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第七十五話『リンダの選択』

 大陸暦一三五八年、九月十五日—―


 不思議と何も聞こえなくなった一室にて、リンダは自分を鋭く見据えてくるカリエに対してまっすぐ見返した。先程までの怖気も空虚さもなく、何かを強く決心したような光を帯びた目だった。横に立つエリックが、わずかに反応した。リンダの中にいる何者かが、彼女の背中を押しているように感じられたからである。


「お兄ちゃんが心配してくれるのは分かるよ。でも、私はサイクスやカーンのためにも、魔王を倒す」

「リンダ……」

「私やお兄ちゃんの中にいる誰かも、救う事が出来るんじゃないかって思うの。私には大人が何を考えているのかは分からない。でも、私は皆を助けたい。それが私のやりたい事だから。みんなは?」


 リンダはルビィ隊とクニット隊、そしてカリエ達の側に座するティットルやヴァイス、サイクスにも目をやった。


「よく言ったなお嬢ちゃん、俺は賛成だ。なぁ、ネジム」

『……そういう事なら、手を貸そう』

「私も、忘却の呪いを解いて彼の魂を連れて行くのが役目よ。異論は無いわ」

「弟子のためだ、師である私が何もしないわけにはいかないよ」

「僕も、微力ながらお手伝いします」

「お爺様の件もそうだけど、私もあなたに力を貸すわ。あなたの友として」


 ダジラ、ネジム、イェリア、ニール、ヴァイス、ティットルは口々にリンダへの助力を申し出た。ボーヴァンにアルヴィン、ダルトンは激励するような視線を送り、カリエは視線の鋭さを崩さない。


「良いでしょ、お兄ちゃん?」

「……そうだな、皆で立ち向かおう」


 向き直ったリンダの微笑みに、エリックは苦笑い半ばに返した。


「ならば、決まりだね」


 出し抜けに、ルコアールの声が響いた。部屋の入り口、いつの間にか入って来ていたようだった。リーミン少将も伴っている。こんな所で油を売っていられるような人物ではなかったが、それはボーヴァンもアルヴィンも同様だった。


「リンダ、チミ達の義勇兵の任を解いて貰おうと思ってね、閣下にもお越し頂いたよ」

「義勇兵の任を解くって事は……」


 人差し指を首に当てるジェスチャーで返したリンダに、ルコアールは少し違うといった風に首を横に振った。その上で、リーミンに話を振る。


「いち義勇兵の進退に関わると言う事は、基本的には無いのだが……我々はアーカルの復興とレンストラ連合軍への警戒という仕事がある。竜王と王立魔法団の援護があるのなら、この件はそちらに委ねようと思ってな」


 リーミンの顔からは、幾らかの険しさが和らいでいた。ルビィ隊とクニット隊の解任、その言葉に椅子を蹴って立ち上がったのはカリエだった。


「で、では、彼らの今後の扱いは」

「うむ、王立魔法団の管轄で動かすと良い。リカンパ特別顧問」


 カリエの目から鋭さが消えた。軍は手一杯で、以降の話は魔法団に委任された。そうなれば、リンダ達の上げるすべての功績が、間接的に魔法団にもフィードバックされる。その上、魔法団は軍との協力関係にあるため、物資や資金でのバックアップを受けられる。老獪なカリエの頭脳は恐ろしいほどの速さで損得を弾き出していた。


「かしこまりました、解任された二隊の指揮権をいただきます」


 敬礼する面持ちの裏で、カリエははやる気持ちを必死に抑えていた。またとない好機に恵まれた幸運と、この好機を逃す事は許されないという重圧が、彼女の心身を駆け巡っていたのだ。


「では、改めて……リンダ、あんた達にはもう一度、ラキーテ砂丘に向かってもらう」

「ラキーテ砂丘に?」

「あぁ、最後の竜王が待ってる」


 最後の竜王という言葉に、リンダは思わず身構えた。何をもって最後というのか、単純に四頭の竜王でまだ会っていない存在からなのか、それとも自分達の身に最後という言葉が相応しい事態に見舞われるからなのか、その判断が付かなかったためだ。


「地の竜王……コッティスですね」

「あぁ、あんた達の目的の都合、会う必要が無かった奴さ」

「ツアンカ様と同様に、人の争いには手出し無用を通してきたのでしょうか」


 次の言葉を失っていたリンダに代わり、エリックが返した。そして、彼の疑問はもっともなものだった。カリエが答えを考えている所に、今度はミュルコ・モースが割って入ってきた。


「動かなかったんじゃなくて、動けなかったんだよ。地竜の住処の下には、魔王軍の中枢が巣食ってる」

「ラキーテ砂丘に、ですか?」


 エリックは思わず言葉を返し、ニールに目配せした。


「あの辺りにある遺跡は以前から我々も調査していたが、まだ目の届いていない場所があった……と言う事かね」

「あぁ。と言うか、あんた達が調査出来ているのは浅い層だけだ。奴らはもっと深い層、竜より深くに根差している。コッティスは一族をあげて、長い事その様子を伺ってたんだ」


 竜王の言葉に、ニールは思わず唸った。ラキーテ砂丘の遺跡は魔王ルハーラの時代よりも前のものがあるとされ、長年に渡り考古学者の興味の対象となっていた。ニールやエリックも例外ではなく、今までにも両手で数えるほどには調査を行ってきた。


「我々のアカデミーでも三十年近く調査してきたが、まだまだ人の手が及ばぬ場所があると言う事か。面白い話だね」

「とにかくだ、コッティスは動くに動けない状態だ。嬢ちゃん達が向かうほかない」


 状況を全て飲み込んだわけではなかったが、概ね次の目的地がはっきりした。ラキーテ砂丘の地下遺跡、そこに地の竜王と魔王の棲家がある。


「俺様はソキュラの様子を見てから、ニプモスから来た傭兵隊に戻る」

「……お爺様」

「……分かってるよ、ちゃんと話す」


 ティットルに釘を刺されたミュルコ・モースが、ばつの悪そうな顔で応じた。


「では、話し合いはひとまず終わりね。荷物や車の手配はワチらでやっておくから、チミ達はチミ達の準備をしなさい」

「分かったわ、ありがとう。ルコアールさん」

「話はまとまったようだな。それでは、我々は退席させて貰う。他にも仕事があるのでな」


 やれやれと言った表情で、リーミンはボーヴァンとアルヴィンを伴って去っていった。軍靴が床を叩く音が聞こえなくなった辺りで、緊張の糸が切れたリンダが力なく肩を落とす。流石のカーンやサイクスも大きく溜息を吐いた。



 魔法団直轄部隊となったリンダ達には、カリエ達と同じホテルの部屋がいくつか充てがわれた。部屋割りはいつもの女子供に、イェリアも加えられている。ティットルは祖父との話し合いのために席を外しており、ヴァイスは窓から望む西の海を眺めていた。清潔なシーツに包まれた上質なマットレスに身を預けたリンダの耳に、ノックの音が聞こえてきた。


「お婆ちゃん」


 入って来たのはカリエだった。リンダの下着姿も意に介する事なく、テーブルに包みを置いた。くたびれた色の藁半紙の袋だった。


「ツアンカから今までの働きに対する駄賃だ、取っときな」


 紙袋の中に入っていたのは、握り拳より一回り大きいオレンジだった。夕焼け色に近い皮は、それが名産地リマーブ村のものである事を物語っている。


「義勇兵もこの数だ。手当やら何やらで現金は出せないからね」

「むしろ、今はこういう物の方が良いかな。カーンが喜ぶかも」


 声を弾ませてオレンジを二つに割ったリンダの鼻を、漂う爽やかな香りがくすぐる。戦禍で荒んだ彼女にとってこの清涼感は、幾らほどの金銭にも代え難いものだった。


「そういや、あの若僧は荒廃した未来から来たって言ってたね。時間を飛び越えて来た者の送還は何度かやった事があるけど、百年を超える事はなかった」

「カーンが来た時の石室、お婆ちゃんも見に来る? もしかしたら、未来に返す時に何かあるかも」

「確か、壁画に術式陣が隠されているんだったね。写真だけでは分からない事がたくさんある」

「じゃあ、色々と片付いたら、お婆ちゃんもエール村においでよ。私達だけじゃどうにもならない事が、皆でならなんとかなる」


 リンダの言葉に、カリエは思わず吹き出してしまった。何かがおかしいというわけではなく、この先に何があっても生き残れるという途方もない自信のようなものを感じて、その若さにある種の感動を覚えたからである。


「そうさね、人も竜も皆で、一番最初の問題を最後に考えよう」


 それまでは生き延びる、あえて口にしなかった言葉が、暗黙の決意となっていた。半ば和やかな空気の中で、ふとリンダが真剣な目付きになった。


「お婆ちゃん、ちょっと相談があるんだけど」

「なんだい藪から棒に。悩みなんてなさそうなあんたには似つかわしくない顔して」


 カリエの余計な一言に何も反応しなかった辺り、リンダの相談が本気である事が周囲にも受け取れた。いつになく真剣な面持ちに、ヴァイスもイェリアも思わず固唾を飲んだ。オレンジの香りもすでに霧消している。


「私やお兄ちゃんの魂の残滓と話す事って、出来る?」


 場の空気が固まった。その発想に至る者がいなかったためか、それとも過去に何かあったためかは定かではないが、カリエもイェリアも表情が重い。


「出来なくはないが、非常に難しいというのがあたしの見解。イェリア、あんたは?」

「いずれ向き合うべきとは思っていたわ。私の目的はニックの魂を連れていく事だけど、同時にあなた達兄妹の魂の残滓ともケリを付ける必要がある」

「それってつまり、エリックさんとリンダさんの魂の残滓に、サイクスさんと関係のある人物がいるって事ですか?」


 付け加えるように入ってきたヴァイスの問いに、イェリアは首をゆっくりと縦に振った。それは同時に、カリエの言う『非常に難しい』が、技術的な問題ではない事を意味していた。


「前にも言ったけど、エリックの魂の残滓はニックと共にこの島に渡った魔法使い、オリビア。そしてリンダ、あなたの魂は……」

「待って、それが誰かはなんとなく分かってる。何度か夢に出てきた、サイクスを兄と呼んで、オリビアと親しかった女の子でしょ?」


 そこまで言って、リンダは次の言葉を噤んだ。イェリアに母を見出している、詰まるところ彼女の娘である存在。リンダがイェリアの顔を見た途端に感じた母の気配は、彼女の魂の残滓による反応だった。故に、オリビアの残滓のあるエリックは反応が無かったのだ。


「そこまで分かっているなら話は早いわ。カリエさん、準備しましょう。この子は覚悟が出来てる」

「……そのようさね。日が落ちたら始めるよ。訓練所の一画を借りておくから、魔力増幅と拡散の術式陣を準備しておいて」

「分かったわ。リンダはエリックとニック……サイクスに話を付けておいて」


 着々と進むカリエとイェリアにリンダは気圧されないように頷いた。自分が言い出した事とはいえ、自分の魂の奥底に潜む、得体の知れない存在を暴こうという事に変わりはない。どんな形であれ、それが自分にとって必要だという決意と選択に揺らぎはなかった。

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