呪殺
やがて耳鳴りのような音は無くなった。
「音が消えた? いや、これは!」
朧木は耳を押さえていた手を放した。
音はなくなったのではない。人間には聞こえないだけだ。超音波。
遠くから飛んでくる影。コウモリ達である。コウモリは超音波を聴くことができる。
コウモリたちは周囲の警官たちに襲い掛かった。
「うわぁぁぁ!」
周囲から警官たちの悲鳴。
明日光と朧木の間にもおびただしいコウモリが飛び交う。
そのコウモリをかき分けて、先程明日光に噛まれた男が襲い掛かる!
ダァン! という発砲音。刑事が吸血鬼化した警官を撃ったようだ。劣等種の吸血鬼は眉間を打ち抜かれてばたりと倒れた。
このままでは被害が広がる。朧木は覚悟を決めた。
「・・・・・・諸天善神に願い奉る。陰にひなたに歩く道。市井の者の静謐を守らんが為、我が行く手に勝利を」
朧木良介は闘いに赴く前の言霊を放つ。必勝をかけて決して退転しないという覚悟の現れである。そして行うのは場を清める為の反閇。
舞台は整った。朧木は懐から式神の召還符を引き抜く。
「きみおもう こころまむねに くいのこる 交わすまくらの できごとを」
朧木は圧倒的な呪歌を歌った。それは明日光の身の上の話を聞いたうえでの彼女の呪詛を歌にした。君のことを思う胸に悔いが残る。(あなたとの)交わしたひと時が忘れられない、と言う部分を明日光に限っては枕営業をしたことが忘れられないという意味にも取れる残悔の歌にした。ただの忘れられぬひと時の恋歌なのではない。『くいのこる』の一句が離れ離れになったか、失恋したかのような歌となっていた。多重の呪いの歌だった。
「いでよ、人の心の精、慙愧ならぬ残鬼」
式神の召還符が光り輝き、現れたのは木の槌と木の杭を持った般若の顔の鬼、心に残す鬼、残鬼。
こうもりたちが皆空に飛び立つ。
「なに、そんなので私を倒せるとでも?」
明日光は霧に姿を変えて残鬼をすり抜けて朧木を倒さんと近づく!
「あぁ。もう終わりだ。後悔してももう遅い!」
朧木は明日光を指差し、残鬼をけしかける。
残鬼が木の杭を霧につきたて、木の槌で叩き打つ!
「ぎゃぁぁぁぁああああああああああ!」
轟くのは明日光の絶叫。
物質をすり抜けるはずの霧の状態であったが、残鬼の木の杭は狙いたがわず明日光の胸の辺りを穿っていた。
「無理なんだ。明日光。お前の胸には悔いという名の杭が既に打ち込まれている。呪歌として使わせてもらった。悔いと杭を掛けてな」
霧の姿から元の女の姿に戻る吸血鬼。彼女の胸には『杭が残っていた』
「そんな・・・・・・どうして私ばかりがこんな目に遭うの・・・・・・ようやく彼と一緒になれると思ったのに・・・・・・」
明日光は泣きはらしている。苦しそうに胸の杭を掴む。そのまま崩れ落ち、黒い霧にと帰っていく。
後には何も残らなかった。
「明日光。未来に希望を持たせた偽名だったか・・・・・・。妖怪だから幸せになれないんじゃない。君は間違った事をしたから償わなければいけなかったんだ・・・・・・だが、今回の出来事は君だけが悪かったわけではない・・・・・・僕は、僕はこんな後味の悪い歌で勝ちを得るなんて・・・・・・少なくとも、人の世で苦労を重ねてきた君の心の傷を抉るような真似を・・・・・・」
朧木は膝をついて地面を見た。明日光のいた場所には何も無い。
「朧木さん・・・・・・時折こんな犯罪があるんです。それでも犯罪は犯罪ですから。我々は職分を全うします」
刑事がぽんと朧木の肩を叩いた。そして駆け出していく。事件のあと片付けの為に。
朧木は立ち上がる。躓いたままではいられない。
「明日光。君が己自身の行いを恥じ入る『人』であったならば、慙愧ならぬ残鬼の歌などには敗れなかっただろう。慚愧に耐えぬ思いを抱いていた君に、同情はしないよ」
残鬼は明日光に向けた呪いの形だ。彼女を倒すべく歌われたから取られた姿だった。吸血鬼を倒すには心臓を杭で打ち抜く。だがしかし、朧木は心を悔いで打った。
どちらが心に残した鬼か。残鬼は役割を終えて消えていった。
朧木も元のホテルへ戻っていく。残された人達に事情説明をする為に。きっと明日光の彼氏は彼女の帰りを待っていることだろう。
真実を告げねばならない。
彼女が枕営業をしていた事は伏せておくのがせめてもの優しさだろうか。
正直である事が必ずしも美徳とは限らないかもしれない。朧木は明日光の同行者であった三人にだけ事情を説明するつもりだ。その先のことは彼らに任せようと考えた。
朧木は自分自身の姑息さを恥じた。彼には慙愧の念にも耐えられぬ思いだけが残る事件となった。




