扉の奥に眠る少女
かつて、この国には“神の癒し手”が存在したという。
万人を癒し、病も怪我も死さえも遠ざける――それは、祝福か、呪いか。
今、この国にはもう、癒しの術者は存在しない。
魔法は衰退し、技術は発展し、しかし“命を救う手段”だけが追いつかない。
王妃は病に伏し、王子は生まれながらに命の灯が弱かった。
あらゆる医師、あらゆる魔導士が手を尽くしたが、
もはや「奇跡」以外にすがれるものはなかった。
そんな折――
ある古文書が、王家の書庫の奥で見つかった。
『癒し手は今も生きている。
不死なる少女、神殿の最奥に封じられし者。
“魂を握り潰した”咎により、
今なお祈りの中にある』
王は悩み、ためらった。
だが、妃と子の命を前に、
一人の父として、国王は跪いた。
──そして今、王は神殿の最奥に立っている。
乾いた石の床を踏みしめ、
古代の封印を守る番人が鍵を差し込む。
重く、重く、扉が開く。
音が響く。
光が射す。
そこに――彼女はいた。
灰色の着物をまとい、
煤けた帯、焼け焦げた裾。
長い髪は手入れされずに流れ、
閉じた瞼のまま、少女は静かに正座していた。
それは、まるで時が止まったままの風景だった。
「……癒し手よ」
国王は膝をついた。
「どうか……どうか、我が妻と子を……救っていただけませんか」
少女は、ゆっくりと目を開けた。
その瞳は、色がなかった。
すべてを見て、すべてを拒まれて、すべてを知ってしまった者の目だった。
「……また……」
小さく、吐息のような声。
「また、“高貴な魂”ですか?」
国王は、ハッと顔を上げた。
だが、何も言い返せない。
彼女の言葉は、まっすぐに突き刺さる。
少女は、立ち上がらない。
座ったまま、ただまっすぐに、王を見つめた。
「私の癒しは、“高貴な魂”だけのものではない。
それを言っただけで、私は……
村を焼かれ、大切な人を殺され、
2000年、ここに閉じ込められたんです」
「……承知しています」
王は唇を噛んだ。
「私の祖先が、あなたを……あなたの人生を奪ったことを。
だけど今……どうしても、あなたしか、救えないのです」
少女は、静かに目を閉じた。
その場の空気が張り詰める。
「では、ひとつだけ、質問をします」
「その命を、癒す“資格”があるのは――
魂の“高貴さ”ですか?
それとも、“生きてほしいと願う誰かの祈り”ですか?」
王は、答えを出すまでに少し時間がかかった。
「……私は、父として祈りました。
王としてではなく、夫として、父として。
私の願いは、“資格”ではなく、ただ――」
「生きていてほしい、という祈りです」
少女のまつげが、わずかに震えた。
「……その言葉、
2000年前の私が、聞きたかったな」
少女は、立ち上がった。
着物の裾が音を立てて床を滑る。
「……連れていってください。
その命、私が“勝手に”癒してあげます」
世界が、再び揺れ始めた。
──彼女はまだ、
癒すことを、やめていなかった。