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王宮の調理場で、こっそりクッキーを

王宮の長い廊下を歩いていると、ふと扉の向こうから小声が聞こえてきた。

立ち話をしているのは、カナトの直属の護衛騎士たち――


 


「……最近、隊長、ちょっと顔色悪くねぇ?」


 


「だよな。寝てねぇんじゃね? 無茶してんだよ、たぶん」


 


「前より“笑ってごまかす”こと増えた気がする」


 


 


私は立ち止まり、思わず聞き耳を立ててしまう。

カナトの顔が脳裏に浮かぶ――

いつもの、ふざけたようでやさしい、あの笑顔。


 


(……もしかして、無理してるのかな)


 


自室に戻ってからも、どこか落ち着かなくて、

テーブルの上に置いてあった小さなクッキー缶に目をやった。


 


(……これだ)


 


ぱん、と手を打つ。


 


クッキー。

甘いもの。

頑張ってる人が、少しでも「ホッと」できる何か。


 


「……作ろう、私が」


 


私は意を決して、調理場を統括する王宮料理長の部屋へ向かった。


 



 


料理長は、白いコック帽を脱ぎながら私を見て、少し驚いた表情を浮かべた。


 


「……ミコト様が、厨房に?」


 


「はい。お願いがあってきました」

「クッキーを作りたいんです。……隊長に、届けたくて」


 


「できれば、空いている時間を教えていただけますか?」


 


その言葉に、料理長は一瞬だけ目を細めて――やがて、口元を緩めた。


 


「……なるほど。噂は本当だったのですね」


 


「え?」


 


「いえ、“騎士団長の隣にいると、あの方が穏やかな顔をされる”と。

王宮の厨房は、明日早朝なら空いております。火も、香りも、誰にも気づかれずに済みますよ」


 


「……ありがとうございます!」


 


私は深々と頭を下げた。


 


その日、王宮の奥――誰もいない厨房で、

私は世界で一番“ささやかで、特別な贈り物”を焼き始めるのだった。





その香りは、懐かしかった。


 


母さんと、一緒に作ったクッキー。

たった一度だけの記憶。

あの時も、少し焦がしてしまって――でも母さんは笑ってくれた。


 


「見た目なんてどうでもいいのよ。

大切なのは、あなたが“誰かを思って作った”ってこと」


 


 


火を止めて、オーブンの扉を開ける。

湯気といっしょに、ちょっと香ばしいにおいが広がった。


 


「……ちょっと、焼きすぎたかも……」


 


私はそっと手に取って、並べたクッキーを見つめる。

形もいびつで、角が少し焦げている。


 


(……こんなの、渡していいのかな)


 


ふと背後で、料理長の落ち着いた声がした。


 


「見た目ではありませんよ」


 


「え?」


 


「どれだけ気持ちがこもっているか。

それが伝われば、どんな料理でも“特別”になるんです」


 


私は、その言葉に胸がじんわり温かくなって――

静かに頷いた。


 


「……ありがとうございます」


 


 



 


しばらくして、私はクッキーを包み終えると、

入口に控えていた護衛の騎士に声をかけた。


 


「……あの、ひとつお願いがあります」


 


「なんでしょう?」


 


「騎士団本部に行きたいんです。

王宮と同じ敷地内にあると聞きました。……案内してもらえませんか?」


 


護衛は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。


 


「もちろんです。

……その包み、隊長宛てで?」


 


「……はい。

でも、内緒で」


 


「……了解しました」


 


笑みを浮かべて、騎士はミント色の外套を揺らしながら先を歩く。

私は小さな包みを胸元でぎゅっと抱きしめ、静かにあとをついて行った。


 


このクッキーが、

誰かの一日を、少しでもあたたかくできますように――







騎士団本部の門をくぐると、すぐに空気が変わった。


 


冷たく張り詰めた空気の中、

訓練場の方から――怒声が響いてきた。


 


「ちゃんとやれッッ!!」


 


その声に、思わず足が止まる。


 


「それで、本当に“守れる”と思ってんのか!?

大事なもんが目の前にいたら、そんな甘さじゃ死ぬぞ!!」


 


乾いた剣戟の音。

土を蹴る足音。

息遣い。叫び。


 


その中心に――カナトがいた。


 


私は、塀の影にそっと身を寄せ、目を凝らす。


 


カナトは訓練用の木剣を構え、数人の騎士相手に一人で立っていた。

それも――全員を相手にして、圧倒していた。


 


「ほら、かかってこいよ!!

お前らが守りたいもんって、その程度か!?」


 


鋭い動きで一本を取り、

次の一撃で別の騎士を地面に沈める。


 


「“気持ち”が弱いと、剣も鈍る。

今のお前らは全員、“敗北前提”で動いてる!!」


 


その言葉に、若い騎士たちが悔しそうに唇を噛む。


 


(……こんな顔、知らなかった)


 


胸がぎゅっと締めつけられた。


 


軽口ばかり叩いて、

いつも私の前ではふざけて笑ってた。


 


でも今、目の前にいる彼は――

剣を振るうたびに、誰かの命を背負ってるように見えた。


 


その背に、“覚悟”があった。


 


(……かっこいい、なんて言葉じゃ足りない)


 


思わず、胸元に抱えていた小さな包みを見つめる。


 


(こんなの、渡して……いいのかな)


 


焦げたクッキー。

いびつな形。

でも――


 


「隊長ッ! そこは無理です!」


 


「黙ってこいッ!!」


 


訓練場に響くカナトの声。

彼の背中は大きくて、鋭くて――でも、どこか遠く感じた。


 


私は塀の影から、ずっとその姿を見つめていた。

手の中の小さな包みが、やけに重たく感じる。




さっきまで「届けたい」って思ってたのに、

訓練中のカナトを見ていたら、どんどん不安が押し寄せてきた。


 


(だって……こんな焦げたクッキー……しかも形もぐちゃぐちゃで……)


 


(“甘いもんなんかいらねぇよ”って、笑って流されるかもしれない)


 


胸が苦しくなって、思わず俯く。


 


その時だった。


 


「……ミコト様」


 


隣で控えていた護衛の騎士が、そっと声をかけてきた。


 


「ずっと見ておられますが……渡さないのですか?」


 


「……う、うん……」


 


少しだけ、苦笑いを浮かべる。


 


「なんか……こんなの渡してもいいのかなって。

……急に、不安になってきてます」


 


私の声がかすれる。


 


「焦げちゃってるし、形も悪いし、

……それに、カナト……すごく“立派な人”に見えて……」


 


その言葉に、護衛の騎士は小さく笑った。


 


「……ミコト様、知ってましたか?」


 


「え?」


 


「隊長、甘いものがあるとき、誰にも言わずに一人で隠れて食べるんですよ。

――特に、“手作り”に弱いんです」


 


 


「……っ」


 


一瞬、胸の奥がふわっとほどけた。


 


「不安になるのは、“気持ちがこもってる”証拠です。

きっと隊長も、ちゃんと受け取ってくれますよ」


 


そう言って、護衛の騎士は少しだけ背を向けた。

“あとはご自由にどうぞ”とでも言うように。


 


 


私は、もう一度包みを見下ろした。

ぐちゃぐちゃな形の、焦げたクッキーたち。


 


でも――


 


(……この気持ちは、ちゃんと本物だ)


 


私は深呼吸して、

ゆっくりと、一歩を踏み出す。


 


震えるほど緊張していたけれど――

あの背中を見ていたら、ちゃんと「届けたい」って思ったから。


 


訓練場の空気が、すぅっと変わるのを感じた。


 


「……あれ……ミコト様?」


 


「え? 本物……?」


 


騎士たちのざわめきが広がっていく。


 


その視線の先――

訓練中のカナトが、視線の違和感に気づいた。


 


「……?」


 


振り返る。


 


そして、目が合った。


 


「――っ!? は!?」


 


カナトの目がまん丸になる。


 


「ミ、ミコト!? なんで!? ここまで来たの!? いや、あの、訓練中で俺いま……すげぇ汗……うわちょっと待って!!!」


 


慌てて髪をかきあげようとするカナトの額に、私はそっとハンカチを当てた。


 


「動かないで」


 


「えっ……」


 


真夏の陽の下で、額に浮いた汗を、私はやさしく拭った。


 


カナトの動きがぴたりと止まる。

すこしだけ――顔が赤い。たぶん、日差しのせいじゃない。


 


私は、おそるおそる小さな包みを差し出した。


 


「……あの、たまたまクッキーを焼いたの」


 


「たまたま?」


 


「そう。たまたま。ほんとに、たまたま……」



 


「ちょっと焦げちゃったんだけど、

……カナト、食べてくれるかなって思って」


 


小さな声でそう言って、私は手のひらをそっと差し出す。


 


その瞬間、カナトの目がゆっくりと和らいで――

いつもの、でも少し違うやさしい笑みを浮かべた。


 


「……おう。

焦げてても、全然いい。

ミコトが焼いたんなら――世界一うまいに決まってんじゃん」


 


 


不意に、空気がゆるむ。


 


騎士たちはそっと目を逸らし、

“誰もこの空間を邪魔しない”という意思が、空気に溶けていった。


 


私は、ふっと息を吐いて笑った。


 


「……じゃあ、“たまたま”じゃないって、言ってもいい?」


 


「言えよ、最初から!! 

俺、どんだけ焦ったと思ってんだよ!!」


 


「ふふっ」


 


クッキーの包みは、カナトの手の中で、

どんな宝石よりも、大切そうに抱かれていた。





カナトがクッキーを受け取った瞬間――

訓練場の空気は一変していた。


 


「え?」「ちょ、マジかよ」「あれ、手作り……?」


 


隊員たちが小声でざわつく。だが、そのうちのひとりが――

言っちゃった。


 


「……え? 隊長、よかったじゃないっすか~~~!!」



 


カナトの顔が爆発しそうなほど赤くなった。


 


「うるせぇぇぇぇえええええええええ!!!!!!」


 


耳まで真っ赤にして叫ぶカナト。


 


「全員、腕立て300!!!!いや500!!!今すぐやれぇぇぇ!!!!!」


 


「ちょ、俺!?俺関係ないじゃん!?!?」


 


「空気吸って笑った時点で有罪だぁぁぁ!!!!」


 


 


ミコトはそっとハンカチを握りながら、口元を手で隠して笑った。


 


(……よかった。渡して)


 


カナトはその笑顔をちらりと見て、ぎこちなく顔をそらす。


 


「……ほら、これだからお前らに見られたくなかったんだよ……」


 


「え?なになに〜? 隊長、“世界一幸せ”って顔に書いてありますよ」


 


「お前も腕立てな!!!!全員で山まで走れぇぇぇぇ!!!」


 


 


訓練場はしばらく、照れと爆発と地獄の腕立て地獄に包まれた。


 


けれどその中心で、隊長の腕の中には――

いびつだけど、あたたかくて、誰よりも優しい“クッキー”があった。







その夜

ミコトが寝台に入ってきたとき――

すぐに気づいた。今日は、どこか違う。


 


いつもより表情が明るくて、軽やかで。

けれど、俺の隣でそういう顔をする時、決まって“原因は俺じゃない”。


 


「……騎士団本部へ行ったんだって?」


 


「……うん、ちょっとだけ」


 


“ちょっと”という言葉のあとに続く沈黙で、わかってしまう。

彼女は、きっと“よかった”と思ってる。

――カナトに、何かしてあげられたことを。


 


俺は、静かに問う。


 


「……で、クッキーは?」


 


「え?」


 


「カナトに渡したと聞いている。

……俺には?」


 


ミコトが、少しだけ困ったように笑った。


 


「今回は、カナトに作ったの。

レイガには……ごめん。次、焼くね?」


 


その“次”が来る保証なんてない。

そう思ってしまう自分が、ひどく情けなかった。


 


「……そうか」


 


短く答え、視線を逸らす。


 


(なぜ、君はあんなにも自然に――カナトの名前を出せる)


(俺には、“ミコト”とすら公には呼べない立場なのに)


 


嫉妬は、心の奥にじわじわと染みてくる。

それを見せたくなくて、いつものように、口調は変えずに続けた。


 


「焦げていても構わない。

むしろ……焼きすぎたくらいが、君らしい」


 


「レイガ……?」


 


「……なんでもない。楽しみにしているよ」


 


ミコトがふわっと笑って、隣でまぶたを閉じた。


 


その寝息が聞こえるまで、俺はずっと目を閉じたまま、

手を組んで胸の上で押さえていた。


 


――焼き焦がしていたのは、

あのクッキーじゃない。


 


俺の心のほうだった。




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