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第四十五話『夢と夜と炎』

 暦、日時不明――

 どこかの街中にて、馬車で揺られている事に気が付いた。

 窓の外に見える景色に、自動車の類はない。車と言えば、もっぱら馬車や陸竜車であり、大通りでも片側二車線に見たない道幅であった。石畳の上を通る馬車には当然ながら、車輪のゴムも車軸のサスペンションもない。ひどく揺れているように感じられたが、それは自分がキュリール王国を走る車に慣れてしまっていたのだろうと考えた。

 瑞々しい果物や舶来品と思われる装飾品、伝統工芸品のランプや杖で彩られた商店の連なり、小さな広場で催される吟遊詩人の語り弾きや理髪屋のヘアカットから、熟練の職人による家畜の解体ショーまで、あらゆる賑わいが流れていた。

 それらを見たサイクスは、今まで自分の見てきた世界が夢で、ようやく現実に戻って来たのだと錯覚した。しかし、ノイズ混じりの声に振り向くと、やはり自分の目の前の光景が夢でしかない事を痛感するのだった。


 大陸暦一三五八年、八月二十五日――

 不寝番を買って出たのに居眠りか――サイクスは自身の不覚を、妙に冴えた頭で認識した。振り向くと、壁掛けの時計の針は三の刻限に迫っていた。いつから意識がなかったか定かではないが、場合によっては二刻近く眠っていた事になる。もし、この間に追っ手の接近を許していたら大事だ、慌てて窓の外に目をやろうとした時、他にも起きている者がいる事に気が付いた。


「すまない、私とした事が」

「いや、気にしなくていい。非番を利用して事前に眠っていたとはいえ、疲れもするだろう」

「そうよ。サイクスは私を助けてから、ずっと気を張りっぱなしだったんだから」


 リンダとエリックだった。二人とも、サイクスの居眠りを咎めるような事はなかった。二人とも、それよりも確かめたい事があるような表情だった。天窓から差し込むわずかな月明かりが、兄妹の顔をうっすらと浮かび上がらせている。


「ねぇ、サイクス。あなたは見た夢って覚えてる?」

「いや、普段はあまり覚えていない方だが……今さっき見た夢はどうにも覚えている」

「それってさ、どこかの街中で、馬車に揺られてる夢じゃなかった?」


 リンダの言葉に、サイクスは背筋に冷たいものが走る感触に襲われた。ロッジに着いて鎧を脱いだ時点で、彼女のコピーは解かれているはずだった。エリックに視線を移すと、同様に険しい表情が見える。


「そうだ、記憶にあるような……古い街並みを馬車に揺られている夢だ。まるで、そっちが現実であったかのようだった。自分を呼んだらしい声に振り向いた瞬間、夢だと気付いたがな」

「私とお兄ちゃんは同じ夢を見ていたんだけど、やっぱり馬車の中の夢だった。私の視界には、隣に座るきれいな女の子と、向かいに座る緑髪の男の人がいたわ。その人の事を、兄と呼んだ辺りで目が覚めたんだけど、二人とも顔が黒く塗り潰されていたような感じで、よく見えなかったのを覚えてる」


 リンダとエリックが同じ夢を見ていた、それは彼女とサイクスが同じ夢を見ていたと思われる事から、三人で一つの夢を共有していたと推察される。


「僕の知る限り、あの街並みは大陸暦六〇〇から七〇〇年代、魔法文明時代終期のメーシア大陸だ。舶来品にシージョ大陸のランプや絨毯があった事から、ハーム王国の可能性がある」

「ハーム王国……舶来品……」

「ハーム王国だとしたら、ボートミールかジリボンのどちらかだ。もしかしたら、君の記憶にも何か関係があるかもしれない。それと、夢を共有したのは初めてではないと思う」

「夢……もしかして二人とも、妖精の郷で見たのか? どこかの港で別れる夢を」


 エリックの言葉に、思わずサイクスは記憶を手繰って聞き返した。二人は黙って頷く。


「リンダに聞いたよ。竜王ツアンカに助けられたんだってね。前回の夢の時は、ミュルコ・モースと会った後だった。竜王との接触が、君の記憶に関する封印に干渉していると思うんだ」

「あぁ、後で話そうと思ってたが、ツアンカが先んじて私達を拾い上げて、ここまで運んでくれた」

「しかし、また忙しそうに飛び去ってしまったと。結局、こちらから出向く事に変わりはないんだよね」


 このまま待っていてくれれば、話も早いと思っていたようで、エリックは不満をほのめかした。


「ねぇ、夢に出てくる緑の髪の男の人、これってサイクスの昔の姿なのかな」

「分からない。それと、小柄な娘は髪の色が違っていた。港の時は鳶色で、馬車の中では小麦色だった」

「あと、話をまとめると、僕の視界はリンダの言う『きれいな女の子』だそうだ。これが何を意味するかは分からない」

「生まれ変わりか何かだったりしてね」


 リンダの言葉に、エリックは目を丸くしてサイクスを見た。港で別れる方の夢では、緑の髪の男と美しい娘は共に旅立っている。


「だとしたら、僕の前世がサイクスと何か関わりがあった、という事か?」

「適当に言ってみただけだよ、真に受けないで」


 苦笑い一つで逃れたリンダだったが、エリックの眉間の皺は消えなかった。生まれ変わり、前世という言葉に引っ掛かりを覚えたのだ。少し間を置いて、サイクスも何かに勘付いたようだった。


「エリック、もしかして、ミュルコ・モースとの戦いの時を思い出したのか?」

「あぁ。あの時、僕は君と竜王の間に割って入り、使った事もない術式を使った」

「障壁の術式か。あれは並の魔術師に使えるものではないし、使えた所で大した強度にならない事が多い。あれほどの障壁を張るとなると……」

「静かに」


 突然、カーンの声が割って入った。いつの間にか起きていたらしい。カーテンに指を掛け、わずかな隙間から窓の外を覗き込む。遠くの方で、ちらりと灯りが震えた。溶岩イノシシの眼かと思われたが、数と動きは明らかに統制された人の群れであった。


「リンダ、フィズを中に連れてきてくれ。サイクスは皆を起こして、エリックは荷物をまとめてくれ。俺は罠を仕掛ける」


 カーンの指示に、三人は黙って頷いた。リンダは玄関のドアを音も立てずに開けると、忍び足で繋ぎ場に駆け寄った。フィズは既に目を覚ましており、リンダが軽く撫でてやると、すぐに付き従ってロッジに入ってきた。エリックがまとめた荷物を括り付け、サイクスに起こされた一行が顔を合わせる。


「水一杯とパン一切れ、干し肉二枚だ。歩きながら食ってくれ。裏口から脱出するぞ」


 サイクスは夜明け前の朝食を各々に配る。カーンはドアノブに紐を掛け、手榴弾のピンに繋いで巻き付け固定した。さらに、細い筒の底に釘を入れ、拳銃弾を弾頭が上になるように滑り込ませ、床板の隙間に捻じ込んだ。他にも大小様々なトラップを時間の許す限り仕掛ける。


「急げ、奴らの灯りが大きくなってきた」

「大丈夫、もう動けるわ」


 目をこするローザの背を押しながら、リンダはカーンに応じた。裏口のドアが静かに開かれ、ティットルとメリッサを先頭に、慎重な足取りで外に出る。裏口から登山道までは表側と大した差はない。それだけに、静かにかつ速やかに移動しなければ、追手に見つかる可能性があった。


「敵がドキャンタの傭兵隊なら、犬亜人の追跡班がいるはずだ」

「あのガラの悪い奴らね」

「あぁ、メリッサとローザの実家の店に押し入った奴らだ」


 カーンとリンダのやり取りに、メリッサとローザが驚いたような反応を見せた。恐怖と困惑が入り混じっている。


「大丈夫よローザちゃん。私とカーンでぶちのめしたし、正規軍の人にも見てもらってるから」

「う、うん」


 リンダが握り拳を見せると、ローザは驚きながらも笑みを浮かべたような気がしていた。



「あのロッジから匂いがするのか」

「えぇ、反抗的な奴らの忌々しい臭いです」


 四半刻後、ロッジに到着したのはアロンツォ率いる傭兵隊の一部で、一個小隊に少し加えた数だった。アロンツォを入れて二十五名、リンダ達の三倍である。案の定、脱走者に対する追跡を担っていた犬亜人の班が先陣を切っていた。


「よし、お前達第一班は突入。二班は一班の援護、三班は裏口に周り、四班は周辺警戒だ」


 アロンツォの指示に従い、犬亜人の荒くれ者達が鼻息を一際大きく鳴らしていた。玄関のドアを挟む形で、二人一組で壁に張り付く。声を立てないように指折り数え、息を合わせて同時に頷くと、ドアを蹴破って突入した。玄関に展開し、五人で小銃を方々に向けて広い範囲を警戒する。


「……くそっ、もぬけの殻か?」

「ん、今の音は何だ?」


 柱時計が時を刻む音以外の全てが、暗がりの沈黙に包まれている。小銃を構えたまま、大柄な一人が悪態をつくと、小柄な一人が異音に気付いた。小さな金属片のようなものが、勢いよく木枠などにぶつかった音だった。それが、ドアを勢いよく開けた事で、ドアノブに括り付けられていた紐が引き抜いた、手榴弾の安全ピンの立てた音だと知る者はなかった。


「トラップか!」


 突入させた第一班がドアごと吹き飛んだ光景を目の当たりにして、アロンツォは声を上げた。そして、すぐに二班と三班に突入の指示を出した。一班と二班で追い立て、三班で挟み撃ちにするつもりだったが、人数的に厳しいと判断したためだ。


「他にもトラップがあるかもしれん、注意しろ」

「了解。しかし、こんな真っ暗じゃ……」


 第一班だったものを横目に進む第二班の一人が、ブーツの底越しに硬いものを踏んだ感触に襲われた。それはすぐに痺れるような激痛に変わる。くぐもった炸裂音、別の一人が足の指を一本吹き飛ばされた。悲鳴と共に第二班の動きが止まる。


「なんだ!?」

「筒に釘と銃弾が仕込まれてます。踏んだら釘が銃弾のケツを叩く作りのようですね」

「クソっ、こんな小屋、焼いちまえばいいのによ」

「その方が早くて確実でしょうし、副長に伝えてきます」


 第二班の班長は、トラップで半数近くが動けなくなった様を見て、吐き捨てるように言った。若い傭兵がそれを聞いて、アロンツォの元へと駆け寄った。


「副長、トラップで二人が負傷、足をやられました。班長から火を付ける提案が出ています」

「ふむ、第一班の全滅と第二班の半壊か。よろしい、第三班を下がらせる。第二班にも後退するように」


 アロンツォは若い傭兵の報告に応じると、無線で第三班に後退の指示を出した。流石にロッジ一つで三割近い被害は割に合わないと考えたのだろう。同時に、この狡猾な男の癇に障るところがあったのだろうか、言い捨てたような声色だった。


「それと」


 戻ろうとした若い傭兵を呼び止めた。振り返った若い顔を、掠めるように振り払われたのは、肉厚の刃が特徴的な大振りのナイフだった。右頬から鼻筋に掛けて、鋭く引かれた赤い線から、少し遅れて赤く生温かいものがにじみ出る。


「今の私は副長ではない。大隊長だ。行け」


 アロンツォの言葉を受け、半ば怯えたような顔色の若い傭兵が駆け去ってゆく。暗がりに消えるその背中に、言いようのない高揚感が湧き上がる。少し経ってからロッジに火が付けられ、乾いた木材やカーテンから燃え上がる。


「そうだ、私はこの傭兵隊を受け継いだのだ」


 狐を思わせる目が見開かれ、その瞳に炎と一体化したロッジが映る。窓ガラスが割れ、光と熱を放ち荒れ狂う獣のようにさえ見える炎が、崩れゆくロッジを喰らい尽くす。あの炎はまさしく自分だ、アロンツォは心の奥でつぶやいていた。

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