女狐クラブ
次の満月。それは金曜日の晩のことだった。その日の夕方、さくらは早々に帰宅させられた。朧木はさくらに外出等は控えるようにと言い含めておいた。とはいえ、何をするのかわからない危なかしい子であった為、見張りと護衛に猫まんをつけておいた。
つまり、満月の晩の見張りは朧木良介自身がひとりで行う事となる。朧木自身は緊張した面持ちで過ごしているのかと言うとそうではなかった。
その日の夜。朧木良介は酒を呑んでいた。場所は昭和薫るネオンの通り。まさかの古めかしさを漂わせる飲食店街の片隅に、『女狐CLUB』というピンク色に輝く看板を掲げたBARがあった。その店のカウンターで朧木良介はロックグラスを手にしていた。
カウンターの向こう側に居るのはまだ若い店のママであるジュリアだった。この店の特徴は、生前或いは前世で女狐や悪女と呼ばれた事のある人外が働いている事だった。店の奥では水晶占い師の女も仕事をしている、ちょっと妖しげなお店だった。
「良介ちゃん、今日はもう仕事上がり?」
グラスを磨きながらジュリアが良介に話しかける。それは慣れた手つきできゅっきゅっと音を立ててグラスを磨く。
「そう思うよね。実は今日はこれから仕事なんだ」
グラスを傾ける朧木良介の姿はいつもと同じスーツ姿だった。他に何も持って来ては居ない。
「お酒呑んじゃって大丈夫? 仕事に触るんじゃない?」
ジュリアは特に心配していなさそうにそう言った。朧木が仕事帰りの週末、店によく呑みに来る常連であった為、その日はいつもと違うことを少しだけ気にかけたのだ。
「あぁ、問題ない。人探しをしているだけだ。恐らく今日見つかるだろうが、何事も無く終わるんじゃないかな」
そう語る朧木良介に緊張など微塵も無かった。
「珍しいわね。仕事中に呑みに来るなんて」
ジュリアは磨き終えたグラスをカウンターにコトリと置いた。綺麗に磨き上げられたグラスが店内の照明を反射して輝いている。
「いつも通りに過ごしているだけさ。場合によっては荒事になるかもしれないが、勝負前の景気づけに丁度いい」
朧木良介は軽く笑って見せていた。
「勝負事? どんな探し人なの?」
ジュリアは興味深そうに朧木に尋ねる。
「ん? あぁ、狼男だよ」
「・・・・・・狼っ!?」
と、朧木の返事を聞いて叫び声を上げたジュリアの頭に狐耳がうっすら浮かぶ。その背には毛が逆立った狐の尾がうっすらと見えた。だが、2,3秒後にはそれらは消えてなくなっている。
「あー、狐は狼が大嫌いだったな」
と、頬をかく朧木。ジュリアは平静を取り戻していた。
「まさかこの町に狼男が居たなんてねぇ。あーやだやだ。どこのよそ者なの?」
ジュリアはカウンターに背を向け、背後の棚に磨いたグラスを置いた。
「出身はわからないが、今僕が追っている事件の重要参考人さ」
「良介ちゃんが追いかけている事件と言うと、今話題の通り魔事件の?」
ジュリアの台詞に朧木は軽く驚いた。
「おや、知っていたのか。そうだよ」
「裏世界じゃ有名よ。そう。狼男が関わっていただなんてね。参考人どころじゃなく、犯人なんじゃないの? きっとそうに決まっているわよ」
「それは少々偏見が入っているかもね。通り魔事件に関わる出来事の中で、狼男を目撃したという人物が現れたくらいで、まだ事件に直接関与しているかはわからない。僕自身も気になる箇所があってね。だから事情聴取するために今日は張り込みしているのさ。相手も酒臭い男が現れれば、初めから退治しようと張っていただなんて思いはしないだろうよ」
朧木自身は事件があろうがなかろうが、いつもの店で酒を呑んでいるつもりだった。荒事になるとは口にはしていたが、争い事にする予定は全く無かった。そして、いざ争いになっても何とかする自信が彼にはある。少なくともグラス一杯のお酒程度で遅れを取るような真似等しない、と。
「通り魔事件、早いこと解決して欲しいね。うちのお店の子達も通り魔を怖がっちゃって・・・車で送迎をしなきゃいけないからいつもより大変なのよ」
「直ぐに解決するかはともかく、進展はあるだろうよ。巷では狼男犯人説が濃厚なようだから、直接本人に聞いてみるのが早い」
朧木良介はぐっとロックグラスを傾けてウィスキーを飲み干した。彼は週末、ウィスキーのロックを空けて帰るのが日課だった。
「良介ちゃん、あてでもあるの?」
朧木良介はにかっと笑った。
「あてはないが仕掛けはある。後は相手が掛かってくれるのを待つだけさ! 今日は満月。彼らは人の姿のままではいられず、じっとしている事も難しい。動いたところを抑える」
その日、朧木良介が放った式神の総数は80体にもなっていた。一日おきに式神を増やし、見張る力を強めていたのだ。
BARで過ごしているこの時間の間も式神のアンテナは張られたままだ。何かあれば朧木良介に直ぐに伝わる。
そして、それは一体の式神が異変を感知した事の知らせがあって事体が動き出すのだ。
「ご馳走様! そうこうしているうちに仕掛けに掛かったようだ。行って来るよ。お勘定、釣りはいらない」
良介は一万円札をカウンターの上に置いて出て行く。酒一杯の金額にしては大きすぎた。
「またきて頂戴ね」
急いで出て行く朧木をジュリアは見送った。
朧木が外へ出ると夜空は満月。星は町明かりで見えなかった。眠らぬ街、などと言われるようになって久しい。だが、時代錯誤な事をしようとする男が一人。
「さぁて、狼狩りと行きますか」
朧木は悠々と街中を歩きだした。




