すれ違いと、真実の温度
午後の陽光がやわらかく降り注ぐ中庭。
鳥のさえずりさえ、今日はやけに耳に障った。
「……俺が弱いからだろ?」
カナトの声は静かだった。けれど、胸の奥に熱いものを押し込めるような、切実さを帯びていた。
「だから、帰ってこないんだろ……?」
その言葉に、ミコトは一瞬目を瞬かせ――それから、首を傾げる。
「……え?」
「……なに言ってるの、カナト?」
彼の顔が、ゆっくりと歪む。
まるで、殴られたような、そんな顔で。
「な、なにって……お前、俺のこと、避けて……ずっと……」
ミコトは眉を寄せて、それから小さく笑った。
少しだけ、困ったように。
「……え? だって……危ないから、ここで暮らせって――」
「……レイガが言ってくれたんだよ?」
「…………」
「だから、ここで暮らしてるだけだよ?」
「……………………え?」
「……あれ? カナト、聞いてなかったの?」
沈黙。
カナトの表情が、一瞬で崩れていく。
その目はまるで世界がひっくり返ったみたいに、ぽかんと宙を泳いでいた。
「そ、そんな……いや、でも俺……え?」
「カナト……てっきり知ってると思ってた。
あのとき、レイガ……みんなの前で言ってたじゃん?」
「………………まじで?」
そのときだった。
「――言ったはずだが?」
冷たい声が、風に乗って届く。
振り返ると、そこにはいつものように背筋を伸ばしたレイガが立っていた。
「お前には、あの場できちんと伝えたつもりだった」
「い、いやいやいやいやいや、聞いてねぇよ!?!?!?!?!?」
「……憔悴していたからな。
……話が、耳に届いていなかったのだろう」
「おいっっっ!!!!!!!!」
ミコトが、こめかみに指をあてて小さく息をつく。
「……どおりで話、噛み合わないわけだ……」
レイガはまっすぐにミコトを見る。
「改めて言おう。
“彼女は俺が預かる”と、決めた。
……また、失わせないために」
その言葉に、カナトは言葉を失った。
拳を握りしめて、ぎり、と歯を食いしばる。
けれど――
すべての誤解が解けた今。
心に残ったのは、情けないほどの安堵だった。
(……ああ、そうか……)
(俺、ほんとに……ただのすれ違いで、勝手に絶望してただけじゃねぇか……)
ミコトが、そっと笑う。
「……馬鹿だなぁ、カナトは」
その声が、あまりに優しくて。
たまらなくて、泣きそうだった。
「……じゃあなんで、レイガと寝てるんだよ……」
夕陽が射す中庭。
カナトの問いかけに、ミコトは静かに口を開く。
「本当はね、夜がとっても怖いの。
誰もいない気がして……夢に、たくさんの“声”が響いてくる」
「レイガいるとね、レイガの温もりが、私の心を癒してくれるの」
カナトは、悔しそうに拳を握る。
「じゃあ……じゃあ俺だって……」
「……いいじゃん、俺だって隣にいられる……」
ミコトは少しだけ眉を寄せ、ぽつりと答えた。
「……寝言、うるさいんだよね」
「……えっ?」
「“ばあちゃんの味噌汁サイコー”って、夜中に叫んでた。
あと足。すごいバタバタしてる。
別邸の時なんて、廊下まで響いてた……」
「……」
「……え、マジで?」
「うん、しかも私の布団奪い取ったの、一回。
それで私、風邪引いたんだからね?」
カナト、ぐうの音も出ない。
「でも」
ミコトは、ふっと笑った。
「……朝起きたとき、カナトがいてくれるの、好きだよ」
カナトの目が見開かれる。
「夜にレイガがいてくれることで、私は安心して眠れる。
でも――
朝を“日常”に戻してくれるのは、カナトなんだと思う」
その言葉に、カナトはようやく、肩の力を抜いた。
「……俺、味噌汁の寝言……治すわ」
「がんばって」
レイガは、少し離れ、その会話を聞いていた。
表情は変わらず、ただ静かに目を伏せる。
けれど――その唇の端は、わずかに、微笑んでいた。
「……夜を守る役目、引き続き頼まれてるってことで……いいんだよな」
それは、自分だけが知っている“愛され方”。
そして、彼女を守るために与えられた、唯一の居場所。
レイガは背を向け、静かにその場を離れる。
風が通り過ぎる中――
残されたカナトとミコトの間には、どこかあたたかな空気が流れていた。