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第七十八話『砂の地へ』

 大陸暦一三五八年、九月十二日――

 東の峰々を朝日が照らし始めた頃、港湾都市アーカルの司令部から三輌の車が動き出した。トラック二台にはかつてのルビィ隊とクニット隊、必要な物質を載せている。加えて指揮車として装甲車を一輌拝借したのは、ひとえにカリエの政治的なパワーによるものだった。

 そんな老魔法使いは、今は司令部で魔法団の生き残りを束ねて今後の策を練っている。戦が一段落したところで、疎開してきた市民を帰す段取りを任されているためだ。人数によってはカリエの得意とする転移魔術で送る事も考えられていた。

 それでも一行が車による移動を選んだのは、急ぎながらも時間を要するという、どこか矛盾を孕んだ理由だった。


「そういえば、今回は全員で同じトラックなのね」


 トラックの荷台で揺られながら、リンダは向かいに座るエリックとニールを見ながら言った。アーカル攻略の際は、どちらかが落伍しても良いように分散して乗車していた事を思い出したのだ。


「大陸連合軍も当面は動かないだろうという希望的観測が半分、今のうちに情報をまとめておくというのが半分だな」

「エリック君の言う通りだよ。正直、昨夜の話だけでは飲み込めていない事が多過ぎるからね」


 ニールの言葉に、何名かが頷いた。魔力の供給に全力を注いでいたティットルとヴァイスは元より、話に通じていないダジラやネジムも同感だったのだ。


「実際のところ、お嬢ちゃんはあの影に何を聞きたかったんだ?」


 右手の中で胡桃を転がし擦り合わせながら、ダジラが尋ねた。彼とネジムは元々、最前線での慰問に回された酒の為に馳せ参じたのであり、サイクスやカーンをめぐる話には何一つ関与していない。


「前から……サイクスやカーンと出会ってから、私とお兄ちゃんには不思議な事が起きていたの。二人で同じ夢を見たり、知らないはずなのに見覚えのある景色を見たり。そしたら、ニール先生の連れてきたイェリアさんが色々と知ってるみたいで……私達の中に何がいるのか、その目的が何なのかを知りたかった、かな」

「なるほどな。しかし……死者との交信という話はままあるが、自分の中にいる前世との交信というのは、中々に聞いた事がない」

「死者との交信、するの?」


 ダジラの返答に、今度はリンダが尋ねた。反魂の術式を目の前で見た経験があるだけに、怪訝な表情を隠せなかった。


「おう、ギムココ諸島では、夜の海路は死者に訊けって言葉があるくらいだ。実際には、浜辺や岸に打ち寄せる波を夜光虫の一種が照らす事があるから、それを目印にしろって意味だがな。海の幽霊にも、色々いるって事だ」


 呆気に取られたような表情を返したリンダに、ダジラはからからと笑い飛ばす。傍らで聞いていたティットルもまた、同様に呆然としていた。


『……イェリア、ちょっと聞きたい事がある』


 珍しく自分からものを尋ねたのはネジムだった。元から口数が少なく、ダジラとヴァイス以外とは言葉が通じない事から無口という印象を与えていただけに、当のイェリアも気持ち面食らっていた。


『イカヤザの門にいる奴は、みんな言葉が通じるのか?』

「そうね、話してる側は普通にしてても、聞く側には分かる言葉に聞こえる、と言った方が正しいかも。そうじゃないと、死者の裁判なんて出来ないからね。だから、あなたのギムココ語は私にはハーム語に聞こえているわ」


 このくらいなら機密にも触れないだろうという軽い気持ちが、イェリアの口を緩くしていた。事実として、この程度は話しても何の罰則もない。現世の人間が知った所で大きな利がない。


『……では、オラ達が死んだ後で、あっちでみんなの話を聞く事は出来るって事か』

「そうなるわね」


 ネジムがそうか、とでも言いたげな顔を返すと、イェリアはどことなく慈しみのある表情で返した。言葉が通じない事による一抹の寂しさを、少しでも和らげようとする気持ちが顔に出ていたのだ。それから少しの間を置いて、ネジムが神妙な顔付きになった。


『実際のところ、言葉が通じないオラが同行する事になった理由は他にもある。ダジラはキーケトッホ島ひいてはギムココ諸島の有力者の生まれだ。今回の派遣において、余計な事を言わないよう、言葉の通じないオラに本当の事が伝えられている』

「流れが変わったわね。そんな事、私に話していいのかしら」


 イェリアの顔が真剣味を帯びた。緩めた表情筋はたちまちに引き締まったものとなる。


『あんたが……あの黒い鎧の主の母親だと分かったから、話せる事だ』


 ネジムの言葉に、聞き耳を立てる者はいなかった。ダジラはリンダ達との会話に興が乗ったようで、こちらには振り向きもしない。イェリアの顔はますます険しいものとなった。


『オーヴァン家には、魔女の頼みごとと呼ばれる言い伝えがある。七百年以上前、パヤン島には魔女と呼ばれた女が住んでいた。その女の言うところによると、西の島にて生き別れた弟がたちの悪い呪いを受けたという。いつの日か呪いが解けたら、弟の名誉を回復させて欲しい、とな』

「パヤン島はギムココ諸島で最もメーシア大陸に近い島……その魔女と、弟の名前は?」

『魔女の名前はアリアで、弟はニック。言い伝えによると、一国の王女だったとか』


 それを聞いて、イェリアの顔に影が落ちた。ネジムは何かを察したようだった。間の悪い沈黙の後、顔色を改めたイェリアが尋ねた。


「でも、どうしてこれが機密に?」

『呪いは知られる事で拡散する、たちの悪いものだからだと聞いている』


 イェリアはなるほど、と思うと同時に、そこまで読んでいたアリアの能力に舌を巻いた。


『魔女の弟と黒い鎧のが同じ名前だったんでな、その母親であるあんたがわざわざ冥界の使者になってまで来ると言う事は、ただの同名ってわけじゃないと思って、この話をしたんだ』

「そういう事ね。話してくれてありがとう。アリアは……アリシアは、ニックとミリアムの姉で、前の妃の子。オリビアと親戚関係にあるの。みんな、ニックを助けたがっているのね」


 忘れられた英雄である我が子が、これほどまでに愛されている。その事実に、イェリアは胸の奥からこみ上げてくる熱いものが、目許に溜まるのを抑えられずにいた。



 揺れるトラックが一路、南を目指す。中心街を抜け、建物がまばらになる頃、朝日の冷たい輝きには秋に残る暑さが混ざっていた。ラキーテ砂丘に差し掛かる頃には、既に太陽は南の空に近付きつつあり、まるでそれが行先であるかのような錯覚さえあった。砂丘を砂の大地たらしめるほどの熱気が照り付けられる。十の刻限を回ったあたりで、小休止となった。


「よし、行くぞネジム。あんた方はどうする?」


 トラックから飛び出したダジラが、ネジムを伴って岩陰に駆け出した。察したカーンとニールが随伴する。少し遅れて、エリックとヴァイスがついて行った。


「男どもはそっちね、じゃあ私達はあっちの岩陰にしようかな」

「妖精剣で溝を掘ろうか?」

「お願いするわ」


 リンダとティットルは別の岩陰に隠れるように座り込んだ。残されたサイクスとイェリアが、南に見える赤銅色の砂丘を眺めては無言で立っていた。互いに、掛ける言葉が見つからないでいる。


「……母上」

「どうしたの?」

「先程、ネジム殿と何を話されていた?」

「……詳しくは省くけど、アリシアもあなたの事を心配していたようだわ」

「そうですか……」


 短い、親子の会話だった。しかし、声にならない沈黙の中にも、想いという言葉で繋がっている。然るべき時が来れば、サイクスは本来の名を取り戻し、いるべき場所に向かえるのだ。そのためにも、自分達は前に進まなければならない。そう思った矢先、サイクスはふと思い、イェリアに尋ねた。


「ところで母上、魔王の呪いで世界中が私を忘れゆく中、ミリアム達との間に記憶の齟齬や違和感はなかったのですか?」

「ミリアムもオリビアも、私と会う頃には既に経験済みだったようで、話を合わせてきていたわ。それで、二人して反魂の術式を行使した罪で転生までの年数を倍にされたのを利用して、魂の残滓を宿す方法を調べていたようね」

「周到ですね」

「誰に似たのやら」


 イェリアの言葉に、サイクスは自分の影響を懸念した。ミリアムもオリビアも、実父はそこまで計画性のある方ではなかったからだ。片や業王の異名を取り、片やそれに相対した反乱の首魁である。

 ふと、ダジラ達が先んじて隠れた岩陰に目をやった。用件を済ませた男達がトラックの荷台に乗り込んでゆく。小休止の終わりを察した二人は、結ぶ言葉もなしに黙って荷台へと戻った。予定の少し前になってリンダ達が戻ってきたところで、トラックは再び進み出した。



 それから一刻半ほど走り、車列は件の遺跡の近くに到着した。元より多くの調査員が訪れるためか、開けた堅い地面は駐車場のようになっていた。風は熱を帯び、赤茶けた砂を含ませている。停めた車のエンジンには覆い布が欠かせなかった。そんな熱と砂と風の侵食に長年耐えてきた建物が、遺跡となった今でも悠然と佇んでいる。


「ここが、お兄ちゃん達がよく調査してる遺跡?」

「あぁ、魔の島の時代……いや、それ以前からあるとされてるんだけど、中々年代の特定が出来なくてね」


 リンダに訊かれたエリックが、調査の行き詰まりを吐露した。側で聞いていたニールも、腕を組んで唸ってみせる。


「これまで分かっているのは、この遺跡が大陸暦五〇〇代よりも前だという事なのだが、魔王ルハーラの時代よりも前という可能性もあり……ここが当時の都なり神殿なりの設備であるとは踏んでるのだが、なにぶん他の建物が出て来なくてね」

「他の建物?」

「あぁ、仮にここが古い時代の都だとしたら、家や商店、役場や公共施設といった建物が出てくるはずなんだ。それがないというのが気になる。郊外の神殿という線も踏んではいるが……」


 視線さえ読み取れないほどに、眼鏡のレンズを光らせたニールが、重苦しい口調で語り出す。エリック共々、この遺跡にはかなり手を焼いているようだった。

 ふと、カーンがペン状の端末に手を伸ばしかけたが、ニールの様相を見て引っ込めた。港湾都市アーカルではああ言っていたが、実際に度を越えた技術に触れて真相が分かってしまうとなると、タガが外れない保証はない。


「さて、この遺跡の奥……エリックもニール殿も見た事がない場所に、地の竜王や魔王が潜んでいる……行こうか」

「そうね、入り口で止まっていても仕方ないわ」

「途中までなら、僕達が先導しよう」


 サイクスに促される形で、一行は遺跡へと足を踏み入れた。外の熱気とは裏腹に、内部は寒さを感じるほどであった。エール村の遺跡にもほど近いものを感じる。柱や壁の建築様式は、見る者によれば理解も出来そうなのだが、リンダにはそれを解する知識がない。また、それを事細かに教えて貰えるような状況でもなかった。

 崩れていない回廊を進み、いくらか安全が確保された階段を下りてゆく。エリックが灯火の術式を行使しているため、明るさには苦労しなかった。三階層ほど下って、調査が行き詰まっているという突き当たりにまでやって来た。


「ここが、お兄ちゃん達が調べてる場所……」

「あぁ。この階層は崩落こそ少ないものの、階段や部屋の入り口といったものがほとんどない。つまり、この回廊そのものに意味があると思ってるんだが……」


 エリックが灯火を湛えた杖を壁に向ける。古い時代の文字のようなものが刻まれており、解読が出来ずにいた。ティットルとヴァイスが解読を試みるも、二頭にとっても読めないほどの古い文字だったようだ。


「お爺様なら分かるかもしれないが……」


 千年に近い時を生きてきた竜王ならば、読めるかもしれないとは思ったが、老齢の竜王を何度も行き来させるのもいささか酷な話であった。ネジムにイェリアと、代わる代わるで解読を試みたが、やはり同じ結果に終わっていた。


「何をされているのです?」


 その場の誰のものでもない声に、一行は思わず背筋を凍らせた。

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