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第八話『未来と過去』

 大陸暦一三五八年、七月二十二日――

 明くる日の朝、いつもはエリックがリンダを起こすのだが、この日は立場が逆転していた。時計の針は八の刻限を指している。既に日は昇った後だった。


「お兄ちゃん、今日は随分とお寝坊さんね。シルビアさんのお見舞いと、留置場に放り込まれた二人の様子見に行くんでしょ。朝ごはんはもう出来てるよ」


 妹の声に、未だ重い頭をなんとか働かせる。エリックの部屋を出ればすぐに上り階段と勝手口に行き当たる。勝手口は中庭に繋がっており、リンダの家庭菜園やエリックの調査道具の洗い場が設けられている。せめて、顔だけでも洗っておこうとドアを開けた途端、見覚えのある顔が目に入ってきた。長身で鼻の高い犬亜人の刑事、ロックだった。


「……何かご用で?」

「昨日の件で話を聞きたい。ご同行願おうか」


 警察独特の物言いに、エリックは自分がリンダ襲撃の件で疑われている事を思い出した。しかし、昨日の件は全員が揃っている状態でジェリム男に襲われた。エリックに疑いが掛かるのはいささか不自然ではある。とは言え、身の証を立てようにも、師事する学者は港湾都市ニプモスに事務所を構えている。


「……分かりました。ですが、朝食と身支度くらいの時間は頂きたい。半刻ほど待って貰えませんか」

「分かった。上の玄関はもう一人が張ってる。逃げようとは思わない事だ」


 ドアを閉めたエリックは内心舌打ちすると、不愉快極まりない顔で階段を上った。階段の先は居間である。食卓を挟んだ向こうに佇むリンダは、不安に満ちた視線を送ってきていた。


「大丈夫だ。半刻ほど時間がある。そんな顔をするな」


 エリックは微笑みかけたが、リンダの不安と怪訝の色は拭えない。刑事に張られている事よりも、兄の眉間に寄った皺の方が大きかった。エリックがそのような顔を見せた事など、リンダの記憶には数えるほどしか存在しない。

 気まずい空気のままとった朝食は、どこか味気なかった。特産レモンのジャムも、味も香りも感じられず、ただ湿ったものを臓腑に押し込む作業のようであった。


「お待たせしました」

「ぴったり半刻だな。行くとしようか」


 金縁に黒地の、国家認定考古学者のコートを纏ったエリックが、白いワンピース姿のリンダを伴って家を出る。待っていたキスウィーの視線が兄妹を捉える。この二人なりに、改まった物を揃えたのか、という印象だった。少し遅れて、ロックが坂道を駆け上がって来る。四人はパトカーに乗り込み、留置場や施療院のある南部へと向かった。



「どうだね、今の気分は」

「どうもこうも、こんなに安心して眠れたのは久しぶりさ」


 留置場で檻の中の存在となったカーンは、キスウィーの質問に悪びれる事なく答えた。ロックが顔をしかめる。不逞の輩がよく口にする言葉と似ていたためだ。しかし、片方のベテラン刑事はその答えに他意がない事をどことなく察し、若手を手で制した。


「もう少し、当時の状況を聞きたい。彼を会議室へ。あと、黒い鎧の方も呼んでくれ」

「了解」


 エール村の駐在は、どこか気だるげな返事だった。それから少し間を置いて、指示に覚えた違和感に問い掛けた。


「会議室ですか? 取調室じゃなくて?」

「人数が多くなるからな。取調室では狭過ぎる」


 キスウィーの言葉に、駐在は刑事の後ろにいた兄妹を見た。目を白黒させながらも、居合わせたもう一人に鍵を持ってこさせた。

 しばらくして会議室に通された一行は、傍から見れば異様な集団としか取れなかった。片田舎の村には似つかわしくない、王都から来た刑事が二人、国家認定の考古学者、それなりに改まった格好の村娘、歩く骨董品としか見えない黒い鎧、そして別の世界からやって来たような風体の長身の男である。


「さて、始めようか。私は王立警察刑事課のジャック・キスウィー」

「同じく、ダニエル・ロックです」

「ご丁寧にどうも。俺はカーン・モヒトー。元いた所では狩猟や採集、居住区の警備でもやっていた……何でも屋みたいなもんだな」


 二人の刑事と顔を合わせたカーンは、互いの姿に幾分かの興味を示したようだった。


「それにしても、随分と変わった格好だな」

「それはお互い様と言いたいね。えらく古めかしいスーツじゃないか」

「古めかしい……ね。これでもレンストラ大陸はヨーブル共和国製の最新モデル、宰相のアンリ・ダウチャーも愛用してるって話なんだがな」

「ダウチャー……待ってくれ、聞いた事があるぞ」


 カーンが口に手を当てて考え込む仕草を見せた。宰相ダウチャーと言えば、四十年前のレンストラ大陸動乱にて生き残った旧ヨーブル王国貴族で、豊富な知識と経験をもって国を支えている、国政のキーマンである。


「そうだ、子供の頃に歴史の教科書に名前が載っていたんだ」

「確かにレンストラ大陸動乱は私が子供の頃の話だが……ダウチャーはまだ教科書に載る人物ではないだろう。見間違いではないか?」

「いや、確かに。俺の荷物の中に端末があるはずだ。持ってきてくれ。ペン一本分くらいの金属製の筒みたいな奴だ」

「分からんだろうから、彼の荷物を全て持ってきてくれ。その方が早い」


 カーンとキスウィーのただならぬ気配に、警備に当たっていた駐在が慌てて会議室を出て行った。


「しかし、レンストラ大陸動乱は大陸暦一三二〇年前後の話、刑事さんが子供の頃というと、あんたは幾つなんだ?」

「私か? 私は四十七歳だが……」

「ちょっと待ってくれ……今は何年だ?」

「大陸暦一三五八年だが?」


 途端に、カーンの顔色が変わった。自分の置かれている環境の変化の正体に気付いたらしかった。


「やはり、あの壁画に隠されていた術式陣の時空干渉は作用していた、か」


 割って入った声に、一同は思わず跳ね上がるような驚きを見せた。声の主は只一人動じなかった存在、黒い鎧だった。


「失礼、私は自分の名を忘れてしまった者。暫定でこの鎧の主と思われる、サイクス・キュリールを名乗らせて貰っている」

「あんたがどう名乗ろうと構わんが、流石に初代王様というのはなぁ」


 サイクスの言葉に、キスウィーは驚き半分に嘆息一つを混ぜて返した。続くように、エリックが反応を見せる。


「カーンが呼び出された時、壁画の所々に光る筋が走り、天井まで伸びて門のような模様を浮かび上がらせた。あれが、貴方の言う時空干渉の術式陣か?」

「貴方は魔法に明るいと見えるな。いかにも、あれは特定の起動条件を用いられた術式陣だ」

「特定の起動条件……例えば、あの石室の中で術式を行使するとか、貴方が水の四天王と呼んだジェリム男の侵入とか、そういったものか?」

「そうだ。その起動条件とは……」

「刑事さん、その男の荷物を持って来ました」


 カーンの荷物を持った駐在が会議室に戻ってきた。エリックは眉を顰めるが、優先順位的にはカーンの方が上らしい。口をへの字に曲げながらも黙っていた。


「無くなってる物はないな。よし、こいつだ」


 カーンがベルトに取り付けていたサイドパックから、筒状の物体が姿を見せた。両端の突起を親指と小指で押し込むと、中央の蓋が持ち上がった。そこからは異様に小さいレンズが現れ、中空に立方体を浮かび上がらせた。


「こいつは何だね?」

「接触可能な立体映像の投射機能、と言って伝わるかな」


 誰もが首を傾げたり、横に振った。カーンを覗く全ての者にとって、これはまったく未知なる存在だったのだ。片方の眉を吊り上げるような表情を見せると、カーンは立方体を触れずに回し、一片を指で軽く押した。そこから先に何が起きたか、それを把握して説明出来る者はいなかった。立方体から、文字通り引き出されるようにして小さな箱状の映像に幾度か切り替わり、そして目当ての情報に行き着いた。


「これは……」

「大陸暦一九九七年刊行の歴史の教科書だ。物質化された方もあるみたいだが、俺は見た事がない」


 浮かび上がる映像は、よく見られる長方形――本の形をしていた。カーンが幾度か触れると、再び連なる箱状の映像に切り替わり、その中から大陸暦一三〇〇年代、レンストラ大陸の偉人が選択される。そして、宰相ダウチャーが立体的に映し出されたのだ。発せられる声も、ニュースフィルムで見聞きしたものと全く違いが無かった。暗幕もスクリーンも映写機も必要としない装置に、誰もが我が目を疑った。


「これで分かって貰えたかな。俺は少なくとも、あんた達よりも六五〇年は先の時代の人間だって事だ」

「驚いたな。施療院に担ぎ込まれた女が、驚くほど迅速かつ的確な応急処置を施されていたと聞いたが、それも君かね」

「非電源式の視力補正器を着けた彼女かな。だったら俺だと思う」


 恐らくシルビアの事なのだろうが、会話が繋がっているか疑わしかった。物品一つとっても呼び方が違う。それだけ、時代の隔たりがあるという事だった。


「まぁ、そういう事で、俺も正直なところ、どうしてこの時代にやって来たのか分からないんだ」

「それに関しては、私から説明したい」


 困った表情で小首を傾げたカーンに、サイクスが横から入ってきた。もしこの黒い鎧が本当に初代国王のものであるなら、両者の年代差は一三〇〇年を超える。


「先程、石室の壁画に隠されていた術式陣について話したね。あれは私が目覚めた時、元の時代へ帰るためのものだったんだ。しかし、何らかの理由で陣が書き変わり、逆に彼を呼び込むものになってしまった……というのが私の見解だ」


 サイクスの説明に理解を示す事が出来たのはエリックだけだった。次いでロックが比較的良好な反応を試みているが、それでも追い付かない所が多過ぎた。現代人にとって、魔法文明時代の技術というものは、遥かな未来のそれと大差ないように感じられた。


「サイクス、申し訳ないが……僕達の中に魔法を熟知している者がいない」

「それは失礼。しかし、カーン殿が皆に自分の時代の技術を説明して見せたような手段が、私にはないのでな。どうしても口頭での説明に頼らざるを得ないのだ」

「そうなんだよな……そうだ。カーンを呼んでしまった術式陣の起動条件を聞いていなかったな」

「あぁ、あれは私を封印していた石棺の蓋が開く事だ。石棺が開き、私の封印が解かれた際に、私を元の時代に戻すための術式陣……そういう手筈だったからな」


 手筈という言葉に、エリックはサイクスの石棺や石室、壁画に術式陣が周到に下準備されていたものだと把握した。自身の死後も長年、それも数百年単位で封印される事を見越し、あらかじめ時を越えて戻ってくるほどの下準備である。そうなると、彼を仇と呼んだジェリム男の正体がますます気になった。


「あのジェリム男は古い魔石星占術に精通していた。貴方に水の四天王と呼ばれ、貴方を我が主の仇と呼んだ。そして、貴方は死後もその魂を封印されていた……貴方の『敵』は何者なんですか?」


 サイクスの封印とカーンの時間転移を巡る点と点が線で繋がった。そこまで来ると、後はそれだけの規模の『敵』が存在する事になる。エリックのまっすぐな視線に、サイクスは向き直って暫し佇むと、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「この島がキュリール島と呼ばれるより前の支配者、魔の島の王……魔王ルハーラだ」

エリックとリンダの家

地価の安い斜面沿いに建てられており、玄関は二階にある。

入ってすぐに広めの居間と厨房、奥にはリンダの部屋と下り階段がある。

一階にはエリックの部屋と物置、勝手口があり、庭はリンダの家庭菜園と洗い場になっている。

自家用車は所持しておらず、もっぱら自転車か徒歩での移動が中心となる。

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