還る場所
王宮からの帰路。
カナトが「寄りたいところがある」と言ったミコトの言葉に、眉をひそめた。
「……」
「どうしても……かつての私の故郷に行きたいの」
その瞳は、覚悟を秘めていた。
もう、何度も夢で見ていた場所。
全てを失った、あの“村”へ。
***
王都から2時間ほど離れた場所。
森を抜けた先、ミコトは目を見開いた。
「……」
そこに、かつて“村”と呼ばれたものは、もう何一つ残っていなかった。
あの家も、あの柿の木も。
弟がよく遊んでいた小川も、母の畑も。
全ては燃え、時を経て、深い森に覆われていた。
「……こんなに、何もなくなっちゃうんだね」
ポツリと呟いたミコトの足元を、風が撫でる。
木々のざわめきだけが、返事のように揺れていた。
カナトは、少し後ろで静かに見守っていた。
何も言わずに。
森の奥へ、ミコトはゆっくりと歩く。
足が、自然とそこを目指していた。
……そして。
奥の奥。
もう誰の足も踏み入れていないような茂みを抜けたその先に、それはあった。
一本の、古びた慰霊碑。
静かに、けれど確かにそこに立っていた。
「……誰が……こんなのを……」
ミコトは膝をつき、震える指で慰霊碑をなぞった。
そこには、名前がひとつだけ――
**「アルファード」**と、刻まれていた。
「……うそ、でしょう」
声が、かすれる。
ミコトはその名を、夢でも何度も呼んでいた。
王都に連れてこられたあの日。
すべてを失ったあの時、唯一寄り添ってくれた――
「……どうして、あなたが……」
慰霊碑の前で、ミコトはそっと手を合わせた。
「私、今でも思い出すの。あなたがくれた水。あなたが言ってくれた言葉」
“お前は、生きてるだけでいい”
「……あれが、あの日の私を、救ったのよ」
涙が頬を伝う。
けれど、ミコトの顔には、わずかに微笑みが浮かんでいた。
「ねぇ、アルファード……私、今、生きてるよ。ちゃんと、誰かを救えるようになったの。……ちゃんと、力を“使える”ようになったのよ」
風が、木々を揺らす。
まるで、その声に応えるように――
「……この慰霊碑、誰が建てたんだろうな」
背後から聞こえたカナトの声に、ミコトはゆっくりと振り返った。
「……アルファード。あの子が、建てたの」
「……え?」
カナトの眉が動く。
ミコトは、慰霊碑をそっと撫でながら続けた。
「私が王都に連れてこられた後……毎日泣いてばかりいた。怖くて、悲しくて、悔しくて……誰も私を人として見てくれなかった」
「……」
「そんな時に、声をかけてくれたのが、アルファードだったの」
風が、木々の葉を揺らす。
「貴族か、もしかしたら王族の子だったと思う。けれど、あの子だけは“癒し手”じゃなくて、“ミコト”として見てくれた」
ミコトの瞳が、遠い記憶を辿るように細められる。
「“命に貴賤なんてない。君が殺されるなら、僕は黙っていない”って、真っ直ぐに言ってくれたの。村の人たちを殺すことにも、私を封じることにも、最後まで異議を唱えて……それでも、どうにもならなかった」
少し間を置いて、ミコトは微笑む。
「私が封じられる前に、彼は言ってくれたの。“君がいなくなっても、僕は忘れない。せめて……僕には、これくらいしかできないから”って」
ミコトが見つめる先――その慰霊碑。
「この碑は、あの子が建てたの。私の代わりに、村の命を弔ってくれた。誰にも見つからないように、森の奥に」
カナトは、ゆっくりと慰霊碑のそばに歩み寄った。
そして、そっと頭を垂れる。
「……そんな人が、いたんだな」
「うん。王都での“たった一人の友達”だった」
ミコトの声は穏やかだったが、そこには深い想いが込められていた。
「なぁ、ミコト」
カナトが顔を上げ、真っ直ぐにミコトを見る。
「そいつのこと、今のお前が覚えてる限り……ずっと伝えてやれよ。ここに来るたびに、何度でも」
「……」
「俺にはわかんねーけどさ。でも、きっと――お前にとって、そいつは、生きてるんだろ?」
その言葉に、ミコトはふっと笑った。
「……うん。生きてる。今も、ずっと」
風が慰霊碑を撫でるように吹き抜け、木々が小さく揺れた。
ミコトはもう一度、静かに手を合わせる。
「ありがとう、アルファード……ずっと、忘れないよ」
その想いが、風に乗って空へと舞い上がっていった。
夜――
ミコトとカナトが慰霊碑から帰ってくると、
玄関先に、馬を繋いだ使者と護衛数名。
そして、その中心に立っていたのは――
「……遅かったな。ミコト」
──レイガだった。
「え……どうして、ここに……」
「明日からしばらく会えそうにないからな。……だから、どうしても今日、お前の顔を見ておきたかった」
彼の目がまっすぐミコトに向けられたかと思えば、すぐにその表情が曇る。
「……目が赤いじゃないか。泣いたのか? カナト、お前、ミコトに何を――」
「いやいやいや、俺は潔白っすよ?」
カナトが両手を挙げてひらひらと振る。
その顔には、まるで言い訳する気ゼロの余裕の笑み。
「泣かせたのは俺じゃなくて、“アルファード”さんなんで」
「……誰だ、それは」
レイガの眉がぴくりと跳ね上がる。
「んー……あっっっぶな!」
カナトはわざとらしく口元を押さえ、にやっと笑う。
「ついポロッと出ちゃったけど……それ、“二人だけの秘密”だったわー。ね?ミコトさん?」
ミコト:「……もう、からかわないで」
「はぐらかすな。誰だ、その“アルファード”ってのは」
レイガが一歩踏み出す。口調は冷静を保っているが、その声には焦りが滲んでいた。
カナトは肩をすくめて、ひょいっと壁に寄りかかる。
「……王都での“たった一人の友達”だってさ。ミコトが封じられる前、ずっと支えてくれてたって。ま、詳しくは言えないけど、相当大事な奴だったらしいよ」
「“だった”……?」
「うん。今はもう、いない。――けど、今でもミコトの中じゃ、生きてるらしいからさ」
その言葉に、レイガが言葉を失う。
カナトは、その沈黙すら煽るように、軽く口笛を吹いた。
「……ま、そういう人って、いるよな。誰にでも一人くらいさ。心の奥に残ってる人が」
その声の裏に、微かな挑発の色。
そして、
「お前は、それでいいのか? レイガ」
とでも言いたげな視線が、ちらりと送られた。
ミコト:「ふたりとも……お願いだから、喧嘩はやめて?」
そう言いながら、ミコトは微笑む。
でもその目には、どこか遠くを見つめるような、静かな光があった。
“たった一人の友”への想い。
そして、今を共にする者たちへの感謝。
――誰かを思う気持ちは、時を超えて、確かに心に灯り続けるのだから。