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 サイとの最後の日がおとずれた。

 この数日のあいだ、サイのことが頭から離れないわけではなかったが、運命の相手について考えようとするとサイの顔が浮かんで、衝動のような焦りのような、これまでがんじがらめになっていた心は落ち着いていた。

「顔が見えない」

 定位置に腰を落ち着けたが、サイの顔がキャンバスにはばまれて右半身しか見えないのだ。

「わたしからは見えますね」

「俺からは見えないから、ちょっと移動しちゃだめ?」

 ユーグレトが自分の椅子の位置を変えようとすると静止され、サイが自分の椅子を動かした。

「ありがとう。サイちゃんの顔がはっきり見えるよ。ところでこういうのって位置変えたら描きにくくなったりする?」

「あとになってそんなこと言うのはどうかと思いますけど。もう仕上げだけなので気にしないでください。はじめますよ」

 サイは筆を取ってキャンバスへ向きあう。ときおりユーグレトのほうを見るが、ユーグレトと目があうことはない。

 このまえ初めて意識をしたあわく紫がかったブルーグレーのひとみは、窓から差し込む光のせいか今は白みがかって見える。何色にも染まっていないような色だ、とユーグレトは思った。

 これまで、出来上がった肖像画を見たことはなかった。興味がなかったからだし、どこの家に飾られているかと聞いてはいるが、その家にまでわざわざ観にいくことなどはしたことはない。

 しばらく黙って座っていたが、ユーグレトはそれにも飽きてきた。今日のおやつはクッキーのようで、上面に紫色の花びらが見え、今日もイチュークなのかもしれない。おいしそうだが、今はおなかはすいていない。

「サイちゃん、最終日だし俺の話聞かない?」

「聞いてほしいならどうぞ」

 では遠慮なく、とポーズを崩さないままユーグレトは話しはじめた。

「父さんも母さんも立派なひとだよ。今だって国中をまわって人助けをするくらいだ。誰より尊敬してるし、あらゆるところにあのひとたちを尊敬してるひとはいるだろうけど、俺がいちばん尊敬してるって言えるほどにだ」

「ユーグレト様は、ご両親のことが大好きなんですね」

「そうだ。だから」

 ユーグレトは声を詰まらせた。誰かのせいにはけしてしたくない。それでも大きなプレッシャーは生まれたときからある。きみはきみらしくあれと両親はユーグレトを育ててくれたし、だから今のユーグレトは自分のことが嫌いではない。

「父さんと母さんみたいに、たったひとりの自分だけの相手が欲しかっただけなんだよねえ」

 子どものころから刷り込まれてきた憧れは、憧れるほどに年々変な方向に進んでいかなかっただろうか。

 これからの未来を考えたときに、どうしようもなく孤独を感じるのだ。両親に憧れるからこそ、両親のようにたったひとつの誰かを見つけられるのだろうか、と。

 幼いころから弟妹のように見てきたティアサイトとサーヴィアは、それこそ昔からずっとお互いがお互いのたったひとりだった。回り道をしたけれど、いつかは必ずぴたりとはまるとわかりきっていて、そしてきれいにおさまった。それを心の底から喜んだのに、ざわめく気持ちもある。

「ユーグレト様はご両親をすばらしい方とおっしゃってますけど、ご自身はまた別の魅力があるからこそ、今この教会で生きていらっしゃって、こうして肖像画が高値でやりとりされるんですよ」

「高値なの?」

 半笑いで聞くと、サイは呆れ顔でゆっくりと頷いた。ユーグレトに入ってくるお金はないから金額は知らないが、この肖像画を購入するためのお金は教会への寄付へとなっている。

「ユーグレト様の教えはとても噛み砕いてお話しされるからわかりやすいですよ。だからあなた自身が慕われているし、わたしみたいに信心深いわけではない人間にでも響く。それはこうしてまっすぐ自分に向き合ってきたからなんでしょうね」

 ユーグレトは浅く呼吸をした。普通にしていたら目元に滲んでくるものがありそうだった。サイがユーグレトの話を聞きにきていたということは知らなかったし、そうして誰かの心を動かすことができていたのだと知らされることは、いつだってユーグレトのほうの心を揺さぶってくる。あの両親の子どもだからではない、ユーグレトという人間を築き上げてきた人生は、両親に誇れる自分でいられる。

「ユーグレト様は、ためしにわたしとも寝たいと思いますか?」

「そういうのはもうやめるって決めたから寝ない」

「では、前に恋をしたい気持ちで女性たちはあなたの元を訪れているって話をしたことを覚えていますか?」

 ユーグレトは頷く。

「一種の願掛けなんですよ。ユーグレト様に一晩の情けをもらったことを誰にも言わずにいたら、そのあとに運命の相手に出会えるらしいです。しかも必ず」

「ねえ、誰にも言わないでいたのにそれ広がってんの?」

「そういえばそうですね」

 それに、前回に会ったときに、前日にユーグレトと関係を持った相手の話をサイから聞いた記憶もある。かなりいい加減な願掛けだ。

「ひとの恋路を叶えまくってるひとが誰も見つけられないとか笑えない……いや、笑ってもらったほうがいいな」

「じゃあわたしとかどうです?」

「は?」

「案外悪くないと思うんですけど」

 その言い方だと、ユーグレトに臆さないような家柄に聞こえる。けれどこれまでサイのことをそこまで知らないし、なんだったら家名だって知らない。

「きみ、どっかえらいおうちの子だったりしたの?」

 身を引いたユーグレトに、サイは首をかしげる。

「えらいおうちの子、と言われればユーグレト様もそうですよね。そうしたらわたしもそうかもしれないです。動かないで」

「どこのうちの子なんだ」

 うなだれると、動かないでってば、と続く。

 面倒な家名がいくつか浮かんでは消えていく。

「あなたにとっては面倒な家名は出てきませんよ。いや、ある意味面倒かもですけどね」

「どういうこと」

 サイはユーグレトと少しだけ目を合わせたあと、ふたたびキャンバスへと戻った。

「ユーグレト様、わたしはあなたのご両親に拾われた命なんです。実の両親を病で亡くして村の多くが病に侵されている中におふたりがやってきて、わたしを含めてわたしのように家族を亡くした子どもたちのお父さんとお母さんになってくれるって言ってくださった」

「きみは……」

「ユーグレト様のこと、お兄さんって呼んだほうがいいですか?」

「やめて」

「そうですか」

 残念そうに言うサイは本音かどうかはわからない。

「すごいひとなんだよねえ、うちの父さんと母さん」

「ええ、本当に」

 サイは嬉しそうに目をすがめて微笑む。

 新しい人生、という言葉がユーグレトの中に浮かぶ。

「ねえ、いつごろ描きあがるの?」

「今日の予定だったんですけど予定時間までには終わらなさそうですね」

「きみともう少し話したい」

 サイは筆の動きを止める。

「きみと、新しい人生について話したい。きみの新しい人生を聞いてみたい」

「それなら、朝までわたしと飲み明かします?」

「そういう夜もいいかもしれないね。ああそうだ、画家のみんなの最後の日にはいつもお酒をプレゼントしていたんだけど、それを持ってきたよ」

「それならちょうどいいですね」

 サイは袖まくりをして、持参したイチュークのクッキーを口に放った。集中するという合図なのだとわかったから、ユーグレトは姿勢を正して口をつぐむ。


 やがて日が暮れてきたころ、サイは筆を置いた。

「イチュークって朝に花びらをひろげて、夕方にはとじるんです。知ってました? 朝摘みのものをお菓子に使うとおいしいんですよ」

 クッキーはすべてサイが食べてしまってもうなくなっている。ユーグレトはイチュークの花を思い浮かべながら気がついた。

「イチュークの花は、サイちゃんのひとみの色に似てるね」

 サイは目をみひらいてユーグレトを見つめている。サイのそんな表情を見たのは初めてだったし、そんなに驚かせるようなことを言ったとは思えない。

「すごいひとですね、ユーグレト様って」

「なに、今わかった?」

 椅子から立ち上がったサイにつられるようにユーグレトも立ち上がる。座りっぱなしで凝ったからだをほぐすように肩を回す。

 サイはそんなユーグレトのそばまで近づいてくると、まっすぐに見上げてくる。

「今の言葉は、ユーグレト様がわたしの運命の相手かなって思っちゃいましたよ」

 これまでさまざまの相手と話をして、からだを重ねてきた。けれどそんな言葉は誰からもかけられたことがなかったことに、ユーグレトは気がつく。そして同じような言葉を誰かに言ったこともない。

 いつか、ユーグレトも両親のように、花のかたちのピアスを誰かに贈って愛を乞うのだろうか。そのときを憧れていたくせに、これまでひとつも具体的に考えることができなかった。

 しかし今は、いつかのその日は、イチュークのピアスを贈るようにおもえた。

「サイちゃん」

「はい」

「ためしに寝てみるのはやめたけど、キスはしてみたい」

 サイはじっとユーグレトを見る。言わなければよかっただろうかとユーグレトは思った。しかしサイが肩に手を置いて、背伸びをした。ユーグレトはそれに引き寄せられるように顔を寄せる。くちびるがくっついて、離れた。かさついたくちびるだった。

「うん」

「運命っぽい感じしました?」

 サイが笑いながら言う。

「わかんなかったから、もう一度、だめ?」

 ユーグレトがその場にしゃがんで上目遣いで言う。サイはふっと笑って、身を屈める。もう一度キスをすると、ユーグレトはまぶたをおろす。ついばむようなキスを繰り返すと、調子に乗りすぎ、と肩を思い切り叩かれた。

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