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第七十四話『なりそこない』

 大陸暦一三五八年、九月十五日—―


 港湾都市アーカル解放から五日が過ぎた。半壊した市庁舎は必要な書類を運び出した後に解体、新たに建て直す事が決まった。戦闘によって荒れ果てた街並みも、既に再建に向けた片付けが始まっていた。


「リンダ、カリエの婆さんから呼び出しだ」


 公園に並べられた宿代わりのテントに、カーンが入って来た。リンダは休みを満喫するとばかりに横になり、羽を伸ばしていたが、カリエの名を聞いた途端に表情を曇らせた。


「言いたい事は分かるが、俺達全員が呼び出し喰らってるんだ。一緒に行こうぜ」

「はぁい……」


 リンダは渋々起き上がると、ワンピースに袖を通して髪を手櫛で整えた。出会ってからもう二月も経つためか、彼女が下着同然で寝ている事には驚かなくなった。着ているだけマシとも感じている。テントから出ると、既にエリックやニール、ダジラ達が準備を終えていた。この場にいないのはティットル、ヴァイス、そしてサイクスだった。誰の一人も例外なく、表情に明るいものは見られなかった。


「よう、雁首並べてシケた顔してるなぁ」

「ダルトンさんも呼び出し?」

「いや、俺は何とも。だが、姉ちゃんの事だから嫌な予感がするんでな」


 リンダに声を掛けてきたダルトンは、一行の顔色などお構いなしに加わってきた。刑の執行を待つ囚人の列のように、リンダ達の足取りは重かった。

 アーカルの指揮所は市内各所に分かれ、司令部はプッカに置かれたままだった。撃退には成功したものの、レンストラ大陸連合軍が撤退したという情報はない。とは言え、二ヶ国海軍からなる一個機動部隊を喪失した事から、すぐには動けないだろうというのが大勢の見方だった。カレド海軍の艦隊を壊滅させた黒鉄の巨影は、遠目に見てもそのシルエットを秋空に誇示していた。


「五十ルマーチョ(約三二五メートル)は離れてるのに、大きさがはっきり分かるのね」

「そりゃあな」


 ティズ合衆国海軍のメンパルザ級戦艦七番艦、ダーチェである。せいぜい駆逐艦が最大級となるキュリール王国海軍から見れば、戦艦などまさに大海竜(リヴァイアサン)に見えた。カリエが作戦前に言っていた騎兵隊(ネレイ)こそ、このティズ海軍だったのだ。感心するリンダに、ダルトンは軽口で応じた。同時に、カーンはその立派な艦影を、どこか寂しげな目で見ていた。この戦艦の行く末を知っているがゆえの視線だった。


「あれがどうなるのか、分かるのかね」

「……っ!」


 カーンの隙を突くかのように声を掛けたのはニールだった。彼が未来から来たというのは、既にこの胡散臭い考古学者にも知られている。知られてはならないという防衛本能のようなものが、カーンの脳裏を電流のように駆け巡るも、ニールは苦笑い一つを見せただけだった。


「心配しなくていい。私は過去にしか興味がないからね」


 そう言って、カーンの肩を軽く叩いたニールは、不安とも心配とも不信感とも付かない表情に対し、いささか真剣さを帯びた声で加えた。


「人の歴史は過去からの積み重ねだ。明日という未来も、階段のように積み上げられる事で、初めて辿り着ける。どれだけ先の事を知れたとして、段飛ばしで進む事など意味がないのだよ」


 ニールの言葉は暗に、未来を変える事は出来ないとも取れた。カーンの目には、まだ懸念の色が残っている。その色も察せられてはいけないものだった。カーンはリンダの方へ視線をそらしていた。

 エリックはそんな二人のやり取りを背中越しに聞き、複雑な心境を顔に出さずにはいられなかった。



「ルビィ隊、クニット隊、参りました」

「入りな」


 カリエが呼び付けたのは、宿舎代わりのテントが置かれた公園から徒歩で四半刻余りの、三階建てほどのビルだった。戦闘で受けた傷跡が生々しく、刻み込まれた弾痕とガラスのない窓が、まだ自分達が戦禍の中にいる事を思い知らせた。

 二階の事務室のドア越しに聞こえた声は、苛立ちを隠さないカリエのものだった。ボーヴァンでもルコアールでもない。そして、開かれたドアの向こうには、精霊ロアの魔力を露骨に放ちながら、憮然とした態度のカリエが待っていた。


「やれやれ、相変わらずのやり口だな」

「あんたは呼んでないよ、ダルトン」

「そうはいかねぇ。姉ちゃんの事だ。嬢ちゃん達に八つ当たりするのが目に見えてる。アルヴィンの奴も呼びたかったが、都合がつかなくてな」


 ダルトンの飄々とした返事に、カリエは舌打ち一つと共に、さらに苛立ちを露わにした。傍らの精霊ロアの方が気圧されそうな勢いである。


「まぁいい……ボーヴァン達に気取られる前に済ませちまおう、英雄のなり損ない」


 カリエの視線は、まっすぐにリンダを射抜いていた。リンダも身に覚えがあるため、あえて何も言わずに受け止める。


「あたしはあんたが、四天王を倒してアーカル解放の大きな足掛かりになると見越して、あんな作戦を立てたんだ。だが、実際には囮にしてた正規軍の奴らが戦線を押し上げて旗まで上げちまった」


 あれだけのお膳立てを無駄にした、カリエは追い打ちを掛けようとしたが、制止を促す視線を感じて留まった。対する、リンダの顔にはこれと言った表情が浮かんでいない。返す言葉がないというより、中身がないという印象だった。


「写し身なら四天王に匹敵する力を引き出せると聞いていたが、肝心な時に魔力錆びで術式が使えないなんて、笑い話にもならない」

「それは違うね、鉄帽は最低限の防具として必要だし、予備弾倉も状況に応じて仲間に融通するなどの可能性がある。リンダの重装備を責めるのはお門違いだ」

「それをカバーするのが他の連中の役目だったんじゃないのかい」


 ニールのフォローさえも、今のカリエの怒りを鎮めるには足りなかった。吼えるような声量でしばらくまくし立てていたが、出し抜けに静かになった。あまりの変わりように、かえって警戒心を煽られる。


「……思った以上に、早く嗅ぎつけられたか」


 カリエが目つきを鋭くした矢先、事務室のドアが開かれた。入ってきたのはボーヴァンとアルヴィンだった。


「おう、来たか、アルヴィン」

「ボーヴァン少佐からついて来いって引っ張られてきたが……伯父さん、これは何の査問なんだい?」

私刑(リンチ)。自分の計画が上手くいかなかったから、嬢ちゃん達に八つ当たり」


 ダルトンの言葉に、アルヴィンはまたかと言った顔で返した。ボーヴァンも険しい表情を崩さない。対するカリエも引かない構えだった。室内の空気はますます剣呑なものとなり、一触即発の気配を帯びていた。


「大まかな話はボーヴァン少佐から聞いた。今回の作戦に、王立魔法団からの差し金があるというのは聞いていたけど、ほとんど全てだったとは知らなかった。ルビィ隊による電撃的かつ英雄的な勝利こそが成功の条件というのは、いささか無理があると思うが……」

「リカンパ少佐の言う通りだ。ツアンカでの話は道中で聞かせてもらったが、それと同じ事をアーカルでもやれというのは無理だろう」

「……ボーヴァン、あんたまでそんな事を言うとはね。正規軍に地位がある奴は言う事が違う、か」


 カリエの言葉には、ある種の失望のようなものがあった。焦りのようなものさえ感じられる。


「時間がない、そうだろう」


 その場の誰のものでもない声に、事務室内がにわかにざわめき立った。ドアは閉じたままである。ふと、リンダの視線がカリエの向こうを捉えた。ガラスが割れて枠だけになった窓から、木漏れ日のような光が射し込んでいる。羽根を広げた雄々しく神々しい輝きに満ちた、鳥のような竜、風の竜王ミュルコ・モースだった。


「何の用だい、竜王」

「気晴らしにとその辺を散歩してたら、お前さんのでかい声が聞こえてきたんでな、ちょっと聞かせてもらってた」


 白々しい嘘に、カリエは再び舌打ち一つで返した。妖精のネットワークが構築され、各竜王や魔法団と水面下で連絡を取り合っている仲である以上、偶然という事はない。


「俺様も、お前と同じだ。俺様だけじゃない、ツアンカもそう思ってる。時間が無いと」

「人間の十倍は生きるという竜でも、焦りはあるのかい」


 カリエは嫌味の一つでも返したつもりだったが、ミュルコ・モースの言う事は事実だった。亜人は人間と比べて寿命が短い。特に、兎亜人は人間の五割増の早さで歳を取る。


「……あぁ、あたしには時間が無い。もう四十だ。人間で言ったら六十になる。だがね、まだくたばるわけにはいかないんだ」

「……私を英雄にしようとした事と、何か関係ある?」

「そうさ、あんたを英雄に仕立てる事で、王立魔法団はその立役者となる。あたしの狙いは魔法団の復権。そのためには、写し身という希少な能力を持つ田舎の村娘なんて、これ以上ない逸材さ。おまけに、魔王と因縁のある鎧に未来から来た男、風と水の竜王の一族まで連れてるとなれば、もう鴨が葱も薬味も併せて鍋ごと背負ってきたようなもんさ」


 自分の望むもののため、全てを利用されていたーーリンダは心がざわつくのを覚えたが、それ以上の威圧感がカーンから発せられている事に気付いた。しかし、気配を放つだけで何も言わず、何もしない。ダジラから翻訳を聞いたネジムが、少し遅れて抗議するかのような視線を向けた。


「カリエ、お前の焦りは分かる。俺様も生きているうちに、サイクス……いや、ニックの呪いを解いておきたいしな」

「お爺様……」

「そんな顔をするな。そう簡単にはくたばりはしない。とにかくだ、ニックの呪いはまだ半分しか解けていない。完全に呪いを祓うには、やはり魔王ルハーラの首を叩き落とす他にない」


 ティットルの心配そうな声色に、竜王は横目で応じた。そして、カリエに改めて向き直った。


「カリエ、互いに最後のチャンスだ。リンダ達にルハーラを叩かせる。竜王を全員味方に付けたとなれば、可能性は充分にある」

「待って下さい」


 強い口調で差し挟んだのはエリックだった。


「確かにサイクスの呪いを解き、カーンを未来に還すためにも、魔王ルハーラの打倒は一つの手段であり目的でした。しかし、政治的な思惑のために我々、特に妹を危険な目に遭わせるのは承服出来ません」


 エリックの声は明らかに怒気をはらんでおり、妹が神輿とした担ぎ上げられていた状況に対する苛立ちを如実に表していた。今までにないその怒りは、周囲の誰もがたじろぐほどの圧があった。相対したカリエは、エリックの輪郭線の向こうに、別の存在を感じていた。この怒りはエリックだけのものではない、オリビアのものが含まれている。


「待て、ルビィ隊長。まがりなりにもカリエは将校待遇だ。一兵卒に近い義勇兵でそれ以上は危険だ」

「し、しかし……」


 止めに入ったのはボーヴァンだった。王立魔法団の者は有事の際、特例で将官や将校として扱われる。エリックの行為が上官に対する叛意と受け取られかねないと判断したのだ。それでも、エリックには不服そうな表情が残る。


「だからこそ、俺が言う。嬢ちゃん……いや、リンダと歳の近い娘がいるんでね」

「ボーヴァン、情が移ったのかい?」

「いや、そうじゃない。自分の娘みたいな歳の子に、そこまで背負わせるのも酷ってもんだと思ってな」


 ボーヴァンの口調は飄々としていながら、どこか穏やかだった。そして、その中に静かな厳かさが秘められている。


「リンダ、君はどうする? いや、どうしたい?」


 リンダに投げ掛けられた選択に、その場の誰もが息を飲む。カリエは変わらずまっすぐな視線を向けてくる。


「私は」


 リンダは一度深呼吸すると、背筋を伸ばして答えた。

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