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第六十三話『冥界の使者』

 大陸暦一三五八年、九月一日――

 サイクスの思考を止めたのは、イェリアの顔立ちだった。緩く波打つ新緑色の髪に淡雪のような白い肌、柔らかな茜色の唇が映える妙齢手前の、控えめに言って美人だった。しかし、その美しさに人を惹きつける魅力はない。血色が悪いわけではなく、生気がないのだ。そして、サイクスは彼女に見惚れたわけではなかった。


「関係者……と言った顔だな」


 エリックの声に、サイクスの意識が戻ってきた。相変わらず、兜の下は深い闇に覆われており、その表情をうかがい知る事は出来ないが、細かい所作から動揺は見て取れた。サイクスの記憶がどこまで戻っているかは分からなかった。しかし、その深層に触れる何かが、イェリアの顔立ちにある事だけは確かだった。


「綺麗な人……なんだけど、何だろう。サイクスと雰囲気が似てる……?」


 リンダの視線がイェリアの顔立ちを隅々まで確認するように動き、ぱたりと止まった。懐かしさのような感情が込み上げてきたのだ。


(お母さん……?)


 ふと、母の顔を思い出したような気がしてエリックに振り向く。しかし、兄の表情は変わらなかった。いち義勇兵の隊を率いる長である以上、不必要に感情を動かさないというわけではなく、本当にイェリアに対する感情が淡白なのだ。思わず困惑の色を見せたリンダに、イェリアが歩み寄る。


「あなたが……なるほどね」

「えっ……?」


 ほとんど喉をついて出たような返事しか出せなかった。内心穏やかではないリンダをよそに、イェリアはサイクスに向き直った。黒い鎧の微妙な挙動から、動揺している事が読み取れる。


「どうしたんだよサイクス、まるで……竜王ツアンカの所にいた時みたいだぞ」

「そうか、それだ。イェリア殿の存在が、サイクス殿の記憶に干渉しているのかもしれん」


 ティットルの言葉に、一行は何かを察したような表情を浮かべた。


「リカンパ特別顧問、彼女をサイクスに引き合わせたのは……」

「察しがいいね、流石はニールの弟子だ」


 エリックの問いに、カリエは複雑な顔で答え、続けた。


「ニール達がこの基地にいきなりやって来て、義勇兵の登録してきたのは、あんた達が来る少し前だった。当初はそこのギムココ諸島の二人組が、前線に回された酒目当てに来たようなものだったけど、彼女の様子を見てピンと来たよ。こいつはあんた達に会わせる必要があるってね。あたしの勘も捨てたもんじゃなかったよ」

「歴史に興味があると言ってたが、いやに特定の時代に詳しいものでね。大陸暦六一五年のメーシア大陸、ハーム王国の動乱について……だよ」


 ニールの言葉に、サイクスの震えがさらに大きくなった。何かを知っている、という域はとうに越えていた。


「先生、婆さん、今は作戦会議にしよう。サイクスが使い物にならなくなったら、困るのは俺達だ」

「そうだね、いささか刺激が強すぎたようだ」


 カーンがサイクスを庇うように立ち、折れかけた話の腰を戻した。サイクスを落ち着けている間に、テーブルを繋げてひとつの大机にする。椅子が足りないので、カリエとヴァイスを除いて全員で立つ事にした。片や老齢、片や身長が足りないためである。


「さて、これがキュリール島西部の地図だ。ここがプッカでここがツアンカ、ここがアーカル。位置関係は分かったね」


 机に広げられた地図に、全員で目を落とす。島西部の主要都市と幹線道路が記されている。王都ジョーギンから概ねまっすぐ西に伸びた道の先に、西の海の玄関口である港湾都市アーカルがある。プッカ基地はその道の途中にあり、マニティ山地のトロッコ列車の南側出口の近くにある。ジョーギン、ツアンカ、アーカルの三方にアクセスしやすい立地であった。地図に不慣れなリンダやティットルがなんとか目で位置関係を追っているのもお構いなしに、カリエが会議用の駒を各所に置き始めた。


「アーカルに繋がる大きい道路は五つ、そのうち南北の一本ずつはそれぞれツアンカとラキーテ砂丘の方面に繋がってるから、あたし達が向かい合うのはこの三本だ」


 カリエが示した道は、アーカルの北東、東、南東に伸びる道で、それぞれがマニティ山地の南西側出口、ジョーギン、リマーブ村方面に繋がっている。それらの道は幾つかの間道で繋がっており、随所に小さな村や町の名前が記されていた。


「今は、この真ん中の道を軸にして、この辺の町や村を前線の足掛かりにしてる」


 プッカ基地に置かれた駒の中から、歩兵や砲兵を示す駒を道に沿って前に出す。現状、両軍ともまっすぐ向かい合う形で布陣していた。


「アーカルは大きい都市だからね、全面を守るには相当な兵力がいる。だが、それが足りない事は息子から聞いてるよ」


 アーカルに陣取る魔王軍、あるいはレンストラ大陸連合軍を想定した駒を置く。決して少ない数ではなかったが、南北に広いアーカル市街地の境を守るには、充分であるとは言えなかった。


「そこで、戦車隊も含めて北東の道から進軍する。ツアンカから北の道にも動いてもらう。息子があたしの名前を出して、ブンデラー准将を動かす手筈になってるよ」


 ツアンカ方面に置いた、歩兵や戦車を示す駒をアーカルの北に向ける。五つある幹線道路のうち、二つに戦力を集中させる考えだった。その不気味なまでの手腕に、エリックは半ば戦慄する。特別顧問という肩書で出来る域を遥かに超えているためだ。


「あなたは一体……」

「ご先祖様が、キュリール王家と深い繋がりがあってね。必要ならば王家の名の下に、人や物を動かす権限を戴いてる」


 カリエは懐から王家の紋章が刻み込まれた首飾りを取り出した。黒地に金縁の装飾は、キュリール王国においては王家やそれに近しい立場の者にしか許されていない。サイクスの鎧はかなり危ない線なのだが、金縁の様式が異なる事から見逃されていた。


「リカンパ家がキュリール王国の歴史に出て来たのは、大陸暦七五〇年ごろ、今から六百年ほど前だね」


 ニールが付け加える。一同はそれなりに頷きつつも、話の脱線を感じていたので最小限の反応に留めた。その様子を察して、ニールもそれ以上の言及は控える。


「カリエ様、こちらの兵力を北と北東に集めて敵をおびき寄せるのは分かりました。僕達はどのように?」

「まぁ、シンプルな手口さ。あんた達には別働隊になってもらう」


 ヴァイスの質問に、カリエは調子を変えずに答えた。リンダ達の反応は半々で、それを察していた者と驚く者に分かれていた。地図に駒が追加される。歩兵と軽車両、航空機を示す駒だった。


「一個中隊規模の奪還部隊を編成し、手薄になる南東側から侵入させる。アーカルの市庁舎は市街地の南側、海から少し離れた場所にある。最短距離を狙うならここだよ」

「そうなると、敵も少なからず警備体制を敷いているのでは?」

「相変わらず鋭いね、流石はニールの教え子だ」


 口許をにやりと歪めたカリエが、アーカル北の海上に駒を置く。艦艇と航空機の駒だった。そして、さらに西側にも同様の駒を置いた。


「ニプモスから騎兵隊(ネレイ)を出してもらう。そのためには……」


 老獪な視線がソキュラを射た。若い水竜の王は要領を得たりと口許を歪める。


「早急に東の海に戻り、状況を取りまとめましょう。東側の軍の方には、何と話を通せば」

「こいつを持って行きな。傭兵に潜り込んでリカルドって名乗ってる、胡散臭い鳥亜人の爺も連れて行くんだ」


 リカルドという偽名、胡散臭い鳥亜人の老人というキーワードから、それが誰を示しているのかは明白だった。一度はやり合った身である以上、ソキュラの顔も穏やかではないものの、他に選択肢がない事を悟っている。


「さて、ちょっと一休みしようか、あたしもトシでね。編成についてはその後だ」


 カリエが切り出すと、場の空気から緊張が解れた。張り詰めた糸が緩んだような、色が変わったような具合である。リンダは再び大きな溜息を吐き出した。


「軍人さんって大変ね。いつもこんなに張り詰めてるんだもの」

「そりゃぁ、国を守るのが第一の仕事だからね」


 リンダに応じたカリエの声色は、飄々とした老いた精霊魔術師のそれに戻っていた。


「……なら、この間に私の話をしてもよろしいかしら?」


 待っていたとばかりに、イェリアが言った。カリエとニールはやや警戒しながらも、却下する理由がなかった。ダジラはネジムを連れて中座、先程の説明を噛み砕いて訳していただけに、少休止まで込み入った話に付き合わされるのは御免だった。


「その沈黙は了承と受け取らせて貰うわ。あいにく、こちらも時間があるわけでは無いのよ」


 イェリアの顔付きが真剣さを帯びる。その視線は明らかにサイクスに向けられていた。黒い鎧の様子が再びおかしくなる。小刻みな震えが見て取れた。


「まず、私の名イェリア・ソミス……これが偽名って事は、あらかじめ言っておくわ。本当の名前は、時が来るまで伏せさせて貰うわね」


 彼女が偽名である事は、ほとんどの者が察していた。男性名イェール・ソミスと女性名イェリア・ソミスは、呼び方の分からない相手に付ける暫定の名前であり、平たく言うと『名無し』の意味である。正体不明の女の名前としては、妥当かつ露骨なものだった。


「私が生きた人間でない事は……皆の顔を見れば大体察せるわね。私は冥界、イカヤザの門の使者。私の主、冥界神イカヤザの命により、あなたを迎えに来たのよ。サイクス・キュリール……いえ、ニック・ミア」


 イェリアの口から出た名前に、場の空気が凍り付いた。ニックという名は、ヌンカル火山の最奥にてサイクスの呪いに向けて白い閃光を浴びせた時、半ば錯乱したサイクスが口走ったものである。


「待って、サイクスは魔王の呪いで、自身に関する記憶や記録が消えてしまうって……」


 リンダが慌てて口を挟んだ。この名前がサイクスや黒い鎧の英雄と結び付けられる事が呪いに触れる可能性を危惧して、呼ばないように取り決めていたからだった。


「その心配は無いわ。事実、冥界にニックの情報が浮かび上がり、現世に取り残された亡者として迎えに行くよう、私が遣わされたもの。少なくとも、イカヤザ様や私達に関しては、魔王の呪いは解けていると見ていいわ」

「なるほど……では、サイクス、いえ、ニックはここで僕達ともお別れという事ですか?」


 エリックの質問に、イェリアは小さく頷いた。


「でも、今の状況を見て、ニックをそのまま連れて行くと言うのは、いささか酷な話ね。それに……」

「それに?」


 勿体ぶるような口調に、カーンが気持ち苛立ったような語気で応じた。ルビィ隊からすればいきなりやって来て仲間を取り上げる存在でしかなく、冥界の使者というのも信用していい話か分からなかった。


「魔王ルハーラの復活が間近なのよ」


 イェリアの言葉に、誰もが言葉を失った。目を閉じたカリエがわざとらしく大きな溜息を吐く。


「妖精達から情報を集めたけど、こいつは事実さ。状況は思った以上に逼迫している。このアーカル奪還作戦も、そのための布石なのさ」


 わずかも楽観視出来ない状況である事は、カリエよりも傍らのニールが浮かべた、不気味なくらい真剣な顔付きで理解出来た。

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