表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/71

やっと、泣けた日

別邸の一室。


ミコトは、淡い光の入る窓辺に、座っていた。


毛布に包まれていた姿とは違う。

けれど、頬はまだこけていて、目の下にはうっすらと影が残る。


そんな彼女の前に――


そっと、フキが膝をついた。


 


「……あんた……」


 


ミコトが顔を上げる。


 


「……あんた、こんなに痩せて……!」


 


震える指先が、ミコトの頬に触れた。


その細さに、年老いた手がぴたりと止まる。


 


「……食べ物、食べさせてもらってなかったのかい?」


 


その言葉に、ミコトの肩がかすかに揺れた。


けれど、否定はしない。


 


フキは、口元を手で覆い、少しだけ天を仰いだあと――


涙声で叫んだ。


 


「……ミコト、あの時……あんたを、守ってやれなくて……!!」


 


そのまま、力いっぱい抱きしめる。


 


「ごめんね……ごめんね……!!

 私が、弱いばっかりに……!!

 こんな思い……させて……!!」


 


ミコトは、最初、驚いた顔をしていた。


まるで、現実を受け止められないように。


けれど――


次第に、目に涙が溜まり、唇がわなわなと震えはじめた。


 


「……っ……う……っ……」


 


そして、フキの胸の中で――


 


「……さびしかったよ……っ……

 こわかったよぉ……っ……」


 


子どものように、声をあげて泣きじゃくる。


 


「なんで、だれも……こないのって……

 なんど、思ったか……わかんない……っ」


 


「……ごめんね……ごめんねぇ……」


 


フキも泣いていた。


老婆の顔に、いくつもの涙の筋。


シオンは、後ろで目を伏せ、歯を食いしばっていた。


 


誰もミコトの叫びに、すぐ気づいてやれなかった。


誰も、彼女の弱さを、抱きしめられなかった。


 


けれど今――


この小さな別邸で、ようやく届いたのだ。


 


「……ごめんねぇ……

 あんた、ずっと、一人だったんだねぇ……」


 


「……うん……っ、でも……

 でも、今は……フキさんがいてくれるから……」


 


言葉にならない涙が、しばらく部屋を満たしていた。




***


別邸の門――夜。


到着したレイガの前に、

一人の男が仁王立ちしていた。


 


「……どけ、カナト」


レイガの声は低く、怒気を帯びている。


しかし――


門を塞ぐその背は、びくともしない。


 


「……カナト、どけと言っている」


「――やだね」


 


風が吹き抜ける。

二人の間に、緊張が走った。


 


「……お前、何をしたかわかってるのか?」


「さあ?」


「王命を無視し、隊長の立場を利用して王宮の許可なく癒し手を連れ出した」


「……ああ、それね」


 


カナトは鼻で笑い、肩をすくめる。


 


「そんなんで済むか。

お前のやったことは、王政に対する反逆だ。打首相当だぞ」


 


その言葉に、カナトは――一歩も退かず、はっきりと返した。


 


「――だから何?」


 


レイガの目がすっと細まる。


 


「俺は、国を敵に回しても……

 “あの子を泣かせたまま”にするお前を、ここには通さねえよ」


 


レイガの喉が、かすかに鳴った。


 


「今、あの子は“やっと声をあげて泣けた”んだ。

 “寂しかったよ”って、“怖かったよ”って。

 ……誰にも、言えなかった気持ちを、やっと……」


 


その目は、もう真剣そのものだった。


軽口を叩いていた少年の顔ではない。


“癒し手”という名の少女を――

一人の命として、守ろうとする男の顔だった。


 


「今のお前が来たところで、

 “また、話にならない”って突き放すだけだろ?」


 


レイガの唇がわずかに震える。


カナトは言葉を続ける。


 


「俺は、何も正しいことなんて言えねぇし、

 あの子の苦しみを全部分かってるわけじゃねえ。

 でもな――」


 


「今のミコトを、“ひとりの人間”として見てるのは、俺だ」


 


その言葉に、レイガの表情が凍りついた。


 


しばしの沈黙。


レイガは、ぎり、と奥歯を噛みしめた。


 


「……俺は……」


「今は帰れ」


カナトは、きっぱりと言い放つ。


「ここは、“泣いてる女の家”だ。

 その涙の理由を作った奴の顔なんざ、見せられるかよ」


 


レイガの拳が震える。


だが――


彼は、何も言わず、踵を返した。


 


背中に、カナトの声が追いかける。


 


「お前が、あの子に“許される日”が来るなら……

 その時は、ちゃんと“向き合って”やれよ」


 


その声に、レイガは何も返さず――

その夜、別邸を後にした




***



王宮・夜


レイガの部屋。

扉がバタンと閉まる音が、廊下にまで響いた。


 


中に入ったレイガは、何も言わず、ゆっくりと手袋を外す。

しかしその動作は、どこかぎこちない。

指先が震えていた。


 


(……俺が……)


 


考えまいとしても、頭に浮かぶのは――

あの門の前に立つカナトの言葉。


「今のミコトを、“ひとりの人間”として見てるのは、俺だ」


 


「……っ……!」


 


レイガは、重く息を吐き出し――

目の前のテーブルを思い切り蹴り上げた。


 


ガッシャーン!!!


 


椅子が倒れ、書類が散らばり、

インク壺が床に転がる。黒い染みが、絨毯を汚していく。


 


「くそっ……!!」


 


怒鳴り声が響いた。


 


歯を食いしばり、額に手を当てる。

それでも、内から込み上げるものは止められなかった。


 


(どうして……)


(どうして、俺は“あの子の涙”に――気づけなかった)


 


(あんなにも、側にいたのに)


 


拳を握る。

ぐっ、と力が入る。

爪が手のひらに食い込むほどに。


 


「……弱いくせに……」


呟いた。


「……ずっと、怖かったんだろ……寂しかったんだろ……」


「なのに俺は、“何も見えてなかった”……」


 


その声は、怒りというより、もはや懺悔に近かった。


 


レイガは、ひとり――

乱れた部屋の中、崩れるように椅子に腰を下ろし、


 


顔を手で覆いながら、

声もなく、苦しみに震えていた。



***


別邸ーその夜。


 


「ばあちゃんのご飯、美味かったよな~!」


 


カナトがそう言って、畳の上で大の字になった。


 


「って、あ……誰かさんは断食してたんだっけ。おかゆだったか!」


 


ミコトは、ふふっと小さく笑った。


「……でも、美味しかったよ。あたたかくて、安心した」


 


部屋には、敷布団が二つ、仲良く並んでいる。


 


ミコトがちらりとカナトを見やって言った。


 


「ねぇ、なんで……隣で寝るの?」


 


「ん? いや、俺寝相よくなったんだよ! 多分!」


 


「“多分”かい……」


 


「心配すんなって! 昔は寝返りで人ぶっ飛ばしてたけど、今は無害。ピクリとも動かない俺!」


 


「……それはそれで怖いんだけど」


 


ふたりは笑った。


笑いながら、少しずつ布団に身体を沈めていく。


 


ふと、天井を見つめながらカナトが言った。


「……でもさ、やっぱ嬉しいよ。お前が、ここにいるの」


 


ミコトは、黙ってうなずいた。


 


「こっちこそ……ありがとう。……あの時、来てくれて」


 


「そりゃあもう、当然っしょ」


 


「……うん」


 


部屋は静かで、外では虫の声がかすかに響いている。


 


やがてミコトがぽつりと呟いた。


 


「こんなに……何にも考えずに眠れる夜って、いつぶりだろう……」


 


カナトは、隣で「んー……」と眠そうに返す。


 


「安心していいぞ。俺、ちゃんと隣にいるからさ」


 


「……うん」


 


その夜。


ようやく訪れた“何も起こらない夜”。


ミコトのまぶたは、自然と閉じていった。


そして、カナトも――すぐに寝息を立てはじめる。


 


月明かりが、二人の布団を淡く照らしていた。


 


“おかえり”と、“ただいま”が交差する夜。

その静けさは、何よりも心強い守りだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ