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第七十七話『迫る終わり』

 大陸暦一三五八年、九月十一日――

 港湾都市アーカルからのレンストラ大陸連合軍撤退の報を受け、王都ジョーギンは喜びと安堵に包まれた。早くも疎開元のツアンカや近隣の町村へと帰り着こうとする動きが見られていた。リュークスの小さなバーもまた、少しずつ元の生活へと戻ろうとする空気になりつつあった。


「……で、警察の臨時駐屯地もこれでおしまいって事ですね」

「そういう事になるな。リュークス君、協力に感謝する」


 周辺の治安維持と警戒に当たっていたキスウィーとロックが、臨時の支部として利用していたバーを離れる時が来た。リュークスはこれが通常の客ならば、これまでの席料から飲食までの費用を請求するところだが、柄の悪い客や暴徒じみた者が店を荒らす事がなかった事から、むしろ用心棒代を払いたくなる気分だった。


「この様子だと、私達も今回の仕事はこれで上がりかもね」

「いや、もう少し様子を見る必要があるだろう。確かにレンストラ軍は退いたが、まだ魔王軍が何か仕掛けてくる可能性が残っている」


 キスウィー達の隣のボックス席から声を上げたのは、東の港湾都市ニプモスから来ていた傭兵隊のマリーだった。同席するゲルハルトは安易な楽観視をしていない。ゴードンは静かに頷いた。アーカル解放作戦には加わったが、最前線に赴く事は無かった。ニプモス近郊で育成した義勇兵を送り届ける事が任務で、今はどちらにも動きやすいよう、中央部のジョーギンで待機となっている。


「レンストラ大陸連合軍が去る事で、軍も警察も魔王軍への対処に人を割ける。こういう仕事は、我々の領分だろう」

「あら、刑事さん。聞いてたの?」


 割って入ったキスウィーに、マリーが気持ち嫌味を込めて返した。ゴードンとゲルハルトも、あまり良い顔はしていない。基本的に、傭兵と警察は仲が悪いのだ。


「お二方はエール村以来ですね。そちらの山猫さんも傭兵でしょうか」

「……えぇ、キヤスキー傭兵団モノゲア共和国支部、第三中隊長ゲルハルト・フォン・ケロッコです」

「これは失礼、王都直轄警察刑事課のダニエル・ロックです」


 火花を散らすキスウィーとマリーを横目に、ロックとゲルハルトは努めて紳士的に接していた。端から見ると、人間同士が諍う横で犬猫の亜人同士が理知的な交流をしているという、ある種の皮肉を感じる構図となった。


「刑事さん、せっかくガラの悪い客がいなくなったのに、あなたが喧嘩しないで下さいよ。傭兵さんも、この刑事さんには店を守ってもらったようなものなんです」


 リュークスの介入で、キスウィーとマリーの睨み合いは終わった。そこへタイミングを合わせるように、ターナが人数分のコーヒーを運んでくる。息の合った場の納め方だった。

 しばらくして、店のドアが開き、小柄な鳥亜人の老人が入ってきた。その体格と褪せた極彩色の羽根の色から、傭兵にはとても見えなかった。


「リカルド、向こうはどうだった?」

「プッカ司令部は王立魔法団の独立行動の容認と全面的なバックアップに移行しました。正規軍で海を睨みつつ、遊撃隊で魔王を叩く腹づもりでしょう」


 リカルドは華奢にも見えるほどの細身とは裏腹に、しっかりとした足取りでゲルハルトに近付きつつ報告した。


「大陸の傭兵隊は軍にも探りを入れるのか」

「いやですね刑事さん。あんたが会った事のある風竜は、私の孫なんですよ」

「風竜……あの娘と一緒にいた、竜の娘か。という事は、あなたは……」

「そう、私も本当は風竜でしてね……それもちょっとばかり偉い立場の」


 キスウィーに対して低い姿勢を崩さないリカルドではあるが、声色の節々に竜王の威厳を忍ばせていた。ティットルの事を思い出したキスウィーは、リカルドを値踏みするように眺めては頷いた。


「これは失礼……しかし、何故あなたほどの竜が……傭兵隊に?」

「静観するわけにはいかないが、義勇兵を通じて正規軍に関わっても状況に応じて動けなければ意味がない。そこで傭兵というわけだ」


 リカルドの答えに、キスウィーはどことなく何かを察したように頷いた。竜の世界にも、人と同様の事情通というものがあるらしい。


「さて、我々はこの辺りで失礼する」

「皆さんも、リュークスさんもお気を付けて……もちろん、ターナも」


 二人の刑事がバーを後にすると、残された一同は、出し抜けに空気の弛みを感じた。警察と傭兵という相容れない存在が、余計に張り詰めさせていたためだ。マリーの大きな溜め息は、まさにそれを示していた。


「ところで傭兵の皆さんは、どこに寝泊まりする予定なんですか?」

「そうねぇ、軍も義勇兵向けの宿を減らしていくだろうし、公園や広場は避難民のキャンプがまだあるだろうし」


 リュークスとマリーのやり取りに、ゴードンは天を仰いだ。ホテルは埋まっているか、今後は有料になり、マリーの言うように公園等は使えない。ゲルハルトはキヤスキー傭兵隊の名義のため、既に宿は取れていた。ゴードン、マリー、リカルドは各々が個別で馳せ参じた扱いなので、宿もまた個別に用意する必要があった。


「マリーさんとゴードンさんは顔見知りですし、そこの席を貸し切りにする事も出来ますが……」

「リュークス君、いいの?」

「えぇ。状況が状況なので、用心棒代は払えませんが、席料は頂きませんし三食もお付けします」


 マリーとゴードンは顔を見合わせて頷くと、リュークスに了承の意を示した。


「リカルド、あんたはどうする?」

「そうだなぁ、キリが良いんで、ここらで一度お暇とさせて貰うかな」


 北東部の町グリンクパースにある宿は健在である。リカルドは久しぶりに様子を見に戻ろうと、踵を返してバーを出ていこうとした、その時だった。視界が揺らぎ、足取りがおぼつかなくなる。文字通りの千鳥足で、混濁する意識の中で必死に姿勢を保ち、隣のボックス席に倒れるように座り込んだ。


「リカルド、大丈夫か!?」

「ちょっと、お疲れなんじゃない? リュークス君、悪いけど……一人追加していいかしら」


 席に寝かしつけられたリカルドを見て、リュークスは首を横には振れなかった。声色からしてかなりの高齢であり、疲れからか相当に弱っていた。


「消化のいい物を何か作ろう。ターナ、今日はもう店じまいだ」

「分かったわ」


「すみません、いいですか」

「ごめんなさい。今日はもう店を閉める事にしたの」


 ターナが表戸の札を返そうとした時、彼女に声を掛ける者がいた。まだ夕刻に差し掛かったばかりで、路地裏にも明るさは残っている筈だったが、彼女は不自然な薄暗さを感じていた。天気は雲一つなく、空が暗む要素などあるはずない。その暗がりが目の前の存在から発せられている事にターナが気付くまでの間は、違和感が異常になるには十分だった。


「えっ……な、なに……!?」

「何もしなければ、手荒な真似はしない。入らせて貰うよ」

「ちょっと……きゃっ!?」


 店の中に押し込まれるように突き飛ばされてきたターナを、マリーが受け止める。細身ではありながら長身からくる重さに、思わずたたらを踏んだ。異変を察したゴードンが拳銃を抜き、不審者に向ける。


「ターナ、大丈夫か!?」

「え、えぇ。その人がいきなり入らせて貰うって……」


 リュークスは侵入してきた不審者に目を向けた。照明の有無にも関わらず、周囲に暗闇を振り撒くその存在が尋常な者ではない事はすぐに分かった。ターナを店の奥へと押し込んだマリーが左手で拳銃を抜く。まだ右肩の傷はふさがっていなかった。それでも、普通の人間ならば容易に撃ち抜けるだけの銃口が向けられていた。普通の人間ならば。


「君達に用はない。下がって貰うよ」


 漂わせている闇から突如として腕が生えた、としか言いようのない状況だった。両の手から放たれた指弾、それも実体のないはずの闇を圧縮した小指の先ほどの弾が、ゴードンとマリーの銃を弾き飛ばしたのだ。


「何だ今のは……」

「つっ……ゴードン、怪我はない?」

「俺は大丈夫だ。マリー、お前は?」

「私も大丈夫。それより、こいつは……あのジェリム野郎と同じ気配がする……!」


 マリーの言葉に、ゴードンとリュークスはほとんど同時に、弾かれるような速さでナイフを引き抜いた。リュークスにとって、ジェリム野郎こと水の四天王イミノッキには、妹のシルビアを傷付けられた借りがある。最低限の護身程度ではあるが、刃物であれば心得があった。


「それ以上動くな。僕の店から出て行ってもらおうか」

「お前からはよくない気配がする……人間ではないな?」


 リュークスの殺気を背中に受けつつ、不審者の視線はゴードンの向こうに横たわるリカルドに向けられていた。


「用があるのはそこの竜王だ。君達ではない」

「済まんが、この老いぼれは我々の仲間でな。はいそうですかと引き渡すわけにはいかん」

「ならば、致し方がない。諸共に死んで貰うよ」


 不審者の言葉に応じるように、リュークスがナイフを投げるも、それは闇から伸びる刃に叩き落された。そして、同様に闇から伸びた無数の刃が、ゴードンとリカルドに向けて放たれた。


「ゴードン! リカルド!」

「ゴードンさん!」


 マリー達の絶叫も空しく、闇の刃は二人の体を刺し抜いたはずだった。しかし、それらは全てゴードンの体に届くよりも前に、白金の稲光に阻まれて砕け散っていた。


「ほう、まだ動けるのか」

「ったり(めぇ)よ……てめぇをぶちのめすまで、くたばってる暇なんかねぇからな……!」


 上半身を起こしただけのリカルドもといミュルコ・モースが、闇の刃を完全に防いでいた。白金の輝きを帯びた翼はまさしく竜王のものであり、その羽ばたき一つで侵入者の闇をすべて祓い吹き飛ばすほどの魔力を秘めていた。


「止せ、リカルド。今のあんたでは体が持たん」

「そうも言ってられねぇ……こいつは……魔王ルハーラだ」


 闇を纏う侵入者に視線が集まる。その見た目は、だらしなく伸びた黒髪に髭の無いすっきりとした顔立ちの若い男で、簡素な肌着と黒い軍用パンツにサンダルという出で立ちで、建国の伝承に語られる魔王の姿とは到底思えなかった。


「そうだ、私がルハーラだ。とは言っても……まだ完全な復活を遂げたわけではない」

「見くびられたもんだ……不完全な復活でも、俺様を仕留めるくらいは出来るってか」

「そう踏んで来てみたが、まだ本調子ではない以上、共倒れになりそうだな。ここは退くとしよう」


 言うだけ言うと、ルハーラは闇に包まれて溶けるように消えていった。竜王はリカルドに戻り、出し抜けの静寂が辺りを包んだ。誰もが何も出来ず、ただ立ち尽くす中、ターナが弾き飛ばされた銃やナイフを拾い集める。ふと、リュークスの投げたナイフが闇の黒に染められている事に気が付いた。


「このナイフ、どうする? なんか危ないから捨てた方がいい?」

「……いや、待って。これは取っておきましょう」


 マリーはターナから闇染めのナイフを受け取ると、布に包んで紐で縛り、鞄の奥底にしまい込んだ。


「マリーさん、どうしたんですか?」

「女と傭兵の勘、かしらね。多分、これが必要になる気がするのよ。それよりも、リカルドに水を。そうとう弱ってるわ」

「あ、はい。分かりました」


 リュークスが水を用意している間、ゴードンはリカルドを置いて立ち上がった。


「マリー、すまんがここを頼む。俺はこの事を報告してくる」


 信じて貰えるかの確証は無い。電話では伝えられそうもないが、単身で飛び出したゴードンが襲われる危険性もある。しかし、店の守りとリカルドの手当てをしないわけにもいかない。あらゆる可能性を考慮に入れて、ゴードンはバーを出た。最悪の瞬間は、既にそこまで迫っている。

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