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第七十三話『穿つ騎兵』

 大陸暦五〇〇年代半ば――

 キュリール島が魔の島と呼ばれていた頃、魔王ルハーラは四元素の魔力を有する竜の一族、いわゆる竜王の一族に対し隷属を強いた。最初に膝をついたのは水の竜王ソキュラだった。次いで地の竜王コッティス、火の竜王ツアンカと続き、最後にルハーラの軍門に降ったのが風の竜王ミュルコ・モースだった。

 厳密には、風の竜王自身は斃れるまで魔王軍を相手に戦い、父と兄を喪い生き残った二頭の兄弟、兄ワイヨールと弟ギノミスが降伏した。まだ年若く、一族を率いて戦う力の無かった二頭は甘んじて屈辱を受け、生き残る道を選んだのだ。そして、兄は魔王の配下となり、弟は風の竜王を襲名した。


「お前は風竜の系譜を絶やすな。私は魔王の下で牙を研ぐ」

「……分かった。時が来たら、またこの森で風の竜として、妖精達と共に暮らそう。約束だ、兄上」

「あぁ、約束だ。ギノミス……いや、ミュルコ・モース」


 若い兄弟竜は雪辱と再会を近い、それぞれの道を進む事となった。



 大陸暦一三五八年、九月十日――

 かつて、共に魔王ルハーラの配下にあった兄弟は、長き時を経て再び対峙していた。しかし、姿形こそ似ていても、ワイヨールとミュルコ・モースには決定的な違いがあった。色である。竜王の放つ神秘的で荘厳な白金の輝きに対し、四天王が放つのは禍々しく不気味な紫紺の煌めきだった。


「我が弟ギノミスよ。お前の孫娘はわしの事を裏切者と罵った」

「そうだ。てめぇは我ら竜王の一族が受けた屈辱も忘れ、ルハーラの野郎に跪いてやがった」


 ミュルコ・モースの全身から放たれ電光が勢いを増した。空気を断ち割るように爆ぜる火花が、よりいっそう強い光を放つ。それはまさに竜王の怒りそのものであったが、四天王もまた同等の煌めきでもって応じた。


「お前は何も分かってない。ルハーラ様が真にこの島を統べる存在であるという事に。相手の強さも見抜けず、時世も読めなかったお前こそ、大きな流れに逆らう裏切者であるぞ」

「そんな言い訳が通用するか。もしルハーラがこの島の正当な統一者なら、どうして奴に負けた?」

「負けてなどいない。ただ、傷を負って後退されただけだ。戦の駆け引きの一つに過ぎん」

「ああ言えばこう言う……!」


 痺れを切らして飛び出したのは竜王だった。落雷のような轟音を残し、稲妻のような残光と共に飛び込んだ。白く輝く右手の爪は、見た目以上に激しい熱を帯びており、鉄の武具ならばたやすく切り裂くだけの破壊力を有していた。袈裟懸けに振り下ろし、回避されても左手で同様に振り掛かる。再び、初撃と同様の爪を振るったところで、ワイヨールの左手で受け流され、尻尾で足元をすくわれた。黒い腕が紫紺の閃光をまとって振り下ろされるも、咄嗟に雷の塊を吐き出して手を止めさせる。双方がバランスを崩し、後ろ跳びで距離を取って仕切り直した。


「衰えてはおらんか」

「てめぇこそな。魔王の残党でミミズのように潜ってた割には、上出来過ぎる」

「人間相手に紛い物の平穏に伏している割には、悪くない動きだった」

「言ってくれる」


 ミュルコ・モースの顔に僅かなほころびが見えた。対するワイヨールも同様に、どこか懐かしいものを見たような顔になっている。再び老竜の兄と弟はぶつかり合い、黒と白の電光を奔らせながら取っ組み合った。竜王の右の拳がうなり、風の四天王の足が返し刃となって振り上げられる。尻尾が横薙ぎに脇腹を打つと、一寸遅れて吐き出される雷が辺りを焼き焦がした。


「なんて戦い方だ……」


 エリックが思わずこぼした。ふと気が付くと、二組の決闘以外の戦いの音が止んでいた。キュリール軍の傭兵は息を切らし、魔王軍のオルウーク兵は武器を捧げるように持って整然としている。


「オルウークにとって、有力な戦士の決闘は神聖なものだ。そこに水を差すような行為は、たとえ味方だとしても咎められる」


 サイクスが答えた。まるで、その決闘そのものを知っているかのような言い方だった。見ると、黒い鎧の右下腕をさすっている。実体のないはずのサイクスが、まるで古傷が疼いているかのように振る舞っていた。


「リンダ、あなたの不調の治し方を簡単に教えるわ」

「う、うん。お願い」


 リンダの顔は半ば泣きそうになっていた。今まで頼りにしてきた能力が突然失われたような気になって、困惑と恐怖が混ざり合っているのだ。ティットルはそんな彼女を見ながら、決して難しい事ではないと囁いた。


「まず、ヘルメット脱いで」

「うん」

「次に小銃と弾を全部」

「予備も出すのね」


 軍からの支給品を手放したところで、リンダは体が軽くなるのを感じていた。単純な重量ではなく、精神的あるいは魔力的な意味合いが強い。


「手榴弾はどうしたの?」

「もう全部投げたわ」

「じゃあ大丈夫ね。精霊石を少し……はい、大丈夫」


 ティットルが精霊石の欠片を指ですり潰し、リンダに振り掛けると、魔力を帯びた光が彼女に吸い込まれていった。同時に、まるで古びたエンジンに火が入ったような衝撃が、リンダの身体の内側から迸っていた。


「あっ、この感じ、覚えてる」

「金属性の魔力阻害による出力低下、私達はこれを魔力錆びって呼んでるわ」

「どういう事?」

「多くの金属には魔力を阻害する性質があるんだけど、特に鉛、銅、錫、鉄はその性質が強いのよ。だから、イカヤザ銀やバリカティウム合金といった阻害性のない金属が存在するの」

「そっか、鉛と鉄」


 つまるところ、リンダは知らず知らずのうちに自ら魔力を遠ざけていたにも関わらず、無理に写し身の術式を行使していたのだ。調子が戻ったリンダは、勇んで前に出ようとしたが、それを止めたのはサイクスだった。


「サイクス、どうしたの」

「まだ待て。あの決闘を邪魔すれば、囲っているオルウーク兵を刺激してしまう」


 リンダはサイクスに促される形で、決闘を厳かな態度で見守るオルウーク兵の並ぶ様を見た。今まで見てきたような、好戦的で下卑た印象とは全くもって結び付かない。


「彼らにとって戦士の強さは群れの中の序列にも関わる。強い戦士は偉くなり、群れを統率する資格と責任を有する」

「じゃあ、あの四天王は……」

「もちろん、ダルバ様は当代において最高峰の戦士の一人だ」


 降って湧いた声に、サイクスもリンダも思わず飛び上がった。しわがれた、しかし腹の底からしっかりと出ている声の主は、オルウークの女化粧師だった。


「人間の娘よ、あんたは化粧はした事あるか?」

「ま、まだです」


 女化粧師の放つ貫録に、リンダは思わず畏まった。サイクスからしても、そのような姿を見るのは極めて珍しいため、口を挟めずにいる。


「我々オルウークにとって、化粧とは単純な装飾ではない。覚悟や決意を示すためのものだ。だから、私達も全身全霊を込めて化粧を施す。ダルバ様の戦化粧は、まさしくあの人間の男のためのものなのだ」

「カーンのため……」

「ダルバ様は、あの男に惚れている。もし奴めがオルウークの男であるならば、私達は喜んで求愛の化粧を施した事だろう。しかし、相手は敵対する人間の男。なれば、施すのは本気の戦化粧なのだ」


 リンダが見た女化粧師の横顔には、突き出た鼻筋から顔中に走るような皺が深々と溝を成していた。その視線の先には、カーンと斬り結ぶヨイカフツの姿があった。


「まだまだ、まだあたしは動けるよ!」

「こっちも、まだやれる!」


 イェリアが脱落し、カーンは残った一振りの妖精剣で四天王の一角に立ち向かっていた。

 対するヨイカフツも、巨岩の篭手が斬り飛ばされるたびに形を変え、今では刃付きの手甲のようになっている。手刀のように斬り、突きかかる岩の刃は、その質量から妖精剣では受ける事が出来ない。速さと重さを兼ね備えた斬撃を前に、カーンが取れる対処は、最小限の動きによる回避だった。そのカーンが手繰る妖精剣も風の魔力を有するため、岩の硬ささえも防御には不十分だった。

 両者ともに紙一重の回避と反撃による攻防を繰り返している。その様相はまるで剣舞のようであり、辺りを囲うオルウーク兵も、それが織り成す熱狂と情熱の坩堝に心を奪われていた。


『ボーヴァン、どうだい?』

「あぁ、ワイヨールはミュルコ・モースとの一騎打ち、オルウーク兵は決闘に釘付けだ。やるのか?」

『もちろん。騎兵隊(ネレイ)が来たからね』


 ワイヨールが空中戦を離れて地上に降りた際、ボーヴァンを止めたのはカリエだった。彼女からすれば、個人の戦士としての戦いよりも、国家の存続のための戦いの勝利が優先されていた。その上で、カリエにはカリエの思惑がある。少なくとも、この状況では、彼女の考えの方が正解と言ってよかった。


「騎兵隊ね……あれは高く付くぞ」


 ボーヴァンは風防の向こうに映る、碧い海と空を分かつ水平線の果てに来たという『騎兵隊』の影に、決して楽観視出来ない未来を垣間見ていた。物思いもほどほどに、機体を捻り込むように降下させると、照準線の中心にオルウーク兵の塊を捉えていた。

 ルンビーカ200の機種から銃火と共に吐き出された半オビュア(約七・七ミリ)弾の連なりは、オルウーク兵の戦士に対する憧憬と熱狂に水を差すには十分だった。鉄兜ごと頭を叩き割られた兵が、赤黒い血と脳漿を撒きながら崩折れると、厳かな空気の色はたちまち混線模様に染め直された。


「な、何だ!?」

「ボーヴァンさん!?」


 戸惑うエリックを横目に、リンダは空を仰いでいた。状況を察すると、すぐにダジラやヴァイスと共に後退し始めた。エリックも一寸遅れて事態を把握し、誤射を避けるために離れ始めた。戦士の決闘を邪魔されて怒りに燃えるオルウーク兵は、後退するキュリール軍の傭兵部隊など意にも介さず、無粋な戦闘機に向けて小銃を乱射するばかりだった。


「……分かってはいたけど、やっぱり嫌なもんだね」

「不思議と、今は俺もそう思う」


 怒声と銃声が混ざり合う最中、間合いを取って向き合ったカーンとヨイカフツは、互いの声が不思議と聞き取れていた。両者の間には、真新しい弾痕が一直線に走っている。

 さらに砲声が割り込んで来た。規則的な重低音と地鳴りのような振動は、少なくない数の戦車が接近している。


「正規軍の本隊か?」

「馬鹿な、カレドの艦隊が砲撃を浴びせていたはずだ、一体何が」


 ヨイカフツが言い終わらないうちに、体の所々を焦がしたワイヨールが飛び込んで来ては彼女を抱え、紫紺の電光を空に残し、南へと飛び去って行った。残されたオルウーク兵はそのほとんどが討ち取られ、わずかな生き残りが捕虜となった。


「ちっ、逃がしたか」

「ごめんなさい、お爺さん。私が出るのが遅かったわ」

「いや、俺様の術式のコピーにしちゃ上出来だ」


 ミュルコ・モースとリンダは掌から稲妻の残滓を弾けさせながら、ワイヨールの飛び去った方角を見ていた。ボーヴァンの攻撃に巻き込まれないよう後退しつつ、機を見て反転して竜王と共に鳴神の術式を叩き込んでいた。二筋の稲光は確かにワイヨールを捉えていたが、疲労と魔封じの影響から決定打に至らず、取り逃していたのだ。


「やれやれ、なんとかなったと言うところかね」

「お婆ちゃん!」


 市街地を制圧した正規軍が市庁舎の旗をキュリール王国軍のものに付け替えた事で、港湾都市アーカルを巡る戦いは終わった。少し遅れて駆け付けた装甲車から降りてきたカリエに、リンダは思わず駆け寄った。親しげなリンダに対し、カリエの視線にはどこか険しいものがあった。

 いつの間にか傾いた空が織り成す秋の夕暮れが、海と街に流れた全ての赤を覆い隠しているようだった。

魔力錆び

金属は種類を問わず、多かれ少なかれ魔力を阻害する因子が含まれている。

発生や伝達、放出のいずれをどれほど阻害するかは種類によって異なるが、それら全てを強く阻害するのは鉛とされている。

次いで鉄に放出、銅や錫には伝達を阻害する性質がある。古い文献にて魔法使いや魔術師が鎧兜を着ていないのは、このためである。

逆に魔力阻害性が低い金属として挙げられるのが金や銀とされ、魔術師はこれを求めて錬金術を編み出したという伝承もある。

また、阻害性が極端に低いものは魔法金属と呼ばれ、マギウムを原料とするイカヤジウムやバリカティウムといった合金が該当する。

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