第1章 第4節「謳われる者、驕り高やかに」
第1章 第4節「謳われる者、驕り高やかに」
虫たちが美しいコーラスを奏でる街道をたどり、街に着いた頃には辺りは薄暗く人だかりも少なくなっていた。男の行きつけの店で、何とか食事にはありつけた。正直、足はもうパンパンで、一歩も歩きたくなかったから、一番通り沿いのテーブルに腰をおろした。断っておくが、足がパンパンなのは、歩き疲れたからだということは、明確に理解しておいてもらいたい。
ログハウスを出てから席についた後も、男は自分が経験してきたことを武勇伝のように語り続ける。
男は半年ほど前にこの場所にやってきたこと。街には元の世界同様に人間がいること。文明はそれほど発達しておらず、通貨という概念がないこと。街の外れには神殿の様なものがあり、そこで『天命』と呼ばれる職業のようなものを告げられるということ。街の人間はその『天命』を全うすることに疑念を抱いていないということ。男の『天命』は『ドクトリーナ』と呼ばれる科学者であり、他に同じ『天命』を持つものが居ないため、皆が押し寄せ、とても街中では暮らせないらしく、人里離れて生活をしているということ。
この世界で男が知っていることを、大筋ではあるがあらかた教えてくれた。
「はいよ、お待ちっ!こんな時間だからね、こんな物しか出してやれないけど勘弁ね。」
そう言いながら、エプロン姿の大柄な女性がテーブルに乗せた豚の丸焼きを、私はどう食べれば良いのか戸惑っていると、男は慣れたナイフ裁きで豚の頭部を解体していく。
「ティジー、いつも悪いなぁ、さんきゅ。」
「いいんだよ、あんたには皆助けられてるんだからさ、そこのお嬢ちゃんもちゃんと食べてっておくれよ。」
この男の、子供じみた言動に反して、どうやらこの街ではこの男を重宝しているようだ。なんともまあ、嘆かわしい話ではあるなと、心の中で呟く。
「つまりだ、この世界で生きていくためにはだな、『天命』を受け入れ、それを全うして互いに助けあって行かなきゃならないってことなんだな。」
私の嘆きなど露知らず、男はこの世界での生活について、話を続けている。あれ、一瞬見ちゃいけない物を口に運んでないか?という疑問が頭を過ったのは気のせいであろう。それよりもやはり、私自身のこれからのことの方が気になる。
「...『天命』か。もしそれが私にできないことだったらどうすれば良いの?あなたみたいに元の世界の職業と同じ様な『天命』を授かることばかりじゃないんでしょ?」
「神はその者に乗り越えられない壁は与えず。『天命』を授かる際に言われたんだ。それが本当なら、何とかなるってことじゃね?」
豚の頭骨の中にスプーンを差し込みながら男は続ける。豚を食べる時にスプーンが必要だったのか、そんな疑問は今は些細なことだった。
「俺の『天命』だって、珍しいってだけで過去に居なかった訳じゃないんだ。ただ俺らの居た世界とは違い、同じ時間軸に『ドクトリーナ』が2人以上存在したという記録がないだけさ。噂では、そういった『天命』が他にもいくつかあって、空席のままの『天命』も少なくないらしいけどな。」
私をフォローしたつもりなのだろうか。だが、その言葉はフォローにはなっていなく、ただ闇雲に不安を煽る。この男はやはり、どこか掴みどころがなくて、あまり好きにはなれない。ただ、今頼れるのがこの男だけなのは、悲しい現実なのだ。
「おい、マジかよ...!?」
「...あれが?...本当に?」
「伝承と違わないか?伝承では盲目のはずだぞ?」
街の中央方面がやけにざわついている。
「また、空席がひとつ埋まったかな。」
男は真剣な眼差しで言うと、スプーンを咥えたまま小皿に取り分けた豚肉を片手に席を立った。
つられたかのように私も男の後を追う。口にはコラーゲンたっぷりの豚足を咥えながら。
群衆の中、ぼさぼさの長くて赤い髪をなびかせて、どこか果敢無げで憂いさえ漂わせる少女がただ呆然と立ち尽くしていた。
その右手には、華奢な体には似つかわしくない無骨で大きな『杖』を、左目には義賊のような眼帯を、眼帯の上から眼鏡といった異様なはずのいで立ちが、何故か懐かしくも感じ、しっくりとしている。
「...あれは?...何だ?」
この男でも知らない『天命』なのだろうか。初めて見る少女の姿を見て、男の口から豚肉が零れ落ちる。この男なら空席の『天命』くらい調べていそうなものなのに。正直意外ではあった。
そう思った矢先、少女の瞳が私達…、否、私を捉える。金縛りにあったかのように、私の瞳は少女のそれに吸い込まれていく。
少女は顔を顰め、そのまま私に向かって歩み出す。
周囲のざわめき声を一切合切遮断して、一直線に見つめる少女の眼差しに私は瞳を逸らすことができず、恐怖に近い感情を思い出す。口元にはコラーゲンたっぷりの豚足を咥えたまま、少女の眼力に身体の自由を奪われた。
その歩き方は少女とは思えない程に堂々としていて、周囲のざわめき声も沈黙へと変わる。
私の前に立つと、私の顎を手で持ち上げ、私の前髪をかき分ける。
いったいどういう状況なのか、誰かに説明していただきたい気持ちでいっぱいだ。唯一この状況を打破できるであろう頼みの綱は、零れ落ちそうになる豚肉を、口の中に戻しながら私たちを見ている。綱ではなく、藁だったようだ。
「(え?何?これ、どういう状況?)」
群衆が唾を飲み込む音が聞こえる。
「(え?え?ちょっとー!誰か何とかしなさいよ!私にこんな趣味はないのよー!)」
そんな周囲の期待に応えんとするかのように、少女はその整った顔を私に近づける。
「(えぇい!もぉ、こーなりゃヤケよ!好きにすればいいじゃないの!)」
まるで、イケメンに急に迫られた初心な乙女のような思考が、頭のお花畑を満開に咲かせる。その瞬間、少女の口から信じられない言葉が零れ落ちる。
「佳逗葉か?」
少女は少し安堵したような口調で私の耳元に囁く。初めて逢ったはずなのに、どこか見慣れたような仕草や、私の名前を呼んだ少し高い声に思い当たる節がないと言えば嘘になる。しかし、その正体が誰なのか、如何んせん私の脳裏に浮かんだヤツと、目の前にいる華奢な少女とのギャップが、思考回路をめちゃくちゃにかき乱してて理解を妨げる。
そんな葛藤のさなか、何故か群衆から向けられたブーイングの嵐にも、納得ができなかった。
ひとまず、三人でテーブルに戻り食事の続きがてら、先程私を公衆の面前で辱めようとした少女に問いただす。
「あなた、何で私の名前を?」
少女は口元に人差し指をあて、私の話をさえぎる。
「いや、お邪魔して悪かったね。私の名前は『マリアン・ハート』。先程受けた『天命』...?と言うのかな、『グロリアス』だ。」
「グロリアス!?」
「マリアン・ハート!?」
男の口から、美味しそうな豚肉達が元気よく飛び出す。私の口から飛び出した豚足の蹄と交差して、少女の顔面に飛び散った。
「...おい、おまえらな...。」
豚肉と豚足の見事なコラボレーションに大変ご満悦...とはいかない顔で私達を睨むマリアンを見て、私の想像は確信へと駒を進める。聞き馴染みのあるその名前に気を取られた私とは正反対に、男は少女の『天命』に興味津々といった様子だ。綺麗に並べられた皿を押しのけ、男は身を乗り出して質問を繰り出す。
「...って何?初めて聞くんだけど...?」
「それはお、…私も同じなんだよね。お告げをくれたちょい可愛い子も驚いてて教えてくれなかったんだけど、結局のところお、…私は何をすれば良いわけ?」
時折垣間見える「お」の理由を、私は多分知っている。何も無理をして女性を演じる必要はないはずなのに、この世界観にどっぷりと浸りたい気分なのだろうか。
「巫女様も知らない『天命』ってこと?そんなんありえんの?でもまぁさ、世界って常に変化してるわけでさ、新しい『天命』が発生しても不思議じゃなくない?」
男の言うことも一理あるなと私は感じた。それでも、少女がこの場所にいることの意味に興味があったのは、きっとヤツの影響なのだろうなと思い、少し意地悪をしてやりたくなった。
「で、マリアンさんは結局、どんなことをやるの?」
自らの質問に対して同じ質問を返され、あからさまに不機嫌そうな顔をする。眉間にしわを寄せたマリアンが、私の問い掛けを華麗にスルーする。それはもう、鮮やかと拍手を送りたいくらいにだ。
「それもそうだ...よね。ところで、お二人のな...お名前をまだき...伺ってないのだ...けれども?」
そう言われてみれば、私もこの男の名前を知らないことに気が付いた。二人でいるときは、さして必要がなかったから聞きもしなかったのは内緒にしておこう。
「おっと、これは失礼した。俺は『ラフィ・ロ・ココ』。『天命』は『ドクトリーナ』…まぁ科学者だな。『ラファ様』と呼んでくれ!で、こっちが、...えーっと、おまえ名前何て言うんだ?」
私の性別にすら気が付かなかった男だ。名前なんてもっと興味がなかったのだろう。そもそも二人称で会話が成立していた時点で、やはり名前など出てくるはずもなく、合理的なこの男からすれば、混乱の元と言えばそうなのかも知れない。
「...えっと...。」
自分の名前を聞かれて、瞬時に答えられないのには理由がある。私が想像している通りならここで本名を明かすのには何か支障があるのだと『マリアン・ハート』の名前を聞いて直感したからだ。
「潤いと書いて『うる』だ、でしょ?」
どう答えるのが正しいのか、考えあぐねている私に救いの手を差し伸べたのは、マリアンだった。
「...どうして、あなたがその名前を?」
「いや、普通に言いにくそうにしてたから、言ったまでだけど?」
「じゃなくて!」
「じゃなくて!」
私の口癖までも、しかもタイミングを合わせて言える人間など、ましてやそんなことまでして私をからかう人間など、この世で一人しか知らない...やはりこの少女の正体は...。
「...ひ」
先程自分の口元にあてた人差し指を、私の口元に押し付けて声に出さずに私を牽制する。
「(...だ...ま...れ)」
その瞬間、私は今現在マリアンの支配下に戻ったという事実を認識した。その認識から奪還すべく、初めて自分の意思を声に出してみた。
「こほん。私の名前は『ウルティ・マキナ』。皆からは「うる」と呼ばれているわ。私の名前を知ってるってことは、私も随分と有名になったものね。職業はまだ不明、ここに来てどの位の時間が経ったか知らないけど。」
精一杯の見栄を張ってはみたものの、これでマリアンはどう感じるのだろうか、それだけが興味の矛先だった。
「おまえ、他に仲間なんていたのか?」
アウトローな場所から、すっとんきょな質問が返って来たので、私の可愛らしいお目目はしばしの間瞬きを忘れた。
「じゃなくて!...だ、でしょ?」
男言葉がちらほらと垣間見える少女の口調に私は怒りを露わにした。
「ねぇ、マリアン!あなたなんでしょ?私が誰か分かってて、そうやって茶化して何が楽しいの?」
人狼ゲームに終止符を打つべく、マリアンを問い詰める。そのマリアンは、片肘をついたまま、いつオーダーしたのか、紅茶を啜りうっすらと笑みを浮かべている。テーブルの上には空のシュガースティックが7袋散乱していた。
「うる、自分の顔を鏡で見てこ、きたらど、いかがかしら?鏡くらいはこの世界にもある、りますわよね?」
そういうと、豚の肋骨周りにナイフを差し込もうとしているラフィを見る。
「いんにゃ、かがびば、じんでんぼながだげに、うぇっほ、がっ、げほっ、ごほっ」
「ちょっとラフィ大丈夫?」
むせこむラフィの背中をさするも、マリアンはあきれ返って水の入ったグラスを差し出す。
「んぐっ!んぐっ!げふっ!」
と勢いよく飲み干したラフィは
「ぷふぁー、生き返ったー!」
と、まるで中年親父が花金ビールを決め込んだかの様なセリフを吐き捨てる。
「って、俺はラフィじゃない、ラファ様だ!」
「それじゃ、そのラファ様に聞くが、…けれど、鏡はどこにある、のかしら?」
「まぁ、そうだな、鏡はあると言えばあるが、俺の知る限り『天命』を受けた時に見ただけだぞ?」
「最も、自分の姿を見るだけなら、鏡じゃなくて、このグラスに入った水でも良いんじゃないか?」
そう言いながら、ラフィがマリアンにグラスを渡す。グラスを覗き込むマリアンは、
「やはりな」
と呟いて、私にグラスを回す。
グラスの中を覗き込んだが、いつもと変わらない、いつも通りの私が写っていた。強いて言えば、メイクをせずに出歩いていることに気がついたくらいだ。
「私...だけど、これが何か....?」
とマリアンの顔を見た時、ハッとなり、もう一度グラスを覗く。
「...私だけ、私のままだ...」
その呟きに、ラフィが不思議そうな顔をして答える。
「おいおい、俺も元の世界と同じだぞ?マリアンもそうだろ?」
マリアンはどこか得意げな顔をして、瞳を閉じながら首を横に振る。
「いっ!?マジで!?違うの!?」
確かに言われて見れば面影は残すものの、顔立ちは女性そのもの、むしろ整った美しい顔は、私の知るヤツの顔ではない。
「顔どころか、色々と違うな。」
そう言うと、私の左の手首を掴み、胸に押し当てる。
「え...?」
「...うん」
おもむろに私の胸を触ってみる。
「くっ...Dか...いやこのアンダー加減からいうとEはあるかも知らん...。」
まさかここでも負けを認めなくてはならない悔しさと、初めて触った他人の胸の感触に、無意識のうちに柔らかい丘を、私の人差し指が下から上へとなぞる。
マリアンは少し堪える顔を赤らめながら言う。
「自分で押しつけておいて何だが、いい加減やめてくれないか?」
ラフィは横で何でこうなったのか分からないまま、羨ましそうに締まらない顔をしていた。
「...ハッ!?何見てるのよ!」
とともに、豪快なパーンという音が店中に響いた。
「こほんっ。で、ひ...マリアンはどうして女性に?ってか本当に本物?」
疑う要素はいくらでもある状況で、マリアンは顔色の一つもかえず余裕の笑みで答える。
「さぁ、何でか分からないけど、こうなってた、わ。最初はお、…私も驚いたんだけどね、トイレとかしてるうちに慣れた、…てきちゃったわ。悪いもんじゃないわよ?胸は触り放題、あっちだって...ね、ら・ふぁ・さ・ま。」
そう言うと、マリアンはラフィを指差し優越感たっぷりに微笑んだ。
理解が追いつかないラフィは、突然降って沸いた幸運と言わんばかりに、マリアンの胸に手を伸ばす。
「良いわけあるかー!」
何に怒っているのか分からないまま、またパーンという音が店中に響く。
マリアンは笑いながら、
「減るもんじゃないんだから、良いじゃん、…ないの。」
そう言うものの、乙女には乙女の絶対領域というものを死守する義務があるのだ。
「マリアン。あなたね、女性になったからには、女性らしい行動を...。」
言いかける私の言葉を遮って、マリアンは話し出す。
「本物かどうか、そのお話はどこにいったのか、しらね?仮に、お、…私が偽物だったとしたら、あなたが置かれている今の状況に、何か影響があるのか、しら?」
この嫌味にも取れる言い回しは、間違いなくヤツそのものだが、信用するにはあと一押し欲しいところだ。
「それなら、これを答えられたら信用するわ。」
そういうと、私はヤツにしか絶対に答えられない問題を考える。考える。考える。
その間、ラフィはというと、頭の中の天使軍と悪魔軍が大戦を繰り広げている様で、血走る目は完全に常軌を逸していた。
「そうだわ、この問題はどう?私たちの結婚記念日は?これなら本物にしか分からないはずよ!」
自信満々に問いただす私の顔を見て、マリアンはくすりと笑い答えた。
「うるの誕生日。でも、これは戸籍を見れば誰にだって答えられるよ、…わよね?今度は私の番だ、…かしら?それじゃあ...」
背筋が凍る様な眼差しで、不適な笑みを浮かべながらマリアンが口を開こうとした時、私は確信した。このまま会話を続けさせてはいけないということを。そういう状況を好み、誘導するのはヤツ以外にいないということも。
「わーわーわーわー!待って待って待って!分かったわ!分かったから!」
バミューダ海峡を泳ぎきった直後の様に、私の全身は冷汗で濡れていた。
「はぁはぁはぁ...認める、わ。」
口惜しさと、恥じらいと、嬉しさと、懐かしさの真綿が交互に折り合い、私の首元を締め付けるようにか細い声で私が言うものだから、マリアンは優しい笑顔で私を見つめ、
「ありがとう。」
と呟き、紅茶を飲み干した。
「グロリア様!グロリア様はおられるか!」
街の憲兵らしき男達が槍を片手に、武装した馬にまたがり街中を捜索している。
「ねぇマリアン、『グロリア様』ってマリアンのことじゃないの?」
「さぁ、私はマリアンだし、『天命』は『グロリアス』だから、別の人だ、よ。きっとね。」
そう言いながら、ラスクを片手に優雅に二杯目のお紅茶を楽しむマリアンだったが、ふと思い立ったように席を立つ。
「え~っと、こういう時は何ていうん、…のかしら?ん~確か...トラを倒しに行ってくる、わ。」
「いや、それ結構違うから...。」
とつっこむ間もなく、お手洗いに走り込んで行った。トイレが近いのは相変わらずのようで少し安心したのは内緒だ。
その頃、ようやく終戦を迎えたのであろうか、ラフィの顔は、何故か艶やかで、一片の悔いもないと言わんばかりのスマイルを浮かべて、親指を立てていた。
ほどなくして、私たちの席にも先程の憲兵らしき男がやってきた。
「おお、これは、先程グロリア様と一緒におられたお二方ではありませんか!おや?グロリア様はいずこかへ出かけられましたかな?」
藁をもすがるとはこのことを言うのだろうか、憲兵の鼻息は荒く、無骨で荒々しい甲冑が呼吸の度にガシャガシャと音を立てている。
「グロリア様...?か分かりませんが、マリアンならつい先ほど、トラを退治しに行くと言って出かけられましたわ。」
間違ったことは言っていない。庇ったつもりもない、つくづく夫婦というものは発想が似てくるのだろうか。
「あいや、なんとこれは!ニアミスでありましたか!それで、グロリア様はどちらの方角へおいでになりましたか?」
「さぁ、そこまでは…。私、お花を摘みに出かけておりましたので、戻った時にはすでに出かけられた後でしたの。」
それなら何故、トラを退治に行ったと言えるのか、我ながら下手くそな嘘をついたものだ。
「これは失敬いたしました。ご婦人にそのような質問を、お許し下さい。」
そういうと男は私の手をとり、そっと額を近づけた。
「教会騎士団のはしくれとして情けない限りであります。また何か有益な情報がございましたら、お知らせください。それでは私はこれで。マスターここのお代、これで頼む。」
そういうと憲兵は、どこから取り出したのか、鼻水をたらしながら泣き叫ぶ子豚を放り投げた。
そもそも、連絡先も知らない相手にどうやって連絡を取ればいいのか、理解に苦しむ阿呆で助かったとも言える。
ことの一部始終を扉に空いた穴から見ていたマリアンが、顔をのぞかせ、何かジェスチャーをしている。
「もう大丈夫だから、出て来なさいよ。」
呆れた声でいう私に対して、マリアンは両手で合掌して苦笑いを浮かべる。
「で、マリアン、あなた何をしたの?憲兵?宮廷騎士団?に追われてるの?」
「ん~...追われてるのか、しら?お、…私がここに来てやったことと言えば、起きて、歩いて、道聞いて、かわいい子ちゃんに会って、はい、あなたが『グロリアス』です!って言われただけだ、よ?」
「...あの~。」
そういえば、ラフィの存在をすっかり忘れていた。
「ん?ラファ様、どーしたの?」
「もしかしてだけど、もしかしてだよ?俺らって、どっかで逢ったことない?...なんつって...。」
半笑いなのか、苦笑いなのか、判別のつかない顔で、使い古された口説き文句に少しイラっとした。
「ばっかじゃないの?あんたと私たちがどこかで逢って...。」
「うん、逢ってるよ。」
「(へ?)」
聞き間違いじゃないだろうか、マリアンがさぞ当たり前の様に放った言葉に耳を疑った。
「うるはどーか知らないけれど、お、…私は昔オンラインゲームの中でちょこっとね。エ・ロ・た・ん?」
その名前で呼ばれたのは何年ぶりだろうか。
思いがけず、飛び出した昔の名前に懐かしさを覚えるも、理解に苦しむ部分がいくつもある。
「マリアンって男...だったよな?」
「うん、そうだよ。ついさっきまで正真正銘雄だっ、…でしたけれども、気がついたら雌になってた、…ましたわ。」
「その辿々しい女口調はやめてくれ。頭が痛い。」
「そうかしら?」
マリアンは昔っからゲームの中では女性キャラを扱うネカマだった。それが現実として目の前にいること。
グラスに写る自分の顔は現実と同じなのに、マリアンだけは違うこと。触覚のない俺に、これが夢かどうかの判断ができないから、ウルティ・マキナの頬をつねってみる。
「イタタタっ!ちょっと何するのよ!?」
マリアンはクスリと笑った。
「ここは現実だよ。…んー、でも現実とはいっても、私たちが住んでる世界観とは、かなりかけ離れてる気もするんだけどね。」
たしかに、現実世界と大差のないことは、さっき俺がウルティ・マキナの頬を当たり前のようにつねった行動からも認識はしていたのだろう。だが、改めてこの状況を現実だと言われ、「はいそうですか」と言って、そう易々と飲み込める訳ではない。
それはウルティ・マキナも同じようだった。
「...ここが...現実...?」
おそらく、それが普通の反応であって、その可能性を考える余地を、半年前からこの世界にいる俺ですら持ち合わせてはいなかった。
「誰だって最初はそう感じるだろう。だがな、事実は事実として飲み込めよ。」
その言葉は、いつにもなく深く開こうとする喉を必死に堪えようとしている様だった。
「なぁ、うる?...何でおまえがここに居るんだ?」
これ以上堪えるのが限界なのか、マリアンの右目から涙が溢れ出てくる。
「...え?」
その質問の真意を理解できていない様子のウルティ・マキナは、マリアンの流した涙の意味さえも理解できてはいなかったのだろうな。
「...子供たち...は、どうした...?」
そこまで言われて、初めて自分の置かれた状況を把握したのだろう。
「あの時、え?あの時から何時間経ってるの?何で?どうして?」
頭を抱え、パニックにも似た挙動のウルティ・マキナは、どこか後悔の責を感じた様にも見える。
「落ち着け。」
マリアンがそう言いながら、さぞ当たり前かのようにウルティ・マキナに抱きつき、頭を撫でる。
「ひびき!...どうしよう?」
おそらく本名を口走る程に取り乱しているウルティ・マキナにマリアンは気休めの言葉をかける。
「大丈夫、きっとなんとかなる。それにここではマリアンだ。」
自分から不安を煽っておきながら、自分でフォローしてたら元も子もないなとは思ったが、ウルティ・マキナが、ふぅっと一息吐いた時、全身の緊張が解けていくのを見て、疑問を持たなかったと言えば嘘になる。その疑問の意味を理解するのはかなり先になるのだが。
「グロリア様!こんな所におられたとは、探しましたぞ!」
先程の教会騎士団を名乗る男が息を切らしながら走ってきて、私達を睨む。
「見かけたらすぐに連絡をするようにと言っておいたはずだ!グロリア様を軟禁した罪、貴様らの行動は我々への反逆と見なす!」
なんともまあ、言いがかりも甚だしいにも程がある。堪え切れず、床に手を叩きつけて立ち上がる私をよそに、マリアンが屁理屈を投げつける。
「やったさ、テレパシーで伝えたとも。な、『ドクトリーナ』殿。」
マリアンの咄嗟の発言にもかかわらず、状況を把握したラフィは腕を組み、得意げに頷く。更にマリアンが釘を刺すように続ける。
「その結果、成功しない事象をひとつ検証しただけのことだったみたいだな。最も、今回は受信装置を持たない受け取る側に問題があったとのことだが、その点はどうするつもりだ?」
屁理屈が服を着て歩いているような性格はこっちの世界でも変わりがないようだ。
「で、!ですが、グロリア様っ!」
「グロリアとは誰だ?」
間髪を入れず次の釘を刺す眉間のシワが、より一層深さを増す。騎士団員は一瞬言葉を詰まらせ、何かを発言しようとしたが、マリアンがそれを許さない。
「私はマリアン・ハート。こちらの女性はウルティ・マキナ、そしてこちらの『ドクトリーナ』殿がラフィ・ロ・ココ。ここにグロリアという名前の人間は存在しないのだが?」
「ですが、マリアン様!あなた様は今世紀に現れた『グロリア』様でありまして...。私めは貴女のお身柄を保護、護衛の上、教会にお連れするよう命を受けているのです。」
言葉に嘘は無いのだろうが、マリアンにとっては格好のエサでしかなく、しかめ面の口元だけが緩む。
「それなら私ではないな。ラフィ、ここの支払いはお願いできるかな?どうやら、私だけではなく、うるもこの世界に来たばかりのようだからな。」
そう言って、先程の子豚を街道に向けて放牧する姿は、どこか聖女のようにも見えた。
「マリアン様!」
必死の形相で騎士団員がマリアンの腕を掴むと同時に、マリアンは悲鳴をあげる。
「きゃー!」
どこから声を出しているのか、ホイッスルボイスの高音が、静まりかえった街の灯りを一斉に灯したのは言うまでもない。
「これで貴様にも何かしらの罪状が付けられるのではないか?婦女暴行か?誘拐か?滑稽だな騎士団員殿。」
誰が見ても分かるほどに、騎士団員は怒りをあらわに腰の剣を手に取る。
「謀りおったな!この下衆な女め!貴様があの『グロリア』様のはずがなかろう!私をたぶらかした罪、その命を持って償うが良いぞ!」
えらく長い捨て台詞を吐いた騎士団員は鞘から抜いた剣を大きく振り上げ、マリアンに向かって襲いかかる。次の瞬間、群衆が息を呑むのより早くに、私たちの周囲を青い炎が取り囲んだ。同時に騎士団員が振り上げた腕を降ろすことなく立ったまま失神していた。騎士団員の胸元に杖を突き立てたマリアンがラフィを見て頷く。
「ラフィ、ありがとう。でも大丈夫だから、この炎を消してもらえるかしら?暑くて脱ぎたくなってしまうわ。」
そう言うのと同時に、マリアンの右手に握られた杖から、形容のしがたい高音が次第に低音へと変わり消えていく。
何が起こったのか、理解をできる人などおらず、ただ幼い子供達の泣き声と、騎士団員が倒れる音が夜の帳にこだまする。
「ラフィ、この男を担いでもらえる?今の私には少し重たいんだ。」
そう言って、もたれかかってきた騎士団員をラフィに預け、マリアンは群衆の視線へと目を送る。
「夜遅くに失礼した。これは私からのせめてものお詫びだ。」
そう告げたあと、マリアンが口ずさんだのは、先ほどとは真逆で、とても優しくて穏やかで温もりに心が満たされるララバイだった。
「ADXラプラス」第1章をご覧いただきまして有難うございます。
物語の始まり、複数視点からの進行となりまして、最初は読み辛い点も多くあるかと思いますが
今は誰の心情で物語が進行しているのだろうかなどを楽しんで頂ければと思います。
公式ホームページより
各種SNSのリンクもあります。ぜひご登録頂けましたら今後の活動の原動力ともなります。
どうぞ、宜しくお願い致します。
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佳逗葉