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第五十一話『最大出力』

 大陸暦一三五八年、八月二十五日――

 静寂に包まれていた火竜の棲家に、銃声一つが不気味に反響していた。時が止まったような錯覚は、ゲハロークの右肩から弾け飛んだ赤いものが足元に飛び散った事で終わりを告げた。旧式とはいえ小銃弾が直撃したのである。拳銃弾のように穴で済むはずがなかった。肉が抉られ、骨も砕けている。驚くほどの速さで赤く染まる自身の肩に、正気を保っていられるほどの男ではなかった。


「ひっ……お、俺の腕が……!?」


 顔中から脂汗が噴き出し、打ち身と裂傷を合わせて幾重にも掛けたような痛みが走る。傷口から勢いよく血が跳ねると、その恐慌はいっそう強いものになった。初めて人を撃ったローザは、その相手の反応の凄まじさに固まっており、駆け付けたカーンが半ばもぎ取った小銃の弾倉を外された事で我に返った。


「ローザちゃん、大丈夫?」

「う、うん……」


 リンダが近寄り、未だ引き金を引いたままのローザの右手を温めるように握る。リンダも相手を撃った事はあるが、人間はない。撃たれた姉の仕返しとばかりに撃ち返していたが、実際に人間に当てたとなると、流石に堪えたようだった。


「く、くそっ! 何の力もない小娘ごときに……! 火の四天王を甘く見るなよ!」


 半狂乱になった目で、ゲハロークは左手で右肩の傷口を押さえると、うめきと叫びの間のような声を上げながら、肉を焼くような臭いを漂わせた。


「あいつ、傷口を焼いて塞いでるのか!」

「ゲハローク家は魔法使いの名門だ! お前達のような、ただの人間ごときに!」


 だらりと垂れ下がった右腕と対照的に、右肩を焼き塞いだ左手は炎を纏って活力をみなぎらせていた。両脚もうっすらと発光し、熱を帯びている。踏み込みとほぼ同時に詰め寄られたカーンが、張手一発で吹き飛ばされた。咄嗟に突き出した弾倉がもぎ取られ、灼熱の左手に握り潰される。残った弾薬が爆ぜるように燃えたが、手傷を負わせるには至らなかった。


「ぐっ、なんて強さだ!」

「当たり前だ! その気になれば、あんな小都市など!」

「でも、その気にならなかったのよね」


 カーンに距離を詰めたゲハロークの動きが止まった。リンダの指摘に痛いところを突かれたらしい。


「本当は、その気になっても出来ないんじゃない? だから、ならなかった。あなたはただ、強がってるだけの卑怯者よ」

「卑怯者だと、この俺が?」

「えぇ、手下を連れて威張っているか、立場が上の相手に取り入ってるだけの、立派な卑怯者よ」


 リンダの言葉に、ゲハロークの顔はみるみるうちに豹変していった。両のこめかみに青筋を浮かべ、切れ長の目は見開かれて不気味に輝いている。わななく口許は自然と歪んだ笑みを形作っていた。人とは不思議なもので、痛い所で図星を突かれると、気持ちの整理が付かなくなる。幾らかの理性が残っていれば、冷笑であしらう事も出来たはずだが、今のゲハロークは完全に頭に血が上っていた。


「殺す!」


 もはや、憤怒と衝動に駆られた獣であった。狐を思わせる怜悧で狡猾な顔立ちは、もはや吠え猛る狂犬にしか見えない。しかし、その剥き出しの感情が形になったような灼熱のうねりは本物で、憎悪と相まって正しく炎の魔人と化したゲハロークの突進は、見る者を畏怖させるだけの力を有していた。


「リンダ!」

「エリックさん、危ない!」


 祭壇から身を乗り出したエリックを、ソキュラが慌てて引っ込める。同時に、少しでも火勢を止めようと水槌の術式を放つ。消耗から大した水量にはならなかったが、それでも人の腕一本分に相当する量の水を束ねて織り成した槌は、常人を吹き飛ばすには充分のはずだった。しかし、本領を発揮した火の四天王が纏う炎は、その程度の水を瞬く間に弾き飛ばし、水蒸気に変えた。


「なんて火力だ……!」

「リンダ、そのままそいつをコピーだ! 熱壁の術式で受け止めろ!」


 慄き後退りしたソキュラに代わり、サイクスが声を上げた。リンダの後ろにいたローザとメリッサは、ミュルコ・モースが抱えて祭壇の上に運んでいる。


「同胞よ、あの人間の娘を援護せよ」

「分かりました!」


 ツアンカの指示を受けた火竜の若い個体が三頭ほど、リンダの援護に駆け付けた。心の火は本来、火竜の得意分野である。荒れ狂うゲハロークの突撃にも臆する事なく、彼女と共に熱壁の術式を展開した。


「……! 凄い感情の……!」


 ぶつかり合う間際、リンダは燐光のように輝くゲハロークの双眸に、嵐よりも激しく、星のない夜よりも暗い闇を見た。コピーしているからこその共感であり、それはたちまちにリンダの心に覆い被さった。

 リンダ達の熱壁にゲハロークが触れた。灼熱の炎が渦を巻き、竜巻のような風を巻き起こす。リンダの目には、暗黒の焔を纏った龍がまさに巻き付かんとする瞬間を見た。



「これは、あいつの……取り込まれたの?」


 火竜達と共に熱壁で防ぎ続ける身体と、闇に捕らわれた心は完全に分離していた。意識の中のリンダは一糸纏わぬ姿で、淡い翠の光に包まれていた。身の周りは全てが闇に覆われ、空間そのものが渦巻いている。


「これは風というより、魔力……?」


 浮遊感もなければ、落ちている感覚もない、しかし地に足が着いてもない。暑さも寒さも感じず、それでいて芯から震えるような威圧感を覚えている。ふと見上げると、渦巻く闇の根源に、巨大な眼玉が浮かんでいた。見てはいけないものだと本能的に察知したが、既に心は不気味なそれに引き付けられていた。


「そうか、それがお前の真価か。我が主に仇なす者という意味、今こそ理解した」

「どういう事!?」

「お前にはまだ分からぬか。ならば、答えに辿り着かせるわけにはいかんな」


 眼玉から聞こえてくるゲハロークの声が、リンダの心を掻き乱した。闇の中から幾筋もの腕が伸び、彼女の身体に絡み付く。肉食性の怪植物による捕食にも、下卑た暴漢による辱めにも似た、苦痛を伴う不快感が、リンダの心を蝕んでいった。


「まずい、リンダの火力が落ちてきた」


 すんでの所でローザとティットルを抱えて祭壇まで駆け上がっていたカーンが、形勢の不利を訴えた。エリックとソキュラは負傷したメリッサの治療に専念している。助けに行こうにも、どうしようもない状況である。もはや人を象る暗黒色の炎と化したゲハロークは、リンダと火竜達にした止められない存在と化していた。二頭の竜王は力を使い果たし、サイクスは黙って見守るばかりである。


「サイクス、俺達にも何か出来ないのか?」

「残念だが、あの火力の前には、打つ手がない」

「じゃあ、どうするんだ。このままリンダがジリ貧になって蒸し焼きにされるのを見てろって言うのか?」

「いや……そろそろだ」


 焦りの色を隠す事が出来ないカーンとは裏腹に、サイクスはひどく落ち着いていた。


「やだ……痛くて、気持ち悪くて、私……」

「さらに力がみなぎってきたぞ。この溢れ出る魔力、これぞ我が一族の真の力だ」


 腹を裂かれて押し広げられたような錯覚と、開かれた空虚に闇が流れ込んでくる不快感が、リンダの思考をも暗く淀んだ渦に呑み込もうとしていた。


「さぁ、肉体を焼かれ魂を喰われるがいい!」


 リンダは声も出せないほどの激流に呑まれていた。穴という穴から闇が入り込んでくる。溺れるような苦しみの中、出し抜けに吹き荒れた風のようなものによって、彼女は闇の中から抜け出した。


「な、なんだ!?」

「何が起きたの?」


 困惑していたのはリンダだけではなかった。獲物を呑み込まんとしていた闇の渦が振り払われている。リンダの胸の前には、鈍い銀色の輝きを放つ、短剣の形をした光が浮かんでいた。


「これ……ドワーフのお爺さんから貰った短剣……?」


 鉱山都市マニティの魔道具屋で買ったという、魔法金属イカヤザ銀の短剣が、リンダを覆う闇を吸い込んでいた。


「お兄ちゃんが言ってたな、心に入り込む悪いものを防ぐって」

「ドワーフの短剣……!?」


 困惑を通り越して狼狽したゲハロークの闇が、短剣に吸われて薄らいでゆく。その向こうに見えていたのは、金色に輝く空間だった。


「凄い力……」


 リンダは光輝く世界の中で、短剣の柄を手に取った。



「どうしたんだ!? リンダの色が……!」

「魔力の漏出が始まったか」


 熱壁を展開するリンダの手には、どこからともなく現れた黒い短剣があった。そして、リンダを覆う光と炎の壁は金色に輝いており、ゲハロークの暗黒を帯びた紫紺の焔と対照的にぶつかり合っていた。その光景を目の当たりにしたエリックが、サイクスに解説を求めた。隣のカーンは半ば呆然としている。


「魔力の漏出……聞いた事があるような」

「魔法使いは、内包する魔力を使い果たさないようにリミッターのようなものが掛かってると聞きます。恐らく、それが外れたのかと」

「外れるとどうなる?」

「僕もミュルコ・モース様から聞いただけですが、文字通り魔力が溢れ出続けるので、より出力の高い魔術が行使出来ますが、その漏出を自力で止める術は存在しないそうです」

「ソキュラの言う通りだ。私は過去、同じようになった者を三人ほど知っている」


 割って入ったソキュラの説明に、サイクスは概ね正解の意を示した。


「そして、以前にカリエ殿が言っていただろう。リンダのコピー時には対象の魔力を用いて術式を行使すると」

「つまり、リンダが奴をコピーして同じ術式でぶつかり合うって事は……」

「消耗が倍増するんですね」


 黒い鎧が黙って頷く。視線の先には、もはや光り輝く炎の塊と化した衝突しか見えなかった。援護に駆け付けた火竜達も吹き飛ばされ、リンダの放つ黄金色の炎が作り出す、闇のような影に溶けていった。破壊的な衝撃を帯びた炎は、近付く事さえ許されないほどの熱量を有している。


「凄い熱さ……あの子は大丈夫なの?」

「分からない……でも、お姉ちゃんよりは大丈夫だと思うよ」


 時間の流れが元に戻り、治療を施されたメリッサが、ローザに肩を担がれる形でリンダ達の様子を見た。事情にも魔術にも詳しくない姉妹からすれば、未だにあの夜の続きにいるのではないかとも思わせる光景だった。


「……炎が弱まっていく」

「勝負あったな」


 ようやく立ち上がる事が出来たティットルが、魔術戦の終焉を見た。金色と紫紺の炎が渦を巻きながらも飛び散るように消え去り、そこには向かい合う一組の男女だけが残されている。


「リンダ!」

「リンダちゃん!」


 エリック、カーン、ローザがほとんど同時に叫ぶも、祭壇の高さから飛び降りるのは危なく、崩折れようとしているリンダを抱えに行こうにも、体が動かなかった。そんな一行を尻目に飛び出したのはティットルだった。痛む背中も構う事なく、力なく倒れ掛かったリンダの体を受け止めるように支える。


「リンダ、大丈夫?」

「……うん」


 ティットルの腕の中で、リンダはうっすらと目を開けて答えた。後から駆け付けたエリックにリンダを預けると、カーンと共にゲハロークの方に目をやった。そして絶句した。

 そこには、肉が削げ落ちたとか、骨と皮とかいう域さえ越えた、人の形をした炭と言った方が正確な姿になった、四天王の姿があった。

魔力の漏出

魔法使いが短時間で過剰に魔力を消耗し、内包する魔力が漏れ出るようになる現象。

リミッターが外れるため、それまでよりも高い魔力が出力され、強い魔術が行使出来るが、使っていない時でも魔力が垂れ流しになってしまう。

一度この状態になると自力での調整は困難で、漏出を止める事は不可能。

魔法使いは自然に魔力が回復するが、漏出はそれを上回る早さのため、満ちる事はない。


魔法使いが魔力を失った時にどうなるのかは、個人によって異なる。

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