第1章 第1節「驕れる者、半夜の眠りは誘いの煌めき」
The F1rst Take風朗読動画を公開しました。
https://youtu.be/-uNyERNCHVc
序章:「 」
人間は、いずれにしても五つの感覚で世界を感じ、他人を感じ、自分を認識している。その感覚一つに歪みが生じたとき、その人間の世界はどんな世界になってしまうのだろう。想像していただきたい。
此岸 佳逗葉
https://6212.me/
第1章 第1節「驕れる者、半夜の眠りは誘いの煌めき」
私は私という人間が歪んでいることを認識している。ただ、周りの人間よりも優れていると、同世代と比較され、誰よりも他人に気を遣い、頭一つ下げれば大抵のことは許される。起こってしまった事象に怒りを露わにしても、事実が変わることはなく、その後始末をどうするかの選択を繰り返しているだけに過ぎない。
散らかったデスクの上、いつもと同じ時間、いつもと同じディスプレイを眺めながら、特に意味もない徘徊を繰り返す。あの頃ディスプレイ越しに想像した仲間のことを思い描いたとき。不意に目の端で捉えた何かが脳裏を掻きむしるのが煩わしくて、ブラウザバックを繰り返す。何度も何度も。ようやく辿り着いたのは、ただ真っ白な画面に真っ白なバナー。文字があるわけでもないバナーを認識できたのは、たまたまそこにあったカーソルが、リンクの上にあるのを確認したからなのだろう。しかし今日真っ白なページを踏んだ記憶はない。読み込みエラーかと思い、再読み込みを試みるが、画面は目の奥を強く刺激する青みがかった白一色のまま変わりはない。暗い部屋で眠れないのに瞼が重く、虚な瞳の中にぼんやりと認識できるその真っ白なバナーを踏んだ時、私の意識は途絶えた。
青臭い緑の匂いと、微かに聞こえる水が流れる音、規則正しい放射を描く太陽の光と、わずかに冷たい手の感触。私は今何処で眠っているのだろうか。もう少しこのまま楽な姿勢でいたいと思ったが、不眠症の私にはそれが叶わず、腫れる歯茎の違和感に日常を取り戻すはずだった。
遠くから聞こえてくる賑やかな声と音楽。笑い声と怒鳴り声。どうやらそう遠くまでは来ていないみたいだ。
頭が鈍く重い。いつものことながら、寝落ちした日の朝は気怠さから始まる。そんな気怠さを押し殺して、身体を押し上げるのは、もはや日課と言っても過言ではないのであろう。いつも通り、両手を突き立て起きあがろうとした時。
「イッ。」
予想だにしていなかった指先の痛みに、気怠さよりも、危険な場所なのではないかという思考が私を混乱へと誘う。そんな私の感情などお構いなしに、目の前には朝露滴る緑の絨毯が広がっていた。
「…は?」
混乱する私を引き戻したのは、地味に主張の声をあげる指先のジンジンとした痛みそのものだった。おそらく、先程手を着いたときに葉っぱで指を切ったのだろう。まだ葉っぱだった事は不幸中の幸いだったと考えることにしたが、何年ぶりだろうか、草木で指を切ったのは。私の浅黒い血が一滴一滴と静かに流れ出る。少し幸先の悪い一日にどんな未来が待っているのか。いつも通り毎朝配信される占いを見ようと、シルバーメタリックのりんごマークを探す。
「んぁ?あっれ、持ってねーのか…。」
ということはだ。占いだけではなく、オートロックの玄関を開ける唯一のアイテムを持たずして外に出てきてしまったらしい。前言を撤回したくなる、何て最悪な一日の始まりだ。
「ッツー、ってか今何時よ?今日出勤日だっけ?」
当たり前の様に左手の時計を見る。
「…ん?」
当たり前の様に左手の時計を、...見れない!?右手は見えるのに、左手が見えない!?
「(やばい、呼吸が速くなる。息が苦しい。鼓動も不規則で手首が無性に痒い)」
震える右手を左手で抑えたそのとき、時計焼けした左手が視界に入ってきた。左手がないのでは無かった。左手はあったけれど見えなかった。少し角度を変えれば見えたのだ。視界が少し歪んでいるのだろう。焦ることはない。ゆっくりと長く息を吐く。一回、二回。息を吐けば自然と息を吸う。三回目を吐き終わった頃には、大分呼吸も落ち着いてきた。吐く呼吸とともに、強ばる全身の力を抜いていく。
「大丈夫、辛いのは五分位で終わる。」
言葉に出してしまえばなんてことはない。鼓動がゆっくりと静けさを取り戻す。最後の深い呼吸を終えたとき、未だにぼやける視界が眼鏡をしていないことに気付かせる。辺りを見渡しても見つからない。
「まじか...。眼鏡も忘れて出てきてんのか...。」
ベッドで寝ていたら眼鏡を探す用の眼鏡もあったはずなのだが、それすら見つからない。やはりなんて最悪な日だと両手で顔を覆う。ふと、先程の左手が見えなかったことを思い出し、左手を顔から離す。
「...え?」
右手の端から溢れる光以外何も見えない。左目は完全に開けている感覚はある。ぼやけるでもなく、瞼の裏に流れる血管が見えるわけでもない。完全に見えない状態なのだ。また呼吸が荒くなる。
「(何処かで転んだのか!?)」
四肢を触るが、外傷らしきものは先程切った手の傷くらいしかない。
「ってか、服を着たまま寝落ちとか、いつ以来だよ...。」
私は寝る時は北枕・裸族・枕を使わないのが正常なのだ。正確には、パンツと腹巻きだけ装備して、この季節なら室内は二十二度をキープ。夏場でも羽毛布団をかけて眠るのが日常なのだ。ちなみに冬は羽毛布団の上に毛布をかけるタイプだ。同室に眠る妻は、真夏でも寒いと言いながら毛布に包まり、子供達は暑いと言わんばかりにかけた布団を蹴飛ばす。自由奔放に蹴飛ばすのだから、ダブルベッド二個を連結した広さから、何故小さな身体が落ちるのか理解し難いほどに寝相が悪い。とは言え、今回は服を着たままと言うのが不幸中の幸いだ。普段のまま徘徊していたら間違いなく鉄格子の素敵なお部屋にご招待されていたに違いない。
それよりも、だ。先程切った指先以外には、特にこれと言った外傷もなく、左目が見えないのはどう言うことか。
冷静になんてなれるはずもないが、見える範囲に建物らしき物は見えない。見る限り小高い丘の上で起きたのだから、この場所で眠ってしまったのだけは事実のようだ。
「(いくら田舎とは言え、近くに360度パノラマの草原なんてあったか?俺は今何処に居る?家には...簡単に戻れそうにもないな。スマホも無ければ連絡手段もない...。)」
考えることを一時放棄するには、十分過ぎるほど材料は揃っていた。
決断の早さには人一倍自信があった。同時に、諦める速さも人一倍自信がある。起こっている事象には必ず原因があること、現在の自分には必ず過去の自分の行いが反映されていることを知っている。宗教じみた言葉で言えば、「因果応報」というやつだ。私は信仰する神や仏は持ってはいないが、この言葉は大切にしてきたつもりである。その経験から、原因の特定材料が乏し過ぎる現状を鑑みて、もう一度天を仰ぐ。
「太陽の光か...」
まるでファンタジーの様に美しく、デザインされたかの様な光線が雲一つない空に我が物顔で君臨していた。
「ファンタジー!?...デザイン!?...だと?」
当たり前の様に捉えた自分の思考に違和感を覚え、飛び起きる。
「ゆめ...?」
まさかと思い、ベタに頬をつねる。
「...痛く...ない?ッツ!?いや、いつもと感覚は違うが間違いなく痛みはある。」
少し遅れてくる痛みにも違和感を覚える。ここが夢でも現実でもない世界なのではないのか、と疑念を抱きながら、朝露が滴る緑の絨毯に背中を預ける。
流れる風が花の香りを運ぶ、この感覚は紛れもなく現実と変わらない。どうしようもない孤独感に堪えようとは考えもせず、胎児のように体を右に倒しながら足を抱えようとした時だ。胸の辺りに、これまで経験したことのない違和感を感じる。ふと見下ろせば、片側の閉ざされた視界でも二つの膨らみをはっきりと捉えることができた。それを恐る恐る触ってみると、やはり柔らかい。生物学上「雄」として生を受けたはずの私には、本来あるはずのない魅惑の谷間を見て、ふと股座を確かめる。
「・・・」
少しの沈黙の後、今朝一番の衝撃のあまり、心から叫んだ。
「女かよっ!!」
「ADXラプラス」第1章をご覧いただきまして有難うございます。
物語の始まり、複数視点からの進行となりまして、最初は読み辛い点も多くあるかと思いますが
今は誰の心情で物語が進行しているのだろうかなどを楽しんで頂ければと思います。
公式ホームページより
各種SNSのリンクもあります。ぜひご登録頂けましたら今後の活動の原動力ともなります。
どうぞ、宜しくお願い致します。
https://6212.me/
佳逗葉