まで歩いてくると、
ずらりと並んだ貴族たちを一瞥し、ふっと鼻で笑った。
「え、なに? 君たち、2000年前のこと、
まだ“自分たちが被害者”だと思ってるわけ?」
ざわ……っと空気が揺れた。
王子は、手に一冊の古い本を持っていた。
それは、**王家に伝わる“正史”――
隠蔽されてこなかった“真実の歴史書”**だった。
「この中に書いてあったよ。
“あの女の子が癒しを拒否した貴族”って、
百歳を超えてて、もう体も魂も寿命だったって」
「それを、“癒さなかったから死んだ”って?
……当たり前だろ? 百歳なんだよ?」
「で、それにキレて、
あの子の村を焼いて、
村人皆殺しにして、
本人を何度も殺そうとして、死ななかったからって“化け物”呼ばわりして」
王子は一歩、前に出る。
「いや、どう見ても――
お前らの先祖が最悪だっただけじゃね?」
一瞬、静寂。
空気が、凍りつく。
貴族たちが、言葉を失って固まる。
王子は言い放つ。
「あの子はな、癒したくて癒して、
断ってもそれはちゃんと“命”を見て選んだだけだよ」
「感情じゃない。“生きられる命”と、“還る魂”を、見てただけ」
「それで村を焼かれて、命を奪われて、
それでもまだ“赦さないといけない”わけ?」
「そりゃあ怒るだろ。誰だって」
議場が、沈黙に包まれる。
誰も、何も言い返せなかった。
王子はそのまま、議場を振り返る。
重ねて言う。
「俺は、あの子を“厄災”だなんて思わない。
少なくとも今ここで、一番まっとうな心を持ってるのは、
あの癒し手の女の子だと、俺は思ってるよ」
「だから。俺が継ぐこの国では――
もう、あの子を二度と、封じさせない」
そして、王子はそのまま踵を返し、
誰の言葉も聞かずに、議場を去った。
──静まり返った会議室に残されたのは、
2000年前から何も変わらない“魂の腐臭”だけだった。
同じ頃。
少女は扉の向こうで、小さくつぶやいた。
「……そんな子が……この国に、生まれてたんだね」
瞼の奥に、ひとすじの光が揺れた。
それは、怒りとも悲しみとも違う――
ほんの少しだけ、“希望”に似たものだった。