第十話
小さく頷いた学人の手の上で、パラパラとページが捲られていく。
一巻は、ラナの死を乗り越え、再び前を向いて進むところで終わっている。レラインの作ったミルヒライスが出てくるのは、最後の方だった。
ピタリとページが止まり、学人の細長い指が一文を撫でる。
【レラインはカイルの前にミルヒライスの入った皿を置くと、隣に座った】
剥がれ落ちた文章が宙を舞い、ミルヒライスだけを残して崩れ去る。ミルヒライスをチョンとつつけば、牛乳をまとった白米が零れ落ちてきた。
学人がどこからともなく真っ白なお皿を取り出し、ミルヒライスを受け止めると穂乃果の前に置いた。
温かな湯気に乗って、シナモンと牛乳の甘くスパイシーな香りが広がる。
シナモンの影に隠れているが、やや重みのある甘い香りはバニラだろうか。深く吸い込めば、思わず口元が緩むような優しい甘さがあった。
銀のスプーンを手に取り、そっとミルヒライスをすくう。
穂乃果の知っているお米よりもだいぶ柔らかく膨らんだお米の上には、茶色いシナモンがふんだんにかかっていた。
ゆっくりと持ち上げ、そのまま止まった。
もしも何の味もしなかったらどうしようかと、恐怖に指先が震える。穂乃果は、美和がミルヒライスと言ったときに、それがどのシーンに出てきたものなのかすぐには思い出せなかった。その程度の思い入れしかない料理が、果たして美味しいのだろうか。
(でも、逃げないって決めたから)
小さく深呼吸をしてから、勢いよくミルヒライスを口に入れた。
最初に感じたのは、予想外の熱さだった。考えてみれば、湯気が出るほどに熱々なのだから、当然と言えば当然だろう。
「あぁっ! ふーふーしてから食べないとっ!」
学人が慌ててどこからともなく水の入ったグラスを取り出し、穂乃果の前に置く。穂乃果は左手だけで感謝の意を伝えると、ハフハフと口の中に空気を入れて冷ました。
温かな熱が、喉を滑り落ちていく。少々火傷をしたらしい舌がピリピリと痛んだが、口内に広がる濃厚な甘さはしっかりと感じられた。
確かめるように、舌に残った味をじっくりと味わう。
牛乳の優しい甘みを、砂糖が補っている。バニラの香りがさらに甘さを強め、それをシナモンが引き締めている。
「……美味しい……?」
ポツリと呟き、二口目をスプーンに取る。今度はきちんと冷ましてから、舌の上に乗せた。
先ほどと全く同じ味に、全身の力が抜けるのがわかる。
「美味しい……!」
今度は先ほどよりも強く言うと、三口目四口目を続けて食べた。
何度食べても、味に変わりはない。濃厚ながらも優しさのある、ほっとするような味だった。
「そうでしょう、そうでしょう!? 絶対美味しいと思ったんです!」
美和が嬉しそうに手を叩くのを横目に見ながら、穂乃果はいつの間にか忘れてしまっていた執筆時のことを思い出していた。
ラナの死を知り意気消沈するカイルをどうやって立ち上がらせようか、穂乃果は悩んでいた。
今後の展開を考えるに、カイルにはラナの死を乗り越えて強くなってほしい。それなら、仲間に叱咤激励させて立ち上がらせれば良い。
「ここで立ち止まったらラナさんもきっと悲しむよ。だから、頑張ろうよ!」
レラインのセリフを打ち終え、ふと、もしも自分がカイルの立場だったらどう思うのだろうかと考えた。
親しい人の死に絶望している穂乃果に、その子をよく知りもしない他人が勝手に代弁して「彼女も悲しんでいる」と言ったら、どう思うだろうか。
(あなたに、何が分かるのよ。勝手に決めつけないでよ! 頑張ろうなんて、簡単に言わないでよ!)
そう思った途端に、レラインが嫌いになった。
レラインは、この話のヒロインだ。嫌いになったままで話を書くことは、出来なかった。
一度打ち込んだセリフをすべて消し、自分ならどうしてもらいたいのかを真剣に考えた。ただ力いっぱい背中を押すのではなく、そっと優しく包み込んでから前を向くように促してほしい。
あれこれと考え、たどり着いたのがミルヒライスだった。
甘いお米と言うフレーズに最初は拒否感を抱いたものの、よく考えればサツマイモご飯や栗ご飯はほのかに甘い。それでも牛乳を合わせるという部分に引っかかったものの、ドリアに使うホワイトソースには牛乳が入っている。
牛乳粥と言うレシピも発見し、穂乃果の中にあった牛乳で炊いた甘いお米への偏見はなくなった。
(そうだ……私あの時、凄く悩みながら書いたんだ。どうして忘れてたんだろう?)
カイルと自分を重ね、レラインに理想を映し、また前を向けますようにと祈りを込めて描いた。
美和はレラインのミルヒライスを、優しく包み込みながらも前を向いて歩いていく力をくれる象徴のような料理だと言っていた。
それはまさしく、穂乃果が目指した通りだった。
ポタリと、ミルヒライスの上に小さな雫が落ちる。それが穂乃果の目から流れ落ちた涙だと気づく前に、ミルヒライスと共にスプーンですくって食べてしまった。
一瞬だけしょっぱい味がしたが、すぐに甘い味が包み込んでしまう。
弱気になる気持ちを受け入れながらも、それでもそっと背中を押してくれる。そんな優しい味に、カイルと穂乃果の気持ちが重なった。




