第1章 第6節「戒める者、背負う十字架は何色に染まる?」
第1章 第6節「戒める者、背負う十字架は何色に染まる?」
私たちがこれ以上施しようがないと、完全に諦めたその時だった。コツン、コツン、と音を立てて階段を登る音が近づいてくる。まるで登り慣れたかのように単調でいて、規則正しいそのリズムにマリアンが私を背にして身構える。
「...誰だ?」
声を荒げるわけでもなく、冷静に先客があることを伝えるも、その音は規則正しいリズムをやめようとはしなかった。
「染君...なのね...?」
その足音に聞き覚えがあるのか、ちあちゃんが苦しみを堪えながら問いかける。
「ちあちゃん大丈夫!?」
「...うるちゃん、ごめんね。心配かけたね。私は大丈夫よ。むしろ少し楽になった気がするわ。」
内部は魔法式で占拠されているとはいえ、外部の恐怖が排除されたからなのか、私たちの心配を振り解くためなのか。ちあちゃんが必死に言い訳をするものだから、私はまた涙を堪えきれそうにもない。
「...誰だと聞いているのが理解できないのか?このデクの棒が。」
マリアンの、挑発にも取れる言動にすら、正体不明の謎の人物は何も答えない。
「耳が聞こえないのか!?」
ラフィがハッと思いついたように問いかける。
まだ目の奥の痛みが消えない私は、何度か状況を肉眼で確認しようと試みるが、数秒の間に垣間見える光景は、ゴーレム?と評するべきなのか、丁度ダブルベッドが起き上がったかのような体格の人物に対し、華奢な身体のマリアンが無骨な杖を向けている光景は、「どうしてこうなった」としか表現できなかった。
「...染君はね、ラフィの言う通り、聴覚が無いのよ。だからごめんなさいね、口元をはっきり動かすか、ジェスチャー、筆談でしか会話ができないの。悪く思わないでね。」
「...ジェスチャーって言われても、何をどうやって...手話は出来ないし、書くものもないしな。」
ラフィが困り果てていると、染君と呼ばれる人物が突然スケッチブックの様な物を取り出すのが見えた。
さらさらさらとペンが流れる音のあと、こちらにスケッチブックを向けたようだが、何が書いてあるのかまでは見ることができなかった。
次の瞬間、この空間を引き裂くかのような地響きにも似た音とともに、この世界には似つかわしくない機材が次々と現れてくるのが、ぼんやりだが認識できた。それはまるで、医療ドラマの撮影現場のような、「私絶対しっぱ...」おっと、これは想像にお任せしたいところなのだが、数々の名言が頭の中に浮かんでくる、そんな光景だった。
「...染君...一体何を...?」
か細い声でちあちゃんが問いかけるが、状況を理解したラフィがちあちゃんを台の上に乗せる。
マリアンも便乗して、ラフィの反対に立つ。
「...ロココ、さっきの話だと、表面の魔法式なら解除出来るんだな?」
マリアンが、確認をするような口調でラフィに問いかける。ラフィという男は、少し巫山戯たところもあるが、決して頭が悪い訳ではないようだ。逆に頭が良すぎるが故に、少し巫山戯て周囲に溶け込もうと必死の努力をしているのだろう。突きつけられている現実と、マリアンの問いかけの意味を完全に掌握しきったラフィの口元は、何かを早口で呟くように動いているように見えた。
「...可能だよ。そして、無効化魔法も再構築しなおしたから、さっきみたいに空間全体が眩しくなるなんてことはない。」
小さく低い声でそう言いながら、顔を正面に向ける。少しずつだが私の視力も回復してきたようだが、まだ痛みで目を開けていられる時間には限界がある。
「解った。」
そう言うと、マリアンはラフィを背に振り返り、謎の男に問いかけた。
「...ダ・ヴィンチを出せとは言わない。出されても扱える人間が今ここにいないからな。ARでもMRでも何でもいい、開腹の手引きになる医療支援デバイスを出してもらえないか?」
「閉腹も忘れないでやってくれ。」
ロココがすかさず補足する。
謎の男は二人の言葉には目もくれず、スケッチブックとにらめっこをしている。その眼にはうっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。
当然のことだ。耳が聞こえないだけではなく、目線もスケッチブックに向いているのだ。謎の男にとっては何も起こっていないのと同じ状況なのだろう。当然、マリアンとラフィにもその考えに至ったわけで、「今は待つしかない」という現状に苛立ちを隠せない様子だった。しばらくして、男がまた何かを書き始める音が聞こえてきた。今回はかなり綿密に書き込んでいるのか、先程とは比べ物にならない時間を要している。苛立ちが頂点に達したのか、集中力が途切れたのか、ロココが謎の男に駆け寄り胸ぐらを掴み怒鳴りつける。
「いくら聞こえてないからって言ってもな、時間かかりすぎだろ!何かないのかよ!ここまで出したんだ、この中に医者がいるとでも思ってたのかよ!?」
衝撃で男の手から放り出されたスケッチブックは、今ある機材を描いた場所以外、ほとんど黒く塗りつぶされていた。綿密に書き込んでいたと思った理由はこのためだったのか。書いては消し、消しては書いてを繰り返し、それでも謎の男は諦めることなく書き続けていたのだ。
ラフィの叫ぶ口元を見て、謎の男は何かを勘付いたのか、もの凄い勢いでスケッチブックの余白に何かを書き足し、明後日の方向にスケッチブックを向けた。その謎ともとれる行動に、誰もが困惑をしたかのように思えたが、マリアンだけは違ったみたいだ。
「ロココ、戻れ!」
謎の男の謎の行動とは裏腹に、マリアンの確信を得た口調に、ラフィは理性ではなく本能でちあちゃんの前に戻って行った。謎の男はと言うと、更に小さくなった余白に急ぎ足で何かを書いている。その姿を目にしたラフィは全神経を集中させるかの様に瞳を閉じた。
再び空間を切り裂くような衝撃とともに、マリアンが荒々しく叫ぶ。
「こちらは教会聖騎士団所属『グロリアス』マリアン・ハートだ!今この瞬間この通信を聞いている者に命じる!全ての信仰を捨て、己の目に映ることだけが事実だと理解しろ!」
そう言うと、マリアンは鮮血に染まった白衣を剥ぎ取った。突然目の前に現れた女体に興奮を示すかと思われたロココの目は、おそろしく冷徹で、一番最初に無効化魔法を施す場所を理解し、その一点だけに集中している。
「これからオペを始める。術式は、『ドクトリーナ』ラフィ・ロ・ココによる、呪詛術式無効化魔法発動のための開腹術。執刀は...」
これまでの荒々しい声とは一転、どこの誰かも分からない人間に、この大事な局面を預けなくてはならない口惜しさと恐怖で震える声を必死に押さえようとしているのが、私には手に取るように分かった。
「...どこのどなたかは存じ上げないが、私は『奇跡』などという非科学的な現象は断じて許さない。全ては必然が積み重なった因果律の上に成り立つものだと確信している。それ故に、今この瞬間に集いし『五名』の『ユニーク』のうち、一名の命を救う大義を託さんとすることは、『必然』である。『グロリアス』マリアン・ハートの名において...決して失敗などはないと確信する。...『奇跡』とやらの鼻っ面をへし折ってやろうではないか。」
か細い声ではあったが、内容は荒々しくも壮大で、あからさまな誇張表現にも関わらず、それがサマになっているのだから不思議である。まるでマエストロがオーケストラを前にタクトを振るっているかの如く、オペが進行していく。ただ一言、タクトを振り上げる直前。
「イエス ユア ハイネス」
二人には聞こえていたのか分からないが、私には確かに聞こえた。
どのくらいの時間が経過したのだろうか。ラフィの目が虚ろで足もよろめいているのが分かる。『ドクトリーナ』と言っても、私はどの程度の魔力を有しているのかは知らないが、かけられた魔法を無効化するのだから、相当の魔力を消耗しているのであろうことは、容易に想像ができた。そもそも体力がもつのかも疑問ではある。私にできることはないか考えるが、タクトが私に振られないのを見ると、「何もしない」が正解なのだろうか。そんなことを考えていた時、謎の男にタクトが向けられた。
「耳が聞こえないというのなら、肌で感じてくれ。無効化魔法は全て完了した。...ロココに椅子を一脚用意してくれないか...?」
マリアンも相当体力を消耗しているのだろう。無茶ぶりもいい所だが、辛うじてふり絞った声で謎の男に指揮をする。男はタクトを向けられたことだけを理解しスケッチブックを構えるが、何を書けばいいのか困惑した表情で私に縋る。今の私にすら縋りたくなるのだ、本当に何をすればいいのか、何をすれば正解なのか真剣なのだろう。私はよろけながらも謎の男の前に座り、謎の男の手のひらに指で文字を書いて伝えた。スケッチブックには、計ったかのように椅子一脚分だけの余白しか残っていなかった。
ドサっと椅子にもたれかかり、疲れた果てた声でラフィが言う。
「...すまん、男の俺が先にグロッキーだ...。」
「構わんさ。実労働量じゃロココの方が多いからな。あとはこの機械を操作しているドクトルに任せて休んでくれ。」
淡々と小さな声で、でも優しが伝わる声でマリアンがロココに最後の休符を告げる。
オペが全て終了した頃には、周囲は真っ青な空が一面を覆いつくしていた。
マリアンは、振り返り挨拶をするかのように謎の男に頭を下げ、膝から崩れ落ちた。
自分でも何が起こっていたのか、何をしていたのか記憶が曖昧なのは、きっとクスリの副作用ではないのだろう。眠れないはずの私が深い眠りから醒めた時、そこには三台のベッドと丸いテーブルを囲うように五脚の椅子があった。テーブルに向かい合って二人の男女が楽しそうに会話しているように見えたが、不思議と女性の声しか聞こえなかった。そしてまた、私の意識は途絶えた。
椅子にもたれかかった所までは覚えている。そのあと誰かに引っ張られ、この床に敷かれたマットレスに投げ込まれたような気がしたのは、俺が目覚めたときの恰好が、まるで内股で投げられ受け身を取り損ねた恰好をしていたからだろうか。目をぱちくりとしていると、さっきまで瀕死だったはずのちあちゃんの顔が、満面の笑顔で覗きこんできた。
「...何だ夢か...。」
そう言ったあと、二度寝を決め込もうとした瞬間、突然息が苦しくなる。噎せ返るハーブの香りに慌てて、俺は首を横に振ろうとするが力が入らない。
「ちょっと!ラフィ!何してんのよ!?」
いや、何もしていないのですが...と思いながら目を開けると、泣いていないのに涙が流れていた。いや、涙にしてはえらい量だなと思ったら、右手にペパーミントを、左手に空の花瓶を手にしたちあちゃんが涙目で覗き込んでいた。
「...あの...何かやったのはちあちゃんでは...?」
「そうだけど、振り払うくらいしなさいよ!赤ちゃんじゃないんだから!」
まぁ、確かにその通りなのだが、如何せん首どころか手足も動かせない状態なのだ。かろうじて両手の指と口を動かせるくらいだった。
「...なんか、手足が動かないんだけど、俺今どんな格好になってる?」
「うーん。そうね。強いて言えば...サボテンダー?」
おおう...まさかの格好だったことよりも、サボテンダーを知っていることの方が懐かしかった。
「ほら、ラフィ。すっごい寝汗かいてるから、着替えさせてあげるわ。」
そう言いながらちあちゃんが俺の服を脱がす。その瞬間、下半身のバベルの塔の存在に気が付いた俺は、とっさに叫ぼうとしたが時すでに遅し
「バチーン!」
大きな炸裂音が天空の宮殿にこだました。
「いや、だから、あれは生理現象で...男は普通こーなってるんだって!なってない方が...なぁ、マリアン!」
涼しそうな顔で紅茶を啜るマリアンが、仕方ないという表情で弁解する。
「あれはな、寝ている間に動脈がしっかりと開いていて、血流が良い証拠なんだ。男にとっては健全のバロメーターみたいなものなんだよ。」
そう言うと、もう一口紅茶をふくみ、
「オペ中、ちあちゃんの生豊乳を目の前にしても動じてなかったからな、今回だけは勘弁してやってくれ。」
その言葉に私の顔の血流も良くなり、真っ赤になるのが分かった。
「...見たの...?」
ラフィが、ごくりと唾を飲む。
「た...たいそうな物をお持ちで...」
再び大きな炸裂音がこだましたのは言うまでもなかった。
ラフィには痛覚がないことは知っていたが、赤く腫れあがる両頬はやはり痛そうだ。
「まぁ、非常事態?だったし?マリアンがそう言うなら、そうなんでしょうから、今回だけは許してあげるけど...。」
「ひひゃ、ほれゆゆさへてりゅほは?」
「はぁ?何言ってんの!?全然わかんない!」
「いや、これ許されてるのか?って言ってるみたいだぞ?」
ラフィがうんうんと首を縦に振る。さすがはマリアン、こんな言葉でも通じてしまうのだから本当に不思議だ。
今思えば、最初出会った時からどことなく不思議な感じはしていた。僅かな時間しか一緒に遊んでいなかったけれども、とても濃密な時間で、その中でもマリアンはどこか知的なキャラクターのイメージがあった。
実際にオフ会の時も、律儀に当時彼女であったうるちゃんを連れてきて、自然と予防線を貼るくせに、誰よりも早く私のバストサイズを聞いてきた。ご利益があるからと言って、うるちゃんに触らせて貰えと促していたのを覚えている。その時も腕を組んで絶対に自分は手を出さないぞ、という格好をしていた。
私の実家が神社ということは後で伝えることになるのだが、それよりも前にご利益という言葉が出てきたことは正直驚いた。これが天才なんだなと肌で感じたのと同時に、また叶わない恋なんだと自分に言い聞かせた。
「ところでさ、さっきから和やかにお茶会してるけど、そろそろ説明してもらってもいい?」
私の青春のアルバムを捲るお楽しみタイムを遮って、ラフィが言うものだから、私はギロリとラフィを睨みつけて言った。
「何を?さっきあらかた話したと思うけど?」
「あ、いや、そーじゃなくて...」
少し萎縮したチワワが「どうする~?」と言わんばかりにマリアンを見る。
「そうだな、とりあえず確認したいことは沢山あるんだけど、まずそこの殿方をご紹介して頂きたいかな。」
至極当然のことだろう。染君とは初対面なのだから。そんな簡単なことにさえ、気が付く余裕を取り戻せていないのだと痛感した。
「あっ!ごっめーん!そうだよね、そうそう!彼は一式染。『天命』はね、『ファンタジア』!思い描いたことを現実世界に具現化する魔法を使うのよ!凄いでしょ?」
「...具現化?」
眉をしかめたマリアンの言葉に続けて、ロココが勢いよく話し出す。
「ちょっと待って、その魔法ってやつなんだけどさ、いまいち良く理解できていないんだよね。何となくでは使っているけど、実際魔力とかについて俺は無知するぎる。」
確かに、この世界に来てまだ一日経つかどうか、というくらいのマリアンやうるちゃんにとってみれば未知過ぎることなのだろうけれども、ロココは半年くらい前からこの世界にいる。それでも、いきなり魔法です。と言われてもピンと来ないのは不思議でもあった。あれだけのことを平然とやってのけたのだ、それを『無知』と呼べるものなのだろうか。そんな疑問を押しのけて、この世界の魔法について説明をする。
「えーっと、じゃあそうね、魔法について簡単に説明するわね。」
そう言いながら私はティーカップを片手に席を立った。
「魔法には、二種類の系統があるの。一つは内的要因による魔法。これが魔力と呼ばれるものね。もう一つは外的要因による魔法。これを扱える人間はいないとされてるわ。簡単に言うと、精霊や悪魔と契約して力を借りるの。上位魔法には契約した精霊や悪魔を召喚したりとかもあるらしいけどね。そして、魔力とは、すなわちエネルギーのこと。私達が普段使う魔法は体内のエネルギーを素に発動しているのよ。」
ラフィとうるちゃんは目を点にしてこちらを見ている。どうやら 理解が追いついていないようだ。うるちゃんはともかく、ラフィが理解していなかったのはやはり意外だった。先程の無効化魔法などと言ったムチャクチャな魔法式もそうだが、その魔法式の欠点を瞬時に把握し修正するなんてことを、魔法を知らずしてできるものなのか?流石『ドクトリーナ』と言ってしまえば、それまでのことなのかもしれないが、少なくとも、魔力については理解しているものと思っていた。
「なるほど。つまり私達の体中エネルギーを消費して魔法という超常現象を引き起こしているというわけね。だから、使いすぎればガス欠になるし、こうやって食事や休息を摂ればある程度回復するということでいいのかな?だったらさ、カロリー摂取しまくってエネルギーを沢山溜め込めば魔力はあがるの?」
なんともまぁ、マリアンらしいと言えばそうなのかも知れないが、誰も言葉にできないことを平然と口にするから恐ろしい。
「理論上は、そういうことになるわね。でも、それにも限界があるのよ。そもそも魔力があってもそう簡単に使えるものでもないし、瞬発的に放出できる魔力量にも限界があるの。魔力が多ければ多いほど良いというものでもないのよ。」
これ以上、おそらく話しても大丈夫なのだろうが、私は決定的な欠点を皆には隠してしまった。
「そういえばロココ、さっき無効化魔法を再構築したって言ってたよね?それって、魔法を発動させる条件を組み替えたってこと?」
「...ん?...そうなのか?」
「いや、私が聞いてるんだけど...」
マリアン自身が話の軸をずらしてくれたおかげで、私の罪悪感は攻撃態勢をやめ、守備体制へと移行する。
「ラフィの言う再構築は、おそらくだけど、魔法の発動条件を変えたと言うよりは、発動する魔法の順番を変えたか、工程を増やしたかが正しいんじゃないかな?例えば、魔力を何かに変換して増幅させるのと、増幅させた魔力を何かに変えるのでは、消費する魔力量が全然違うのよ。物質変換する際の魔力量は、増幅させる際の魔力量の比じゃないからね。それにさらに圧縮となると、瞬間的に相当な魔力を消耗するはずよ。」
いきなり飛躍しすぎたこの説明は、やはりまだ早かったのか。うるちゃんに至っては、クッキーにしか目が行っていないみたいだった。
「それで、最終的にガス欠になったってことね。」
「...ん?...どういうこと?」
自分自身で行ったことでありながら、理解を得ていないというのは、もはやロココも天才なのではないかと疑ってしまいたくなる。
「つまりだな、ロココは周囲への影響を考え、物質変換から増幅という魔法の順番を、物質変換から増幅と同時に超圧縮に変えたんだと思う。それで周囲に影響なく、無効化魔法を発動したんだと思うけど、行程が一つ増えた分魔力を多く使ってしまい、いつもなら大丈夫なところで力尽きたってことだろ?」
さすがはマリアンだ。かいつまんで説明すればその通りなのかもしれないが、その順番では発動までにかかる時間を考慮していない。実際にはその三つの行程を一度に行っているのが『ドクトリーナ』であるラフィの実力なのだ。
「簡単に言ってしまえばその通りね。」
当の本人であるラフィにとっては、そんな常識が当てはまるわけではなく、感覚で発動しているのだから理解できないのは当たり前なのかもしれない。
「で、染の具現化魔法なんだけど、見ていた限りではスケッチブックに書いた内容を具現化するってことでいいのかな?」
みんなの視線が染君と、染君が大事に抱えているスケッチブックにいく。おそらくマリアンは気がついたのだろう。魔法を超常現象と考えているラフィには『具現化』という感覚が分からない様子だ。うるちゃんに至っては流石かな、チョコクッキーの甘さに驚いた表情をしている。
「あらかたそうなんだけど、染君の場合スケッチブックは道具の一つにしかならないのよ。正確には書いた言葉、絵を具現化できてしまうの。」
「それはつまり、媒体がスケッチブックでなくても言葉や絵を書きさえすれば、魔法の発動条件を満たすということだよな?」
染君は少し戸惑いながらも俯き、頷く。その姿を見て、私はどうしようもなくいたたまれない感情を、圧し殺すことができなかった。
「ちょっと、マリアン!染君の能力がなかったら...。」
「染の能力がなくてもちあちゃんは助かってたよね?『あのお方』とやらの呪詛魔法が発動しない条件を満たしていれば問題なかったはずだ。」
全く頭がキレるというのも困ったものだ。確かにその通りなのだが、私は染君が責められている気がしてどうしても許せなかった。
「それはそうかも知れないけど、あの状況を打開するのに染君の能力は必要不可欠だったのよ!」
「ちあちゃん、それは分かってるよ。私が欲しいのは正しい情報なの。描いたものを具現化するなんてチートな能力に制限がないはずがないと思うのだけれど、それを知っておきたいのよ。」
その言葉を口唇の動きで理解したのか、染君が『キャンパスノート』を取り出して何か書いてマリアンに渡した。
マリアンは『キャンパスノート』をしばらく見ると、染君からペンを預かり何かを書いて染君に返した。まるで童謡の白ヤギさんと黒ヤギさんのように、何度か書いては返し、書いては返しを繰り返したあと、マリアンが話し出した。残念ながら紙は食べていなかったが。
「なるほど。要約すると、染の能力は本来私の言った通り、スケッチブックに限らず書いたもの全てが見境なく発動してしまう...か。それを消去する手立ては具現化した対象を破壊するしか無かった。だが、具現化の対象となる言葉や文字を物理的に消去してしまえば具現化も消えることに気が付いたため、すぐに消したり燃やしたりできるスケッチブックを使用している。さらに自分自身への制約として、一度に発動できる具現化はスケッチブック一枚分...その事象を具現化した...。」
そこまで言うとマリアンは言葉を詰まらせた。
「…能力を制限しているのか。まさに戦略級魔法なんだな。その上、魔法の上書きなんてことも可能なのか。」
マリアンがどこか哀れみを込めて言うものだから、私は悔しくてつい口を挟んでしまった。
「染君が特別なのよ。普通はそんなことしないし、考えもしないわ。」
私は染君がこの能力にどれだけ苦しんでいるのかを知っている。書いたもの全てを具現化してしまう能力なのだ。正気の沙汰なら何も書けなくなってしまうのは至極当然のことであって、それでも染君は自分なりに考え、対処した結果を、こうもあっさりと、しかも哀れんだような口調で話すものだから、私の口調も自然と険しいものとなる。
だから、精一杯の反抗のつもりで言ってみたものの、マリアンはただ単純に少しずつ満たされる知識に愉悦を覚えるかのような瞳をしていた。
「なるほど、あらかた染の能力については把握した。ところで、今更なのだがちあちゃん...でいいのかな?能力は『天命』を告げるというのではないのだろ?」
唐突に、心臓を抉られたような質問に、私は息を飲み答える。
「...この世界では『なち』を名乗っているわ。私の『天命』は『フィデリス』と言って、やってることは巫女と大差ないと思うわ。得意なのは回復魔法。他者に魔力を注ぐことの出来る唯一の『天命』ってことらしいわ。」
私の能力について知られたくないことだってある。だから私はかいつまんで説明をしたつもりだった。
「つまりは、ちあ...なちに『天命』を告げた何者かが居て、それが『あの方』ってことでいいのか?」
そんな情報を与えたつもりは全くなかったが、やはりマリアンに隠し通すことは難しいようだ。
「...一部正解で一部不正解。私の前にも『天命』を告げる者がいたのは事実よ。でもそれは私のように巫女としてではなく、全ての『天命』を因果律によって支配する者『カーディナル』だったわ。彼は私にその能力の一部を与えてどこかに消えてしまったの。私がこの鳥籠の中から出られないように呪いをかけてね。」
「そして、その呪いを解いたのが『ドクトリーナ』ってことか。」
正直、この呪いが本当に消滅したのか確認をする術は、この鳥籠の外に出てみないとわからない。だがしかし、それは賭けにするにはあまりにもリスキーで、自殺行為と言っても過言ではないのも事実だ。
「鳥籠の中から出られないだけでなく、おそらく発言にも制限があったのだろ?だから筆談でしかコミュニケーションが取れない染はことの事態を把握できたのではないか?」
次々と急所を突かれるようで、私の本能が自然と反撃モードへとスイッチしていく。
「そうよ!その通りよ!悪かったわね、そうやって人の不幸を哀れんで楽しいわけ?」
思わず口に出してしまった言葉に、自分でも驚きを隠せなかった。この場の雰囲気が一転凍りついたように冷たい。
「すまない、そんなつもりで話したのではないのだがな...。そう伝わっていたのなら、そうなんだろうな。...哀れみ、憂い、悲しみ、...喜び、怒り、そして嫉妬。それ以外の感情を全て合わせて、時として他の感情よりも優位に働き、発する側と受け取る側で疎通が取れなくなるときもあるだろ?」
謝っておきながら、自己を正当化しようとするマリアンの言葉の中に、感情の起伏を突きつけられ、私のボルテージはさらに上昇する。
「だったら何!?その言葉に傷ついて、悩むのは私の責任ってことを言いたいの?傷つけられて、悲観的になってはいけないと言いたいの?」
抑えきれない感情が次々と悪い方向へと私の喉を動かす。
「今はそういう話をしているのではないんだけどな...。事実として、私たちには絶対的に情報が足りなさすぎる。そして目の前には、私たちよりも多くの情報を持った人間がいる。だからお願いしている。それだけのことなんだけどな。」
「お願い!?お願いですって?...その態度が、口ぶりが、人に物を頼む時のものとはとても思えないわ!...もう良いよ...出てってよ!」
ああ、またやってしまった。ついカッとなり最後はこうやって他人を受け入れきれず、突き放す。私の幼いころからの悪い癖なのは分かっているが、どうしてかな、止めることができない衝動を恐れているのかな。そんなことを俯きながら考えていると、不意にやわらかい腕が私の頭を包み込む。
「...いやだね。何を言われても、私は私を絶対に曲げないし裏切らない。間違いだと言うのなら正解にしてしまえばいいだけの話しでしょ?だから私は絶対に間違わないの!ほらね、些細なことと切り捨ててしまえば簡単なんだろうけど、それが出来ないのがなちの良い所なんだ。今まで孤独と恐怖に一人で戦ってきたんでしょ?それならさ、今度は私たちにも、その十字架を背負わせてはくれないか?一人で背負うよりもさ、四人…いや、染を含めて五人なら少しは軽くなるんじゃないかな?」
初めてだった。だれかの腕の中で囁かれる言葉が。だれかの胸の奥から聞こえてくる言葉と穏やかな鼓動が。私がそこら中に張り巡らせた真っ白な糸を、赤く、ただ真っ赤に染めて、ツンッと弾くたびハーモニーを奏でる。次第にそれが大きくなるにつれて、私の緊張も少しずつ解かれていくのが分かる。私は足元から崩れおち、溢れ出る涙を堪えるのが精一杯だった。マリアンはそんな私を見てさらに続ける。
「なち、もう一人じゃないんだ。染だけでもないんだぞ?泣いたって構わないさ。俺たちは今、少し耳が聞こえなくて、目も十分に見えない。何が起こっているのか理解できるまでに、そうだな三十分くらいはかかるんじゃないかな。」
そういうと、目が見えないと言いつつ、崩れ落ちた私を抱えて私の頭をなでる。
あからさまな嘘が優しくて、暖かくて、私は堪えてきたもの全てをぶちまけるように大声で泣いた。
「ADXラプラス」第1章をご覧いただきまして有難うございます。
物語の始まり、複数視点からの進行となりまして、最初は読み辛い点も多くあるかと思いますが
今は誰の心情で物語が進行しているのだろうかなどを楽しんで頂ければと思います。
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佳逗葉