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第七話『引き金』

 大陸暦一三五八年、七月二十一日――

 黒い鎧の英雄の実力は圧倒的だった。ジェリム男がどれだけナイフを繰り出そうとも、手持ちの術式を撃ち込もうとも、それら全てが受け流され、弾かれていた。英雄曰く、水の四天王と呼ばれたジェリム男が操る術式は水刃(すいじん)水槌(すいつい)、魔光弾と多彩だったが、黒い鎧の手繰る金細工の短剣は、遡上する秋魚のようであった。


「くそっ、魔力は充満しているのだが……」

「この乾いた石室の中では、お前の水など吸われる一方だろう」


 攻めあぐねた水の四天王が黙り込む。もはや、その頭にリンダを襲う事など残ってはいない。それよりも討つべき対象が目の前にいるのだ。しかし、どれだけ手を尽くしても、刃の一筋も通る気配がない。黒い鎧の英雄が金の短剣を構え、ジェリム男に斬り掛かる。両者の立場は完全に逆転していた。

 その間で生じた隙に、リンダはエリックとシルビアの元へ駆け寄っていた。


「シルビアさん、大丈夫?」

「それなりに痛みは引いたけど、血が出過ぎたかもね」

「ごめんなさい、私が……」

「いいの、義妹を守るのは義姉の役目よ」


 エリックの腕の中で震えるシルビアに、リンダは心配そうに声を掛けていた。強がりにも近い笑顔で返すシルビアだが、その顔色は決して良くない。血の色は失われ掛けており、白みさえ帯びていた。そこへ、迫る足音と気配があった。


「こいつを使え」


 天井から落ちて来た男だった。手には金属製の筒のようなものが握られているが、他の誰もそれが何を意味しているのか分からなかった。目を(しばた)かせ、顔を見合わせる兄妹の様子を見て、男は筒の上下を持って反対方向に捻った。二〇オビュア(約三〇センチ)ほどの筒は半分に分かれ、男はさらに片方の筒の蓋を開けた。


「彼女の傷口を見せてみろ」

「何をする気だ?」

「いいから見せろ。このままだと死ぬぞ」


 抵抗の意を示すエリックに、男は半ば威圧するような声色で応じた。リンダは任せよう、という視線をエリックに送る。状況判断の早さと戦闘能力から、男が只者ではないと察していたようだった。


「奴のナイフはかなりの切れ味だな。かえって好都合だ」


 男はシルビアの傷口に、筒から出た淡く発光する緑色の液体を垂らし始めた。液体はアルコールに似た匂いを放ちつつも、ある程度の粘性がある。傷口に留まりやすい作りになっているようだった。


「これは……?」

「イスヤ・ジェルを知らないのか? 四十年前に作られて、市販までされてたほどだぞ」

「四十年前って言ったら、レンストラ大陸戦争よね。こんな薬あったかしら?」


 リンダと男は、互いの認識のズレに気がつき始めた。しかし、そんな事が本当にありえるのか、互いに確証が持てないだけに、言葉に詰まっていた。男がイスヤ・ジェルと呼んだ薬の発光が止んだ。すると、今度はもう片方の筒の蓋を開けた。取り出されたのは透明な包帯だった。絹のように滑らかで、ガラスのように透き通っている。男は傷口の長さに合わせてそれをナイフで切った。


「それは包帯なのか?」

「傷口の保護シートだ。さっきのジェルで止血と消毒をした所にこいつを貼って、水や雑菌の浸入を防ぐ。あくまで応急処置だ」


 男の説明に、エリックも何かを察したようだった。少なくとも、自分達とは違う世界の存在のように感じられる。言葉が通じる事が奇跡のようなものだった。男はさらに小瓶を取り出し、キャップを外してシルビアに中身を飲むように促した。


「毒じゃない。経口性の保水増血液だ。流れた血は少しくらい補える」

「……分かったわ」


 一口飲んで、シルビアの眉間に皺が寄る。決して味の良いものではないようだった。飲み干せという無言の圧力で小瓶の中身を体内に取り込んだシルビアの表情は、眉間どころか表情筋をフル稼動させて、顔中に皺を刻み込んでいた。


「何なの、これ……」

「不味いのが分かるなら、まだ大丈夫だな。本当に危険な状態なら、そんな顔すらしない」

「しょっぱくて苦い……臭くないだけマシだけど」

「それ以上いけない」


 エリックと男は同時に釘を差した。まだリンダは未成年である。しかし、男の持っていた応急処置の道具が効いているのか、シルビアの顔色は良くなり、表情も幾分か穏やかさが戻っていた。とは言え、彼女は自身が思っているほど、身体を動かせなかった。


「薬で血を増やしてるんだ。無理をさせてないはずがない。あんたが見てやってくれ。それと、お嬢ちゃん」


 自力では立ち上がれないほど消耗したシルビアをエリックに任せ、男の子はリンダに声を掛けた。


「奴に借りを返したいか?」

「どういう事?」


 男の目がまっすぐにリンダを捉える。若干の困惑を浮かべながらも、彼女の目も男をしっかりと見据えていた。


「あの斬られた女は、あんたと親しいんだろ?」

「……うん、お兄ちゃんと付き合ってるし」


 何かと付けて勝手に義理の姉のように振る舞うが、害を為すわけではない。リンダにとって、シルビアとはそういう存在だった。


「だったら、斬られた借りを返してやれ。その銃、弾は残ってんだろ?」

「まだ、信号弾が二発と通常弾が一発」

「十分だ。奴の意識は完全にあの鎧野郎に向いてる。狙うなら今だ」


 そう言うと、男はジェリム男に向けて銃を構えたリンダの手に触れた。


「余計な力を入れるな。銃のサイトを見て、その先に奴を捉えろ。この距離なら弾道は気にしなくていい」


 リンダの視界は、一発目を撃った時よりも明瞭に広がっており、心音が集中を阻害する事もなかった。心は不思議と落ち着いている。ジェリム男がこっちを向いていないというのもあったが、この予期せぬ異邦人に安心感を抱いていた。銃口の先では、黒い鎧の英雄に抑え込まれたジェリム男が防戦一方になっている。引き金に掛かる人差し指は、固さも重さも感じなかった。


「よし、狙うのは奴の胴体だ。でかい風穴を開けてやれ」

「分かったわ」

「いい返事だ。腹を括れ、覚悟を決めろ」


 リンダは銃を構えながら、腹と腿にも力を入れた。入れたというより、自然に入ったと言った方が正しい。


「そして、お前の引き金を引け」


 男の声に、リンダの指は反射的に動いていた。見据えたサイトの先、銃口から飛び出した信号弾の行く先に、水の四天王の横腹が映る。狙いは寸分違わず、弾頭はまるで吸い込まれるかのように直撃、高熱を伴った激しい閃光となってジェリム男の上半身を包み込んだ。


「当たった……」

「そりゃあな。銃の調整が狂ってなければ、ちゃんと狙って撃てば当たる」


 呆然とするリンダの肩に、男が手を置いて答えた。自分の身を守るため、親しい人が傷つけられた借りを返すためという理由はあれど、人の形をした相手を撃った。その事実が現実となって返って来ると、リンダの手には反動以上の衝撃が圧し掛かっていた。ジェリム男の上半身はその多くを失い、人間でいう心臓に位置するコアさえ露出している有様だった。


「く……くそっ、抜かったわ……」

「おいおい、この距離で信号弾喰らって生きてるのかよ」


 男は驚嘆した。人間ならば明らかに即死、熱に弱いジェリムなら尚更の直撃だったが、目の前のジェリム男はそれでも立っていた。そして、黒い鎧が衝撃で仰向けに転がっていた。


「我が主の仇……今こそ討ち取る好機ではあるが、我も体が動かぬ……覚えていろ、小娘、そしてそこの男……」


 ジェリム男は床に溶けるようにして姿を消した。身に付けていた物を全て捨てながらも、自身の生存を最優先したのだ。リンダは銃を構えたまま静かに震えていた。男はその手に触れると、ゆっくりと銃を下げさせた。少し間を置いて、深呼吸と共に瞬きを思い出す。開いていた瞳孔も元に戻っていた。


「銃は撃った後の方が大事だ。安全装置を掛けたかよく確認しろ」

「う、うん」


 胸の高鳴りが落ち着きを取り戻す。気が付くと、全身が汗でひどく濡れており、失禁さえ疑ったほどだった。リンダは銃をホルスターにしまうと、改めて男に向き直った。お互いに状況が分からないまま、とにかく目の前の脅威を排除するために手を取り合った。それが取り除かれ、今度が互いが脅威になるのではという懸念もあったが、彼女の人懐っこい表情に、男も気を許したようだった。


「ありがとう、助かったよ」

「なに、俺も何が何だか分からない状況なんだ。今度はこっちが助けて貰う番だ」


 リンダの朗らかな顔に、男も飛行帽を脱いで返す。その顔、厳密には頭に一同の視線が集まった。ニワトリの鶏冠を思わせる紅い髪を残して綺麗に剃られ、右の側頭部には炎を模した刺青が施されている。


「面白い髪型ね」

「そうか? 割と流行りというか定番のスタイルなんだが」

「……あなたの出自を知りたくなってくるな。ここで遭ったのも何かの縁だ。僕はエリック、エリック・ルビィ。魔法文明時代の歴史研究をしている」

「なるほどな、考古学者ってところか。俺はカーン、カーン・モヒトーだ。仕事……と言っていいか分からんが、狩猟採集に地域調査……まぁ、危険な外回りって所だ」


 カーンと名乗った男に、エリックはゆっくりと歩み寄り、右手を差し出した。カーンも口許に笑みを含めて応じ、手を取り合った。エリックからすれば興味の対象であり、カーンからすれば現状の説明を求めるに最も適した相手と判断したのだ。


「あたしはシルビア・バーライド。エリックと同じく、考古学者……の卵ね。あんたの薬のおかげで助かったよ、ありがとう」

「目の前で人に死なれるのは、寝覚めが悪いからな。後でちゃんとした治療は受けてくれよ。で、そこのお嬢ちゃんは……」

「リンダよ。リンダ・ルビィ。エリックはお兄ちゃん。シルビアさんはお兄ちゃんの彼女ね」

「お義姉ちゃんって呼んでもいいのよ?」


 横目で熱い視線を送るシルビアに、リンダは少々煩わしそうな苦笑いで返す。定番の流れらしかった。


「……で、私がサイクス、という事か」


 全員が驚いて声の主に振り返った。半ば存在を忘れ掛けていた、黒い鎧が立ち上がっている。リンダからすれば、建国の英雄を信号弾で吹き飛ばしていただけに、気が気でない。残された水分が全て抜け出る勢いで冷や汗が噴き出ていた。


炸裂火(さくれつか)か、いや灯火か。術式爆弾の類を目の前で使われたら、流石に堪えるものがあるな」

「ご、ごめんなさい……」

「いや、いい。今の私は思った以上に丈夫なようだ。しかし、あれからどれ程の時が流れたのか……」


 黒い鎧の英雄、サイクスは石室の壁を一瞥した。描かれている壁画よりも、それに隠すように仕込まれていた術式陣に関心があるようだった。特に、西側の壁から天井に伸びる複雑な経路に意識が向いていた。


「……時空干渉の陣に少し書き間違いがあるな。いや、これは間違えたと言うより、何者かが手を加えた……」

「全員、動くな!」


 考え込む仕草を見せたサイクスの独白を遮って、聞き覚えのある声が響く。朝から姿を見せていた刑事、キスウィーとロックの二人が石室に乗り込んで来たのだった。

カーンの応急キット

人類の活動範囲が大地をも飛び出し始めた大陸暦一七五〇年代以降、負傷に対する応急処置の重要性はさらに増した。

民間、または個人レベルでも医療施設並の応急処置が可能になるキットの需要は高まり、複数のメーカーから開発され発売された。

カーンが持っていたキットは、メーシア大陸の東半分を領有する大国、イギョルカイ連邦の製薬メーカーが開発したものである。


イスヤ・ジェル…淡い緑色の光沢を放つジェル。止血、鎮痛、消毒作用があり、光が収まったら次の処置に移る。

アリバ・シート…半透明な粘着性のシート。水や雑菌、汚れの浸入を防ぎつつ、空気を通す性質がある。

経口エネルギー液『ザマイ』…水分補給と増血の作用がある経口液。意識レベルによって味が変化する。

ヌー簡易縫合糸…滅菌消毒されたバイオプラスチック製の強化糸。カーンの手持ちには入っていなかった。


大陸暦一九九九年の天墜事故によって製造プラントの大半が失われ、医療体制も崩壊したためキットの価値は暴騰した。

カーンがシルビアを助けるために貴重な応急キットを用いるという事は、元の時代ではまず考えられない行為である。

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