第1章 第5節「告げる者、歪む心を写す姿は涙に溢れ」
第1章 第5節「告げる者、歪む心を写す姿は涙に溢れ」
マリアンの優しい声で、夜の街の泣きじゃくる子供達の声も次第に小さく少なくなっていく。その歌声は大人たちも魅了し、歌い終わったあと、自然とスタンディングオベーションがマリアンを包み込む。軽く一礼したあと、群衆に背を向け、何事もなかったかのように、いや全ての鬱憤が晴れたかのような満面の笑みで告げる。
「さて、諸君。私達の目的がはっきりした訳だが、今にするか?それとも、今日は休んで明日にするか?」
またマリアンが唐突に言い出すものだから、私達は二人で見つめ合う。
「...目的?俺らはこれから一体何をするんだ?」
まぁ、明らかに正論だろう質問に、逆に驚いた様子でマリアンが捲し立てる。先程歌唱したせいなのか、時折少し高く裏返った声で。
「ちょっと何言ってんの?私達はついさっき殺されかけたのよ?やられたらやり返す!」
「倍返しで?」
茶化すつもりは無かったのだが、この状況ではそう捉えられてもおかしくはないのだろう。そんな簡単な言葉がマリアンにとっては、一歩下がり考える時間を持てるのだ。
「...いや、私達は誰一人死んでいないわ。それなら何倍にしても0のまま。かと言って、このまま何もせずにいられる程、私は出来た人間ではないのよ。」
そう言うと、教会のある方向へと歩み始める。ラフィはというと、気絶したままの男を軽々しく、...え?軽々しく?空中に浮かばせながら歩いている。
「そう言えば、うるはまだ『天命』って受けてないんだよね?」
状況が状況だったのもあるが、この世界に来たばかりで『天命』のことも先程知ったばかりなのだ。当たり前のことだと思ったのだが。
「うん、マリアンの言うことが事実だとしたら、マリアンもここに来たのって私とそんなに変わらないのよね?」
「そうだね、私はいつも通りネットサーフィン中に落ちたらここにいたから、長くても1時間位じゃないかな?」
いつの間にか女言葉にも慣れて来たのか、流暢に会話を進める。
「そんな短い時間に、どうやって『天命』のことを知ったの?」
私は何故かマリアンの風貌を舐めるように上から下へと確認する。
「...見た限り一人みたいだけど...?」
「やはり、女の勘は侮れないねー。でも、残念だけど全部自分で調べた。幸いにも目醒めた場所からこの街が見えたし、小川で私の容姿もある程度把握できたからね。あとは普通に聞きまくって、教会で『天命』を受けたら、こうなっちゃったの。」
そこで何かを思い出したかの様にラフィの顔を見る。
「ラファ様。そう言えば、私達の他にも同じ人がいたよ。私ちあちゃん見たもん。多分、ちあちゃんも気付いたと思うんだけどね、私の『天命』を告げたあと、すぐに奥に行っちゃったんだけどね。」
なんともまあ、衝撃の発言に一瞬思考が停止したラフィがマリアンに問いただす。
「...ちあちゃん...?マジでか!?え?教会の巫女様ってちあちゃんだったの!?」
教会なのに巫女なのも意外だったが、ちあちゃんとは私も面識がある。これから向かう教会の巫女『様』なのだから、相当な地位にいるのであろう。少しの安心と、何となくの想像でクスリと笑ってしまった。
大きな噴水のある広場を抜け、これまた何段あるのか数えたくもない階段を目の前にして、マリアンが言う。
「ラファ様、そいつ、もうその辺で良いからさ、今度は私達をお願い。」
「え、ちょっと待て!それってどういうこと?この階段を二人浮かべて登れってこと?」
「一人ができるんだから、二人だって大して差はないでしょう?それに多分、二人合わせてもこの大男よりは軽いはずよ!」
「重さの問題じゃなくてだな」
言い訳を並べようとするラフィを制止してマリアンが声を荒げる。
「そんなに階段を登るのが嫌なら、あんたも浮けば良いでしょ!?」
最もな正論に、開いた口を強引に閉じるラフィが、少し考え手を叩くと、瞬く間に私たちの体が宙に浮いた。
「...え?何これ、ちょっと!?」
当たり前なのだが、初体験の感覚にあたふたと戸惑う私とは裏腹に、腕を組んだまま微動だにしないマリアンが言う。
「ほら、簡単じゃないの。」
さぞ得意げに言うものの、実際に私たちを浮かせているのはラフィである。だがそのラフィも、言葉に上手くのせられたのか、納得したかのように、なるほど、こういう使い方もあるのかといった顔をしている。
どのくらいの時間、無重力を体験していたのだろう。浅く広がる雲を抜けた先に、ようやく姿を現したのは、これまた天辺がどこなのか分からない程大きな門があった。
「さあ、うる。ここからは一人だ。」
マリアンは大きな門の前に立ち、門の開き方を教えてくれた。
「この門はね、物理的な力では常人には開けることができなくてね。でもある『おまじない』を言うと、魔力に反応して開く仕組みになっているみたいなんだ。」
何故だか、いつよりも丁寧な口調で教えてくれることに、疑問を抱くべきだったと後悔するのは後の祭りだ。
「おまじない?」
何の疑いもなくマリアンの言葉に耳を傾ける私とは対象に、何を言っているのか理解ができていないラフィが首を傾げる。いま思えば、その時点で気がつくべきだったのだ。
「そのおまじないっていうのがね、またひねりもない昔っからのおまじないでね…。『開けごま』なんだけど...。」
これまでにない真剣な声で言うマリアンの言葉を疑うこともなく、私は門の正面に立ち、声高らかに叫んだ。
「開けーごま!」
数秒の沈黙のあと、微かに堪え切れていない笑い声が後ろから聞こえる。振り向くと、お腹を抱え涙目で笑っているマリアンがいた。
「...謀りおったな...。」
つい先ほど聞いたようなセリフと共に、私のボルテージが最高潮へと達した。眼下に広がる雲海から空中放電した電気が轟き、龍の如く天へと昇る。その様子に驚いたラフィは私を指差し、ライオンに睨まれたチワワのように怯えていた。
涙目で笑っていたマリアンはというと、一転、唾を飲み込み目の前の現実を受け入れるのが精一杯という顔をしていた。
「...うる、ほら見てみろ。」
マリアンの言葉には耳もくれず、私はマリアンに言い放つ。
「...見る?ですって?一体何を見れば良いのかしら?テーブルに並べられた丸焼きの豚みたいく丸こげになった、あなた達の姿でも見れば良いのかしら?それとも、あなた達の腹を切り割いて、薄汚くてどす黒い臓物でも見ればいいのかしら?」
私の脅し文句など普段は聞きもしないマリアンの額から、つーっと汗が流れるのが見えた。
「...そうじゃなくて、うるの後ろだよ。」
萎縮しきったチワワのように震える指が差す方向を見ると、そこにあったはずの門の姿はなく、両脇には2本の柱が立っていた。
「な?な?ちゃんと開いただろ?」
どういう仕組みなのか理解はできないが、「開けごま」で開いたのではないということだけは理解できる。目を細めてマリアンを睨みつけ、「ふんっ」と首を振ったあと、私は2本の柱の間に向かって歩み出す。柱だと思っていた物はどうやら壁だったのだろうか、数十歩先まで続いていた。
「...ラファ様、ここに初めて来た時どの位開いた?」
うるの後ろ姿を見送りながら、唐突に質問すると、ロココは質問の意図を理解しており、震える体を必死に抑えながら答えた。
「...開かなかった...。普通に門の脇を通って先に進んだ...。」
「...そう、だよねー...。」
二人の間にしばしの沈黙が流れたあと、ロココが切り出す。
「あのさ、うるってマリアンの嫁のうるだろ?少しだけプレイしてた。」
「そうだよ。それがどうかしたの?」
ロココは憐む目に涙を浮かべながら私の肩に手をあて、首を横に振ったあと顔の前で合掌した。
「ロココ、それセクハラな。」
冗談と言わんばかりに合掌した手から苦笑いを覗かせる。
「にしても、不思議だよなー。あの時のメンバーとこんな形で再会するのもだけどさ、2人共『ユニーク』だぜ?」
「そうだな、でもまあ、多分『ユニーク』は4人だ。」
「ん?...4人?」
「ちあちゃん。彼女も多分『ユニーク』だろ?『天命』を告げるなんて、他の人間にできるのか?」
「...確かに。言われてみればそうかもな...で、あと一人は、ウルティ・マキナってことか...」
「おそらく...は。だがな。」
「あれだけの天変地異レベルの魔力を見せられれば否応なしに期待しちゃうよな。どんな『天命』告げられるのか楽しみだな。」
さっきまで怯えていたはずのチワワが、初めてグローブを買って貰った野球少年の様な満面の笑みで笑いかけてくる。
「...知るかよ。」
「...マリアン、おまえ折角可愛い成りしてるんだからさ、もっと可愛い子っぽくできねえの?」
「その必要がある時はそうするさ。ロココの前で今更可愛い子ぶっても意味ないだろ?」
「まあなー。で、実際どーよ?女になってみた感想は?」
モラル、コンプラ、デリカシーの全てに欠ける言動も、セクハラを物ともしない質問も、全て悪気があって行っているのではないのだろう。単純に好奇心から物事に対する知識を満たしたいという自己欲求から来ているのであろう。
「...あまり、特に変わりはないんじゃないかな。思考が男のままだからな?あったとしても、言葉で形容できるようなものではないだろう。性染色体的に言えば「XX」と「XY」の違いでしかないのだからな。ホモ・サピエンス・サピエンスに変わりはないよ。」
「ふーん、そんなもんかねぇ。じゃあさ、俺もソレ触ってもいいよな?男同士だろ?」
茶化してるのか、本気なのか、どちらとも取れる発言に、普通の女子なら即拒絶するか、返答に戸惑うかするのであろうが、私の体にはそれよりも強力な解決策の記憶がある。
「...蹴り上げるぞ。」
その一言で、愛くるしいチワワが変わり身の術のように現れ、股間を押さえ涙している。
「...まだ蹴ってないぞ。」
「いや、想像したら、つい...。分かってんだろ...。」
元々高い場所なのだ。空気が冷たく肺が少し痛い。先程ラフィが私達を運んだ魔法は、どうやら対象そのものを浮遊させるものではなく、空間ごと包み込み浮遊させていたのだろう。十歩程ある壁を超えたあたりでその恩恵の有難みを実感した。
「ふー...。ふー…。」
寒さで凍えているのか、緊張をしているのか、震える手を吐息で温める。
眼前には宙に浮いた階段が大きく規則正しいカーブを描いて数段続いている。その先には、小さくておしゃれな建造物が見える。おそらくそこに『巫女様』と呼ばれるちあちゃんがいるのだろう。
下を覗けば足がすくむ階段を、前の段に手をつきながら、一段一段恐る恐る登って行く。途中で置いてきた二人のことが気になり、振り返ろうとするが体の緊張がそれを許さなかった。最後の段を登り終えた時、私の呼吸は酷く乱れ、膝が笑っていた。
「ふふふ。うるちゃん、お疲れ様。」
懐かしい少しかすれた声で私の名前を呼ぶ。間違いない、ちあちゃんだ。少しでも力を抜けば気を失いそうな意識の中、頭を数回左右に振って、声のする方を向く。
小麦色に焼けた肌に長い黒髪、見るもの全てを魅了するけしからん二つの乳房が、左右に揺れながら私の顔に近づいてくる。
「待ってたよー!」
そう言いながら、飛びつくものだから、二つの乳房に押しつぶされ、またしても私の呼吸器官は意図をせず塞がれた。
「...ちょっ!ちあ...ちゃん...く、苦し...い。」
今にも事切れそうな私の微かな声に気が付いたのか、ズバッと私の肩を突き放す、反動で頭が前に揺れ少し吐き気を催す。
「...おぇ。」
「...つわり?」
「違うわっ!」
ちあちゃんは、あの頃と変わらず元気な声で冗談を言うから好きだ。人と関わることが苦手な私も見ているだけで元気を貰える。そういった所が『巫女様』と呼ばれる所以なのかも知れない。
「再会したばっかりで悪いんだけど、私の仕事をさせてもらってもいいかな?」
そう言って、奥の祭壇の前に私を誘導する。
「さぁ、ここに寝転んで。」
「...へ?」
目も口も悪い笑みを浮かべたちあちゃんが、じゅるりと舌なめずりをしたのは多分気のせいだと思う。
「『祭壇の羊』って言うでしょ?贄にするの、私が元の世界に戻るためによ。」
「...じょ、冗談だよね?」
「冗談で元の世界に戻れるのなら、いくらでも冗談を言うわ。でも違うの。これは冗談ではないのよ。私は『巫女様』なんて呼ばれてはいるけど、本当は私自身が元の世界に戻れる様に神様にお願いしているだけなのよ。さぁ、早く。」
ちあちゃんの瞳は真剣そのもので、その言葉に一片の嘘すら感じられなかった。
「...ひとつだけ、聞いてもいい?」
何でもどうぞと言わんばかりに首を傾げ微笑む。
「マリアンもここに来たんでしょ?マリアンは戻って来たってことは、生贄にはならなかったってことよね?それでも『天命』を受けることができたってことなんだよ...ね?」
おそらく想定の範囲内の質問だったのだろう。ちあちゃんは一瞬の隙も見せることなく答える。
「マリアン?やっぱり、あのマリアンだったの?性別が違ったし、何も聞かれなかったから答えなかったけど...マリアンは元々女心分かる系男子だったからね、私のために喜んで贄を選択したわ。その結果、神様から与えられたのが『グロリアス』だったの。そのおかげで、供物として捧げられることなく、ああやって戻ることができたみたいよ。私も初めて聞く『天命』だったから、文献を調べるためにすぐに書庫に行っちゃったんだけどね。戻ってきた時には既にここに居なかったから、今探しているところなのよ。うるちゃんが知ってるってことは一緒に来てるってことなのかな?」
「あ、いや、まぁ、そうなんだけどね。さっきまで一緒だったよ。でもそうか、そうなのか...。」
もともと口数の多い子ではあったが、明らかに言葉数が多い。真実を隠そうとしている様にも捉えられるが、言っていることの辻褄はあう気がする。だけど、私には一つだけ決定的に嘘だと分かる違和感があった。その違和感が私の意思を決定的なものとする。
「...そう、マリアンがね...分かったわ。」
私はそう言って小さく俯き、胸に手をあて叫んだ。
「私は生贄なんかにはならない!あなたの思い通りに動く信者ではないもの!それにマリアンなら『私のために喜んで生贄を選択』?笑わせないでちょうだい。マリアンの本性を知っていれば、そんなこと言うわけがないってことくらい、息をしているのと同じレベルで分かるわ!マリアンは、誰よりも自分が優先なのよ!」
突然の反撃にも関わらず、何の焦りも見せないちあちゃんが優しい顔で問いかける。
「じゃあ、何て言ったらマリアンなの?」
「そんなの、簡単でしょ?『私のおっぱいのために喜んで』、皆を助けるために抗うことを選択するわ!その結果で自分が救われることしか考えていないのよ!」
くすくすと笑いを堪える声が一瞬聞こえたと思った後、『巫女様』とは思えない程、大胆にお腹を抱え、うずくまり大きな声で笑う。
「あーもー、この夫婦は揃いも揃って、妬けちゃうわね。そうよ、マリアンは贄になんかならない。むしろそんなことをマリアンには言ってないわ。」
そういうと、振り返り祭壇を睨みつけ、話を続ける。
「ここは欲望と贖罪の祭壇。この祭壇を前にして、その人の心を揺さぶり『天命』を与えるのが私の仕事。うるちゃんみたいに、贄にするって話はよく使うんだけど、大抵の人間が受け入れてしまうわ。『自己犠牲』は自分自身に対する『社会的不公正』そのものだもの。自分を殺してはいけないと言いつつ、自分が贄になれば誰かが救われる、ましてやその対象が信仰神であれば喜んでという欲望。それで許されると考えてしまう贖罪に、命を粗末に扱う。私はそんな場面を幾度となく見てきたわ。」
そんな重たいことでも、さらっと言いのけてしまう所がちあちゃんなのだろうが、少なからず私も考えさせられる記憶がいくつもある。今回回避できたのが稀なケースなくらいだ。
「それでも、うるちゃんはちゃんと自分の意思を示したわ。でもね、ここからが本当の意味での『天命』になるのよ。」
そういうと、規則正しく配置された柱に向かってぐるりと一周手をかざす。かざした先々の柱の間に、大きな鏡が現れた。
「うるちゃん、心の準備はいい?はじめるよ?」
そういうと、瞳を閉じて何語なのか分からない言語を口ずさむ。鏡に太陽の光が反射して私を照らす。先程とはうって変わって温かく気持ちの良い感覚に、私の体はビクッと反応した。
次の瞬間、上昇気流に乗ってちあちゃんの長い黒髪が逆立ち、私の体に新しい命が芽吹くように、何かが存在するのを感じる。
どれくらいの時間こうやっていたのだろう。優しい母親の腕の中の揺り籠に揺られているような感覚が次第に遠ざかる。虚ろう意識が少しずつ覚醒してく。
「うるちゃん、大丈夫?」
ちあちゃんの顔が私の目の前にあった。
「ふぁっ!」
思わず口にした言葉に、ちあちゃんも私が平常運転していることを確認したのか、にこりと笑って私の頭を撫でる。
「それじゃ、お告げしちゃうね。先に言っとくけど、これただの儀式だから、別にこの通りにする必要はないからね。」
そう言うと、ちあちゃんの瞳から光が消え、まるで機械のように単調な口調でお告げが語られる。
―――その揺蕩う水の歩む道は、たとえか細いものだとしても、いずれは大海原へとたどり着き、大いなる母のもと、全ての生命を進化へと導く。汝の持つ慈愛に溢れる精神は、時に優しく時に厳しく、何よりも没交渉であっても区別なく、更に隔たりも持たず、全ての者たちに『公平』をと、強く望むのであれば、ここに『コウクス』としての命を与えんとする。その力僅かであっても、命の選択権を握らんとすること、『ウルティ・マキナ』とその御身に宿す新たな息吹に代えても果たされんことを切に願う。―――
ちあちゃんの瞳に光が戻った瞬間、さらに輝きを増して興味深々と言った様子で、詰め寄る。
「ねぇねぇ、何って言ってた?私!」
「えっ!?覚えてないの?」
「ん~そうなんだよねー。お告げする時ってさ、ほら、やっぱそれなりの雰囲気出すべきじゃん?だから、何ていうかなー、トリップっていうの?」
「...トランスじゃないの?」
「あー、それそれ。そんな感じでハイになっちゃって、よく覚えてないんだよねー!ってかぶっちゃけ何にも覚えてないんだよね!」
死語ではあるが、てへぺろという表現がしっくりくる頭をかるくこつんとして話す姿を見て、ちあちゃんもちあちゃんで、色々と大変なんだなと思った。
「んーっと、確か『こーくす』?だったかな?」
「...ん?『こーくす』?コカトリスじゃなくて?」
「私は化け物か!?」
「冗談冗談。んーでもやっぱちょっと聞いたことないんだよねー。『こーくす』…、『こぉくす』...、…『コウクス』!?」
少し考えたあと、ちあちゃんが驚いた顔で私を見る。
「うるちゃん、料理得意なの?」
「へ!?そんなことないよ...、むしろ下手。皆のご飯だっていつもばぁばが作ってるし、唯一マリアンが好きな私の料理は、マリアンが色々考えて教えてくれたチャーハンくらいかな。」
「ふ~ん、なるほどね。そっか、そっかー!マリアンがね~?」
ちあちゃんは、口元を三つ指で隠してて不敵に笑う。
「予想はしてたんだけどね、ざっくり言うと、マリアンやラフィと同じように『ユニーク』と呼ばれる『天命』なのは間違いないわ、その時代時代に一人しか現れない、とーっても貴重な『天命』よ。んでもって、うるちゃんの『コウクス』はねぇ、そうだなぁ。平たく言えば料理人なんだけど、当然ながら、この世界で料理をする人がいない訳ではないの。だからきっと別の意味もあるんだと私は思うわ。」
『ユニーク』という言葉も『コウクス』が料理人ということも、いまいち飲み込めない顔をしていたのか、ちあちゃんが過去の『コウクス』について教えてくれた。
「これまでに人類史に記録されている『コウクス』は13人、うるちゃんで14人目だね。概ね飢餓の時代や、社会的格差の激しい時代に存在することが多いのが特徴かな。そういう時って食べたくても食べれない人って多いでしょ?食糧難とか、そういったのを解決してきたのが『コウクス』なの。私が知ってるのはそのくらい。もちろん文献でしか読んだことがないから、実際に何をしたかは不明だし、何がしたいかはうるちゃん次第だと思うよ。」
料理で何がしたいか、そんなことを考えたことなどなかった私には難しそうな問題だ。
そんな時はいつも通り、とりあえず、マリアンに相談してみることにしようと心に決めた時だった。
「やっぱり『ユニーク』か。しかも『コウクス』様と言ったら生活の要じゃないか。」
「あら、ラフィお久しぶり。盗み聞きは感心しないなー。」
いつから聞いていたのだろうか。ラフィが階段を登って立っていた。少し遅れてマリアンも階段の陰から顔をのぞかせた。
「あー!マリアン!やっと見つけた!何でどっかいっちゃうのよー!話さなきゃならないこと沢山あったのに!」
そう言って、ちあちゃんがマリアンに駆け寄る姿を見て、少しやきもちを妬いた。
「いや、普通にもう帰っていいのかと思って...。急にどっか行っちゃうし。」
「いい訳ないでしょ!?聞いたこともない『天命』なんだから、少しくらいは調べる時間ちょうだいよね!」
先程までのちあちゃんはどこに行ったのか、怒り露わにマリアンに食い掛る。それにしても自分の『天命』に対して実直に遂行しているのはさすがだなと、どことなく感心した。
「それでねマリアン、『グロリアス』についてなんだけど、紀元前の書物も含めて読み返してみたわ。でも、特に有益な情報はなく...。」
「だろうね。そんな気はしたよ。」
「え?そうなの?それでね、何が得意なのかとか、どんなことができるのかとか、全く不明なんだけど、マリアンは『天命』を受けたあと何か変わったこととかないかな?」
「そうだな...強いて言えば...」
珍しくマリアンが口に出す言葉を慎重に選ぶように、少し考えているように見える。
「...音や周波数、波動のようなものを扱うことができるんだってことは分かる。」
暫くの沈黙のあと、一滴の水が水面を打つかのように、静かに話を続けた。
「これは、関係があるのか分からないのだが...。『天命』を受けているとき、自分の頭の中に見知らぬ男がいたんだ。男の周りには沢山の動物たちがいて楽しそうに...あれは、会話をしていたのか?...でもどこか寂しそうな表情でもあったんだよね。しばらくして、全裸の女の人が来て、何かの果実を男に渡してた。って所まで...」
「全裸!?」
「中学生かっ!」
すかさず、ちあちゃんの鋭いつっこみが入るが、私もマリアンの口にした全裸に、頭の中で「全裸か...」と考えてしまった。
「まるで、創世記のアダムとイブね。禁断の果実でもお届けにあがったのかしら。でも、アダムとイブならどちらかというと、『音』というよりも『水』なイメージがあるのだけれど。そもそもアダムは神が創りし神の分身的な存在じゃなかったっけ?」
創世記について、特別詳しい訳ではないが、二人の言っていることは辛うじて理解ができる。
「...そこなんだよね。創世記であれば『音』というよりも、ノアの箱舟や大洪水が最初に思いつくわけなのだが、『音』とはあんまり関係なさそう。それでも何故か『音』『振動』『波』のような物理現象を扱えるんだということは感覚的に分かるんだ。...というか、そもそも創世記の伝承はこの世界にも存在するのか?」
三人はハッとした表情でマリアンを見る。この世界は現実と言いつつも、現実とはかけ離れた魔法というものが存在する点や、選択の自由を奪うかのような『天命』が存在している。やはり、とても現実とは捉え難い状況に、私達の常識が当てはまる道理はない。
「...すこし...。」
少し苦しそうに言いかけると、ちあちゃんの首元を囲むように、光り輝く楔の様なものが現れる。
「...これも禁止ワードってことなのかしらね。それとも、変わりならいくらでも居るってこと?」
あまりにも唐突な出来事に、その場にいる誰もが一瞬判断が遅れ、何もできずにいた。何のことを話しているのか、誰に向けて発しているのか、理解できずともこの状況が良いのではないということだけで、身体が勝手に臨戦態勢をとる。
「...まぁ良いわ。あっちの世界とは少し違うけど、この世界にも創世記は存在するのよ。」
楔が徐々にちあちゃんの喉元に近づく。私はふとマリアンを見るが、マリアンは俯き瞳を閉じて首を横に振る。ラフィは鳩が豆鉄砲を食らったような目をしている。好奇心の塊であるラフィですら知らない情報を持っているということは、少なくとも、ちあちゃんはラフィよりも長くこの世界にいるのであろう。そもそも、そうでなければ私達に『天命』を告げるなんてことはないはずだ。
「その内容は様々に伝承されているわ。だから、本当の創世記を知る人間など居ないのよ。」
ちあちゃんの首元からつーっと垂れる鮮やかな鮮血が、白衣を赤く染める。
「このくらいなら話しても問題ないでしょっ!」
声を荒げて叫ぶ姿に、さすがのマリアンも危機を感じてかロココを見てうなずき、
「目を閉じろ!下を向いて両手で目を塞げ!ロココが良いと言うまで決して離すなよ!」
その言葉と同時に、いっさいの影をも否定するかの様な無数の光の玉がこの空間を埋め尽くそうとしている。私はすかさず両手で顔を隠し蹲った。
「...いくよ。」
その言葉と同時に、目を閉じていても温かい何かが全身を包むのが分かる。
「ドサッ」
何かが倒れる音に私は咄嗟に目を開けてしまった。
そこは神々しくもあり、永遠の空間にでもいるかのように感じられる光だけの世界。けれども何が倒れたのかを確認するよりも早く、目の奥が火傷したかの様に熱くて目を閉ざさざるを得なかった。
「…いったい。」
思わず涙がこぼれ落ちる。
「ロココ!」
マリアンが私の異変に気付いたのだろう。瞼の裏からでも、光が夜の帷の中に消えていくのが分かった。
「目を開けたのか!?」
そう言うと、マリアンは私の顔を持ち上げて瞼をこじ開ける。
「俺の顔が見えるか!?」
うっすらだが、赤い長い髪と紅色の濃い瞳が認識できる程度で、あとはぼやけてみえた。
「...少しだけ見える。」
泣きながらそう言うと、ロココが安堵したように話し始める。
「さっきのはフラッシュ・バンの音なしバージョンみたいな魔法でね、魔力を収束増幅させてあたり一体のあらゆる魔法を無効化するっていう感じなんだけど、欠点として、太陽光を顕微鏡で直視したのと同じくらい眩しいから、まだまだ改良の余地がある魔法なんだよね...。」
そう言うと、倒れ込んでいるちあちゃんを抱き起こし、胸のあたりに手を運ぶ。
「ちょい待て!」
すかさず止めに入るが、ロココは聞く耳を持たない。何て卑劣な奴だ!意識のない少女の胸を弄ろうなど断じて許せないが、私も数秒目を開けているのが限界の状態だ。頼みの綱のマリアンは...まぁあまり期待できないだろう。男という生き物はこんな状態でも欲求が優位にたつのか。私は悔しさのあまり、さらに涙が溢れてきた。
「...大丈夫よ...。」
そう言ったのはちあちゃんだった。
「...ラフィ、いくら『ドクトリーナ』のあなたでも無理なことだってあるのよ。私の心臓は『あのお方』の手の中にあるの。だからね、この鎖を断ち切る術はないわ。」
掠れた小さな声で喋るちあちゃんに対し、もう話すなと言わんばかりにラフィは、ちあちゃんの口唇に人差し指を当てる。同時に、ちあちゃんの全身から力が抜け、だらんと腕が垂れる。
「ちあちゃん!?」
静止しようとするマリアンを振り解き、ちあちゃんに駆け寄ろうとするも、足下が歪んで前に進めない。
「落ち着け!大丈夫だから!」
どこから来る自信なのか、マリアンは私の腕を掴み引き寄せ抱き抱えながら言う。
「鼓動や呼吸は驚くほど安定している。正常の範囲内だ。気を失っているだけ...?いや、睡眠状態にあるのだろう。多分...」
この距離で呼吸はともかく、心音まで聞こえるのが不思議だったが、マリアンの瞳には緊張が走り、とても気休めという訳ではなさそうに見える。
「うるちゃん、確かにこの行為は許されるべきことでは無いのかも知れないが、断じて下心ではないんだ。ちあちゃんの四肢や首元、心臓や脳に至るまであらゆる急所に魔法式が仕込まれている。俺の目にはそれが見えるんだ。先程の無効化魔法も表面にかけられた魔法式には有効だったけど、内部にかけられた魔法式までは無効化できなかった。」
そう言いながら、ちあちゃんをそっと丁寧に床に横たえる。
「何もしなければ何の問題もないのだろうけど、行動や言動がトリガーになっていつ発動するか分からない。というのが現状かな。」
冷静に分析しているようだが、口調には少し寂しさがうかがえた。
「なぁ、マリアン。『ユニーク』ってなんだ?『ドクトリーナ』ってなんだ?何もできなかったら、何もしなかったら、与えられた称号や知識も何の意味もないんじゃないか?」
そう言いながら、諦めかけた声で涙を流しながらマリアンに問いかける。
「何もできないのなら、何かできるようになればいい。何かを変えるにはまず、自分を変えなくては世界は変わらんよ。」
ちあちゃんの現状を言葉で把握して、現状は何の問題もないことを確認できたからなのか、マリアンは優しい口調でロココの質問に答える。
「ロココ、お前はどうしたいんだ?」
「...そうだね、今はまだ方法が分からないけど、ちあちゃんに掛けられたこの呪いを消し去りたい。そして、元の世界に戻りたい。...我ながら我儘だな。」
「そんなことはないさ、人は誰でもその知識故に我儘な愚かな生き物だよ。」
「ADXラプラス」第1章をご覧いただきまして有難うございます。
物語の始まり、複数視点からの進行となりまして、最初は読み辛い点も多くあるかと思いますが
今は誰の心情で物語が進行しているのだろうかなどを楽しんで頂ければと思います。
公式ホームページより
各種SNSのリンクもあります。ぜひご登録頂けましたら今後の活動の原動力ともなります。
どうぞ、宜しくお願い致します。
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佳逗葉