おいしいパン
絵画教室が閉まることになった。先生が、この町にいたんじゃあ仕事にならない、隣の大きな町に行って仕事を探す、と。
帰り道、ティナはとてもしょんぼりしているようだった。教室と友達とがいっぺんになくなってしまったのだ。無理もない。苦い飴でも口に入れているかのような顔で石畳を見つめながら歩みを進めている。
「・・・お別れ、行くか?」
それなあに?と目が上を向いた。
甘い菓子を好むようには見えない。オレの手作りもなんだし、第一日持ちもしない。
早朝から開いている店はこういうときありがたい。
まだ薄もやの残る中、焼き上がったばかりのそれを紙袋にありったけ詰め込んでもらって店を出た。早朝の、朝一の乗り合い馬車で向かうと言っていたからまだ間に合うはずだ。
毛糸の首巻きを首に巻く。朝が随分冷え込むようになった。足下の鞄を取り上げ部屋を出る。
薄もやの中、門を出たところに見知った人影が立っていた。
「先生・・・」
ふたりの吐く息が白い。ロイが少し屈んでティナに紙袋を渡すと、ティナはとことこと歩いて来てそれを差し出した。
「あ、・・・ああ」
少し屈んで受け取る。紙袋はまだほんのりと温かかった。
ティナはロイの下に戻るとぎゅっと袖を掴んでこちらを窺い見る。
「・・・じゃあ、これで」
儀礼的に軽く一礼し、背を向ける。お元気で、と声が追いかけてきた。
まだしんと静まりかえった町中を、早朝の仕事に向かう人が足早に追い越していく。胸に抱いた紙袋から香ばしい香りが鼻をかすめた。空腹を思い出しひとつ取り出してかじりつく。みっしり詰まった歯ごたえとやさしいパンの香りが一気に広がった。もうひとくちかじりついた。
いつものように、言葉少なに青年は去って行った。乗合馬車の出る大通り方面の角を曲がりすぐに見えなくなった。
「行っちまったな」
すそをぎゅっと掴んでいるティナが小さく頷く。
「・・・行くか」
手を取って歩き出す。
やがて風の噂で青年が大きな展覧会で大賞を取ったと聞いた。
ある日買い出しに出かけた肉屋のところで、オレ当てに荷物が届いていると聞いた。荷受所に行ってみると、壁に立てかけられている四角いそれがそうだと示された。なんだと思ってばりばりと包みを破ってみる。あ、とティナが気づいた。
絵だ。
ゆっくりと包みを破る。
「ほお、いい絵だねえ」
側で見ていた荷受所の主人がそう言ったのも無理はない。力強い筆致の中で、今にも焼きたての香りが漂ってきそうなパンが描かれていた。くうとティナのお腹が鳴った。
「・・・寄って帰るか」
店内であれやこれやと選んでいると、おかみさんがティナの持つ荷物に気づいた。
「おや、それパンの絵かい?」
おかみさんに向けて見せてやる。いつも忙しくしている皺の張った相好が崩れた。
「・・・いい絵だねえ。あったかくて、いいにおいがして、今にも食べちまいたくなるねえ。ウチの旦那の絵とは大違いだよ。」
「こりゃなんともうまそうだ」
「あらいいわねえ。見てたらお腹が空いてきたわ。おかみさんもうひとつ」
「はいよ」
「まるでここのパンそっくりだねえ。わたしにももうひとつおくれ」
見上げてくるティナと目が合った。
かくして、絵はそこに飾られることになった。
絵の評判は上々で、訪れた客達も口々に言い絵だと誉めてくれると言う。
「みんなあの絵を見るとうきうきしてパンを買いたくなるんだとさ。嬉しいじゃないか。どこの大先生だか知らないがあんないい絵を店に飾れるなんてパン屋冥利につきるってもんさ」
そう言っていつもオマケを入れてくれる。絵の隅に小さく入っているサインに気を留める者は誰もいない。今や新しい時代を拓く新進気鋭の画家として高値で取引されているその名を。




