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第六十話『新たなる水竜の王』

 大陸歴一三五八年、八月三十日――

 水の竜王ソキュラの証となる首飾りを身に着けたルミチャスは、まさしくこの瞬間に新たなる竜王となった。見る者の心をざわつかせるような魔力の渦を巻き、辺り一面を厳かで険呑な空気で包み込む。一触即発とまではいかずとも、ただならぬ雰囲気だった。


「……さて、堅苦しい空気はここまでにしよう」


 出し抜けに放った言葉に、張り詰めた緊張があっさりと切れた。新たなソキュラとなったルミチャスの表情には柔らかいものが混ざっている。勝者の余裕に見えなくもなかった。


「リッコマー、彼らにあれを配ってくれ」

「分かりました」

「ラームは竜笛の用意を頼む」

「はい」


 出会ってから先程まで、命のやり取りをしていた相手とは思えないほどの柔和な声色で、思わず警戒心を忘れそうになったが、リンダの表情は険しいままだった。先代ソキュラの子供達が港湾都市ニプモスを夜襲した事は、風の竜王ミュルコ・モースから聞かされており、中でも最も油断ならないのがこのルミチャスだと聞かされていたためだ。ティットルもリンダと同様に警戒心を(あら)わにしている。彼女の場合は単純に口調や態度が気に入らないためである。


「あの……これを」


 表情を険しくしているところに、リッコマーが申し訳なさそうに話し掛けてきた。手渡されたのは竜の丸薬だった。だが、以前に貰った物とは質感が異なる。


「これ、何で出来てるの? 海の匂いがする」

「魔力を含んだ鉱物を食べる貝類の干物などを、薬効性のある海藻で包んだ丸薬です。そのまま食べる事で効果が現れます」

「お爺さんから貰ったのとは違うのね」

「風竜の丸薬は味が凄いからね。飲んだ方がいいのよ」


 ティットルの説明を受けたリンダは、ものは試しと丸薬を口に含んだ。潮の香りが口いっぱいに広がり、一噛みするごとに波打ち際の音が聞こえてくるようだった。飲み下して間もなく、リンダは不思議な感覚に見舞われた。まるで海の中にいるような、それでいて苦しくも目が痛くもない、妖精の泉に似た心地よさがあった。温かく柔らかな水と光に包まれるような感触は、ほんの十拍(十秒)ほどで終わった。それでも、言いようのない多幸感が彼女の心身を癒やしていた。


「……ちょっと、薬が強過ぎましたね……」

「相手は人間よ、竜の薬が効き過ぎないはずがないわ」


 非合法な薬物でも摂取したような、恍惚に近い笑みを浮かべたリンダを前に、ティットルとリッコマーは若干の危機感を覚えた。エリックとカーンもまた同様で、サイクスだけがほとんど素面(シラフ)に近かった。


「すまないが、皆を正気に戻してくれ」

「分かりました」


 ルミチャスに言われ、ヴァイスがリンダ達の肩を軽く叩いて気付けをする。水竜の魔力は精神を良くない方に揺さぶる性質があるため、呆けるほどの恍惚にはちょうど良かった。ほどなくして、改めて一堂は顔を合わせる事となった。


「さて……まず、私が竜王の証である首飾りを正式に受け継ぎ、ソキュラを名乗る事となった」

「なんか腑に落ちないわね……」


 ルミチャス改めソキュラに対し、真っ先に異論を唱えたのはリンダだった。ティットルとカーンも口には出さないが、内心は穏やかではない。対して、エリックやサイクスは彼の即位を認めるような素振りだった。


「ニプモスを夜襲した時も、今の戦いも、あなたは一番の危険から遠いところで動いてる。何と言うか……」

「男らしくない、かな?」


 ソキュラに先回りされ、リンダはますます憮然とした。あからさまに眉間に深い皺を刻む。


「逆に訊こうか、男らしいとは何かな? 父や兄のように雄々しく戦い、まさに死ぬ事かな?」


 その物言いに、リンダはさらに苛立ちの色を見せた。


「負ける者には、なんとしても生きるという覚悟を決める必要もあるという事だよ」


 新たな竜王が自ら発した負けるという言葉に、リンダ達は目を丸くした。ヴァイスだけが分かっていたような表情を浮かべている。


「我々、水竜も人間に降る。他の三竜と比べて随分と時間が掛かってしまったが、ようやく辿り着いた。そのためにも、兄や双子の姉弟を取り除いておく必要があったのだよ。私かヴァイスが生き残れば策は成る」

「代々、水竜は人間を憎んでいると聞いたけど、あなたはどうやってその考えに至ったの?」


 リンダの声色は驚き半分に落ち着きを取り戻していた。ソキュラは答える際にリッコマーを傍らに寄せた。


「リッコマーが言っていただろう、水竜が海底で採れる貴金属や鉱物の類を売買するために、魚介亜人に扮して人間の社会に潜り込むと。私も以前はそういった仕事をしていてね、人間の文明や文化によく触れていたので分かるのだよ。竜は人間に敵わぬと」

「以前って、どのくらい前なの? その子がヴァイスより小さいって事は分かるんだけど、あなたがその子と同じくらいの歳で仕事してたとなると、けっこう昔の話よね」


 ソキュラの顔にわずかな驚きと好奇心が宿る。彼にとって子供の頃を指す以前とは、人間にとっては昔を意味するのだ。気持ち声色をいたずらっぽくして答えた。


「そうだな、百五十年くらい前かな」

「大陸歴で言うと一二〇〇年前後……蒸気機関文明時代じゃないか?」

「そうだ、私が子供の頃は、まだ蒸気車もよく見掛けたな」


 百五十年前という言葉に食い付いたのはエリックだった。彼からすれば、前文明時代を知る者との接触は大いに価値がある。


「そういえば、お爺さんは昔の話をしてくれなかったね。そんな暇もなかったけど……」

「お爺様は口達者ではあるんだけど、若い頃の話は嫌がるのよね。私は妖精の森からほとんど出なかったし。ただ、蒸気機関が主流だった時代に森が大きく減ったのは覚えてるわ」


 ティットルの言葉に、サイクスはグリンクパース付近の森が大きく面積を減らしていた事に納得した。話の筋道が逸れたリンダとティットル、別の意味で好奇の眼差しを向けるエリックを前に、ソキュラは咳払い一つで流れを戻した。


「……まぁ、人間の技術の進歩があまりにも早く、面食らったと言うのが正しいな。祖父は三百年前に海戦で敗れ、父はニプモスを襲った際に歩行戦闘車に撃たれた。そして弟は件の夜襲で反撃され、おっとり刀の六オビュア(約九〇ミリ)野砲の直撃で即死した」


 軽い口調で語るソキュラの表情には、どこか物悲しさが浮かんでいた。人間を最もよく知る水竜であるがゆえに、開きゆく人と竜の差に打ちひしがれているようにも見える。


「今や、竜も竜殺しの英雄も、銃砲の直撃であっという間にイカヤザの門だ。父はニプモスの市街地の一画を吹き飛ばしたと聞くが、人間が作った飛行機はツアンカの市街地の大半を火の海にした。竜は人の進化に敗れ、時代に取り残されたのだよ」

「それは違うと思う」


 半ば自棄になった声色に対して、真っ向から異論をぶつけたのはリンダだった。曇りのない、まっすぐな目をこちらに向けている。


「竜王様はすごい力を持ってるわ。友達のお姉さんが酷い目に遭って心を閉ざされた時、火の竜王ツアンカ様はその傷につけ込んで縛り付けていた奴を払ってくれたわ。お爺さん……風の竜王ミュルコ・モース様も、サイクスに掛けられた魔王の呪いを解いてくれたのよ。あなたはあなたで、人と水竜の仲を取り持とうとしてる、新しい流れを呼んでいるんじゃない?」

「流れ、か。面白い事を言う」


 リンダの言葉に、ソキュラ面食らいながらも好意的な感触を見せる。流れという表現は、まさしく水の竜王に相応しかったのだ。少しの沈黙の後、足下から水音が聞こえてきた。水面に大きなものが浮かび上がった時のような音だった。


「お兄様、プレトランシオが来ました」

「何が来たの?」


 歩み寄って来たラームに、リンダは思わず尋ねた。耳慣れない単語が何を指しているのか、来たという表現から何かを示す名前である事しか分からなかったのだ。ラームは足下を指差した。人間の目にはほとんど暗闇で、うねる水面がわずかに光を照り返す水脈があり、その中に一際異彩を放つ、海獣のような一塊が見えた。


「プレトランシオ、気性が穏やかで力の強い海竜の一種だ。水竜の一族は古くから、この竜を荷役として飼ってきた。君達が連れているニダモアのような生き物といえば分かるだろう」


 ソキュラに説明され、暗がりに目が慣れてくる頃には、見た事もない生物の巨体である事に気が付いた。エリックの所有する古い文献に載っていた、首長竜のような生き物であり、大きく盛り上がった背中には、亀の甲羅のような被せ物があった。それは亀の甲羅ではなく、殻を閉じる事で密閉出来る巨大な二枚貝だった。


「すごい生き物ね」

「なるほど、竜種だから淡水にも海水にも適応出来るのか」

「死んだ者を積んで、ロゼとリッコマーとラームは水竜の宮へと戻り、蟹葬(かいそう)の準備をしておいてくれ。私とヴァイスは彼らに同行する」


 関心するリンダとエリック、カーンをよそに、ソキュラは王としての最初の仕事に着手していた。水の竜王の多くは、最初に葬式を行うという。首飾りを巡って争った兄弟を弔い、初めて王としての第一歩を踏み出すのだ。


「ヴァイス、蟹葬……って、なに?」

「高貴な水竜に用いられる葬式で、亡骸を腐肉食の蟹に食べさせ、少し経ってからその蟹を食べる事で、亡くなった方の血肉を受け継ぐという意味があるんです」

「蟹を食べると聞くと、なんか贅沢な気がするけど、そういうお葬式と思うとね……」

「祖父の代くらいまでは、亡くなった者の肉を直接食べていたそうですが、お腹を壊すからと蟹を挟むようになったと聞きます」


 ヴァイスからの説明を受けて、リンダは目が点になった。その間にも、粛々と亡骸の運び込みが行われている。リッコマーとラームがピコーダの手足を掴んで持ち上げた時、ソキュラが待ったを掛けた。足早に詰め寄り、死体の一部を切り取るような仕草を見せる。


「ソキュラ殿、その肉をどうするのだ?」

「じきに分かる。今後の人間と水竜の関係改善にも必要なものだ」


 ティットルに尋ねられ、ソキュラは淀みなく応じながら、防腐抗菌作用のある二枚貝に、ピコーダの肉をしまい込んだ。検体の採取と言った方が正しいが、その行為が何を意味するのかは分からなかった。


「さて、行こうか。隊長は君だったな」

「あぁ、まだ分からない事はあるが、まとめて向こうで話を進めよう」


 エリックとソキュラが並んで歩き出す。そのうち次のトロッコ列車の便が捉まるだろう、そのくらいの前向き加減だった。リンダも書類上は副隊長のため、小走りで追い付くように動き出す。サイクス、ティットル、ヴァイスと続いてカーンが殿も兼ねて歩き出した、その時だった。


「カーンさん」


 ふと、ロゼに呼び止められたのだ。


「何ですか?」

「これを、あの子に返しておいて下さい」


 ロゼの手にあったのは、ラニャに奪われていたままの、リンダのリボンだった。相手をコピーする能力の制御のため、妖精の郷のタニアに術式を施されたとされている、彼女の愛用品である。


「あいつがこのリボンを忘れるなんて、変な事もあるんだな……すいません、ありがとうございます」

「強い魔力を感じるけど、それ以上に違う温かみのようなものを感じます。大事にするよう言っておいて下さい。それと……」

「それと?」

「弟をよろしくお願いします」

「えぇ、あなたもお気を付けて」


 ロゼの心配そうな声色に、カーンは努めて明るい返事を返した。リンダに呼ばれ、踵を返して走り出す。活力に満ちたその背中を、ロゼは時間の許す限り見守っていた。

プレトランシオ

キュリール島東部からギムココ諸島、南のシージョ大陸域にまで広がる海域に多く生息する海竜の一種。

古生物の一種である首長竜によく似ているが、首の長さや前足ヒレの大きさ等が大きく異なる。

これは単純な進化の流れと同時に、この竜種を使役している魚介亜人や水竜による品種改良が進められた結果とする節もある。

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