第四十九話『魔の領域』
大陸暦一三五八年、八月二十五日――
ヌンカル火山の最奥、火竜の棲家に現れたのは、風の竜王ミュルコ・モースだった。かなり飛ばして来たのか、肩で息をしている。歳は取りたくねぇな、と愚痴るのも無理はなかった。
「お前も、あまり調子は良くなさそうだな」
「千年竜と呼ばれてはいるが、そこまでいいものでは無い」
ツアンカは少し間延びしたような、気怠さを感じさせる口調で応じた。メリッサの心に巣食った闇を払うのに、相応の力を使ったようだった。
「ティットル、千年竜って?」
「ツアンカ様のように、齢千年を重ねた竜の事を指すのよ。お爺様でも達していない域で、場合によっては神に匹敵する力を有するとも言われているわ」
リンダは聞き慣れない言葉に、思わず隣に立つティットルに尋ねた。彼女の答えを耳ざとく聞いたツアンカが、渋い顔でミュルコ・モースに視線を送る。風の竜王はしたり顔で腕を組んでいた。
「……ミュルコ・モースよ、お前はいささか大仰な伝説を教えてはおらんか?」
「いいじゃねぇか。この島、もとい大陸域や近辺にお前以外の千年竜なんていねぇんだ」
「して、お爺様の方は何かあったのですか?」
「おぅ、そうだったな」
孫娘に問われ、竜王は思い出したようなジェスチャーで返す。無論、思い出したわけでも、忘れていたわけでもない。
「妖精を介して情報を集めてたら、お前達が行動を起こしたと聞いてな。理由を付けて飛び出して来たんだが、丁度良かったな」
「では、都市が夜襲にあった事もご存知で?」
「あぁ。それと、火の四天王が上手い事潜伏してたってのもな。あの空襲は奴の手引きだ。魔王軍の情報網を介して、色々と垂れ流してたようだな」
「流石は風の竜王、老いたりと言えど侮りがたいか」
割って入った声に、誰もが洞穴の入口に目をやった。聞き覚えはあるが、明らかに調子の違う声、アロンツォだった。狐を思わせる切れ長の目には、うっすらと邪悪な光が漏れ出ている。その顔を認めたメリッサが、反射的に小銃を構える。止める間もなく照準を定め、引き金を引いた。吐き出された弾は驚くほど正確な軌道を描き、アロンツォの眉間に吸い込まれ、弾けた。甲高い音は、弾丸を構成する金属が瞬時に蒸発した音だ。
「おぉ、怖い怖い……義勇兵の中でもそこそこ腕の立つ女がいると聞いてたが、お前だったか。しかし、お前にはあの夜、ありったけの恐怖を刻み付けておいたはず……」
アロンツォが言い終わらないうちに、今度は炸裂火が飛んできた。放ったのは、エリックをコピーしたリンダだ。やはり、同様に直撃せず弾け飛ぶ。火の四天王は、悠然ととした歩みを止める事はない。
「イミノッキが占いで導き出した、我が主の脅威たる娘……なるほど、確かに腕を上げているようだな。ドキャンタの女癖を利用して誘き出したまでは良かったが、思った以上に手を焼かされる……この火の四天王が、手を焼かされたのだ。この、アロンツォ・ゲハロークがな」
一行が祭壇を駆け降りる。近くに寄れば寄るほど不快さの増す、低く通った声だった。ゲハロークはリンダ達と五歩ほどの間合いで止まった。少し踏み込めば、互いの攻撃が通る距離。しかし、銃撃も術式も防ぐ障壁に、手を出そうとは思えなかった。
「いくら魔王の配下、火の四天王と言えど、竜王三頭と黒い鎧の英雄、その仲間達に相対しては不利だろう。何が狙いだ?」
「狙い? 無論、娘と黒い鎧の抹殺だ。それに、一人ではない」
ミュルコ・モースの鋭い眼光を物ともせず、ゲハロークは一行の前で両手を仰々しく掲げて見せた。放射状に吹いた突風に似た、魔力の放たれる衝撃波が篝火を揺らす。土煙が舞い上がり、地鳴りに似た振動が辺りを包み込んだ。思わず顔を手で覆う者が多い中、サイクスは一人、目の前に広がった光景をまっすぐに捉えていた。
「……忘れていたかった記憶、だな。それは」
「なるほど、そういう事かよ」
静かに言い放ったサイクスに少し遅れて、状況を認めたミュルコ・モースが吐き捨てる。土煙と地鳴りが落ち着いた頃、そこには数十名の武装した傭兵に加え、見覚えのある巨体があった。
「生きていると聞いてたけど、実際に見てみると驚くもんだねぇ」
「あなたは……土の四天王!」
「覚えていて光栄だよ。まぁ、そのままお別れといくんだけどね」
女とはいえオルウーク、成人男性を一回り上回る巨体を有するのは、妖精の郷の入口で戦った土の四天王ヨイカフツだった。以前とは異なり、泥の鎧も宝石の刃もない。胸部と局部を除いてほとんど露出した肌には、揺らめく闘気を形にしたような戦化粧が施されている。
「丸腰ってわけじゃないな」
「もちろん。今回は雑魚も連れているしね」
警戒心を顕にしたカーンの言葉に、ヨイカフツは気持ち嘲るような口調で応じた。無論、今の彼女にそんな気配はない。微塵の隙も見せる気がないのだ。そして、その『雑魚』を見てから、サイクスの様子がおかしくなっていた。
「サイクス、大丈夫か?」
「あ、あぁ……色々と思い出してしまったよ」
「あの傭兵達、何かがおかしいな。生気がないというか」
「あぁ、あれは屍兵だ」
小刻みに震える黒い鎧が、サイクスの魂にまで刻み付けられた記憶の凄惨さを物語る。屍兵という言葉に、はっきりと嫌悪感を示したのは二頭の竜王だった。年若いティットル、ソキュラ、他の火竜はその意味が分からないでいた。
「反魂の術式かよ、二度と見たくなかったぜ」
屍兵の群れを一瞥したミュルコ・モースが吐き捨てる。反魂の術式の名を聞いた途端、エリックも顔をしかめた。
「最も効率よく兵を集める方法の一つ、それは死者を使役する事。ましてや、戦闘のプロたる傭兵であるなら、精鋭が自分の手足のように動かせるのだ」
「見下げた奴ね……!」
したり顔で語るゲハロークに、メリッサは再び銃を構えた。それに呼応したのは、十名近い屍兵の銃口だった。程なくして一斉に銃火が明滅し、反響する乾いた音と共に吐き出された弾が彼女に迫った。突き抜けるような衝撃に合わせて、メリッサの体から赤いものが弾けた。
「お姉ちゃん!」
ローザの悲鳴が響く。崩折れたメリッサに駆け寄る小さな影を、心のない屍兵達は鼠でも見つけたような素振りで狙い撃った。しかし、ローザに迫った銃弾は彼女の身を貫く事なく、焼け溶けた金属となって弾け飛んだのだ。メリッサの被弾に冷静さを失わず、あるいは激情に駆られながらも、リンダはゲハロークをコピーしていた。そして、先ほどメリッサからの銃弾を弾いた術式を行使したのだ。
「相変わらず厄介だな、その力……」
「イミノッキが話していた、相手の技を真似る能力か」
「あぁ。ドキャンタを殺して奴に罪を擦り付けようとした時も、陽炎の術式で逃げられた」
リンダ―の能力を初めて目の当たりにするヨイカフツが、ふむ、と関心を示したかのように頷くと、近くにあった石柱に手を添えた。削り出しの柱は気合一つで寸断されたように崩れ、人間数人分を圧し潰せるほどの量の瓦礫と化した。
「リンダって言ったね。悪いけど、ここで死んでもらうよ! 浮石の術式!」
妖精の郷で戦った時と同じく、手近な石を魔力で浮遊させて操る浮石の術式を行使したヨイカフツは、一片の油断もしていなかった。以前には泥のローブによる防御を破られ、宝石の刃による攻撃も物ともせずに立ち向かってきた。あの勇猛さを汲んで、戦士として評価しているのだ。確実に仕留めるという意思は、人間の頭ならたやすく打ち砕くほどの大きさの瓦礫が物語っていた。
「来るぞ!」
カーンが叫ぶ。ほとんど同時に飛来する瓦礫が重苦しい音を立てて過ぎ去り、運悪く直撃した火竜の一頭が首を折られて死んだ。リンダの真横を通過した瓦礫は、銃弾をも溶かす高熱の壁でも防ぐ事は出来なかった。ゲハロークとリンダが行使している熱壁の術式は、高質量による攻撃は防げないのだ。カーンが反撃にと拳銃を構えるが、そのわずかな挙動に反応して屍兵が撃ち掛けてくる。
「くそっ、前みたいに間合いを詰めればとは思うが、何かすると屍兵が撃ってくるのか……サイクス、お前、何か分からないか?」
まだ残っている石柱に身を隠し、隙を見ては屍兵を狙うカーンがサイクスに尋ねた。屍兵という存在を知っているのなら、対処法も知っていると踏んだのだ。しかし返事がない。数発撃って屍兵の眉間を撃ち抜き、銃弾を装填している間にちらりと様子を見た。
「サイクス、おい、大丈夫か!?」
「あまり……いい状態ではないな。しかし、屍兵が相手なら、私にも手がある」
「どうするんだよ?」
「エリックとティットル、ツアンカを借りるぞ」
「待ってくれ、彼女の治療が最優先だ」
サイクスの言葉に、エリックは難色を示した。撃たれたメリッサは急所こそ外れているものの、右肩と左の二の腕が特に激しく損傷しており、ソキュラと共に術式による治療を施さなければならない。ローザは姉の手を取り、呼びかける事しか出来ない。銃弾はリンダとティットルが防いでいるが、ヨイカフツから飛んでくる瓦礫への対処が追い付いていない。宝石の刃ほどの正確さが無いのが救いだった。
「よし、オレ様が手伝ってやろう」
ようやく体力が戻ったのか、電光の一閃で数体の屍兵を吹き飛ばすと、エリックの側にミュルコ・モースが降りて来た。そして、メリッサに向かって術式を行使した。彼女の呼吸が止まる。それだけではない。瞬きも、血の巡りも、全てが止まってしまっていた。
「お姉ちゃんに何をしたの!?」
「慌てるな、お嬢ちゃん。停止の術式だ。しばらくの間、お前のお姉ちゃんに時間は流れない」
不安と焦りと恐怖がない交ぜになり、発狂寸前のローザがミュルコ・モースに噛み付くも竜王は飄々として応じた。しかし、エリックとティットルは、老いた身で軽々しく使っていい術式でない事を察した。
「これでいいだろエリック。ティットル、こういう時は固まるな。動け」
「この銃弾と瓦礫の中でですか?」
「そうだよ。どうせお前の目には見えてるんだろ? オレ様とソキュラが代わりにサイクスを手伝うから、お前は奴らの撹乱を頼むぜ」
「……分かりました」
竜王であり祖父の言葉に、ティットルは防戦一方になっていた状態を打破すべく、突風の術式による防壁を解いた。そして妖精の細剣を抜き放ち、妖精の魔力を帯びた光を翼に湛える。屍兵の注目は若い竜に集まり、銃口は彼女を捉えた。しかし、次の瞬間にはティットルの姿はそこにはなかった。
「ほう、風の竜か。ヨイカフツ」
「分かったよ」
一陣の風となって屍兵達の間をすり抜けたティットルの剣は、舞うような軌跡を描く。小銃が銃口から銃身が切り落とされ、それを手繰る手や腕、胴や首さえ薙ぎ落とす。目にも止まらぬ速さで懐に潜り込まれ、人間より判断力の劣る屍兵が定まらない狙いに右往左往するうちに、竜と妖精の剣舞は心も命もない者達を斬り捨てていた。程なくして、全ての屍兵が再び骸と化していた。
「あんたもやるねぇ、風の竜」
「お互い、相手にとって不足なしという所だな」
「それが、そうでもないんだよね?」
嘲るような口調で口許を歪めたヨイカフツの顔に、ティットルは反射的に危機感を覚えた。そして、それは一手遅かった。
「上か!」
「遅かったね!」
ティットルの頭上に浮かべていた瓦礫が、まっすぐ撃ち下ろされる。咄嗟に頭を守り、魔力を帯びた翼から突風の術式を放つ事で軽減したものの、軽くない一撃が幾つも背中を打ち据えた。筋と骨とが悲鳴を上げ、彼女の呻きは声にならない。
「ティットル……!」
「余所見をしている暇はないぞ?」
思わず声を上げたリンダに、粘り付くようなゲハロークの言葉が滑り込んで来る。熱壁を張りながら、反魂で新たな屍兵を呼び寄せて来た。状況は圧倒的に不利であった。
反魂の術式
膨大な魔力で強引にイカヤザの門を開き、死者の魂を呼び戻す禁断の術式。
まだ死んで時間の浅い者であれば呼び戻すのに掛かる時間も魔力も少ないが、数日以上経過した者を呼び戻すのは困難を極める。
通常サイズの魔晶石では魔力が足りないため、実質的に魔法使いや竜といった、潜在的に大量の魔力を有している者にしか使えない。
しかし、危険性の高い媒介を用いる事で強引に魔力を引き出してこの術式を行使したとされる、不確かな記録がそこかしこに残っている。
なお、呼び戻された者は一度までならお咎めなしだが、二度目以降は任意のため、死者の法を破ったとして罰を受ける事もあるらしい。




