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第四十四話『ツアンカ激走』

 大陸暦一三五八年、八月二十四日――

 火山都市ツアンカは魔王ルハーラの時代、ドワーフ達が同名の竜王を奉る神殿を建てさせられた際、作業者や監督者達の宿場として作られた事に端を発する。

 黒い鎧の英雄との戦いで神殿は倒壊し、火の竜王ツアンカが降った事で、街は大きく作り変えられた。それでも、マニティ山地の出口からヌンカル火山の登山道までを突っ切る大通りは形を変える事なく残り、いつしかドワーフ通りと呼ばれるようになっていた。

 その歴史ある大通りを、二台の車がヘッドライトで夜の闇を掻き分けるように突っ走っていた。


「司令部の方角から探照灯の明かりを確認。騒ぎが起きてるな」

「リンダとサイクスがうまい事やってくれたって事だ」


 先導するのは四人乗りの四輪車、ルンビーカ350の軍用モデルで、違いは耐弾性の有無だった。拳銃弾でも穴が開く民生品とは異なり、軍用ならば拳銃弾を物ともせず、小銃弾も種類と入射角によっては弾く事が出来る。運転手はエリックで、助手席にソキュラ、上面ハッチの付いた後部座席にはカーンが就いていた。


「後ろは大丈夫でしょうか」

「不安はもっともだが、彼女達を信じるしかないさ」


 ソキュラの問い掛けに、エリックが答えた。

 後続は中型トラック、シュメウ五二年式で、運転手はメリッサ、助手席にはローザが座り、ティットルが荷台で見張りと連絡を担当していた。


「実家の店の手伝いで、仕入れにトラックを乗り回していたと聞いたが、こんなものまで動かせるとはな。私には出来ん芸当だ」


 路面を噛むトラックの振動と流れゆく晩夏の夜風に包まれながら、ティットルは改めて世間の広さを実感していた。

 ふと、耳障りな重低音が聞こえてきた。空気を揺さぶるような、機械的な連続音がエンジンのものである事に気付くと、ティットルは荷台の床を蹴ってふわりと浮き上がった。トラックの速度であれば、離陸に充分過ぎるほどの揚力が得られる。風竜の本領発揮とばかりにトラックの前に出ると、先を行くカーン達の車に追い付いた。


「ティットル、どうした?」

「カーン、聞こえないか? 前方の空からエンジン音だ」

「いや、俺には。しかし、空からという事は……エリック、次の交差点で右に曲がって車を停めろ」


 カーンの強い口調に、エリックは何も問う事なく了解した。カーンがどうこうと言うより、ティットルが直接乗り付けてきた事自体が、既によくない事の前触れであると踏んだのだ。


「あの姉妹の誘導を頼むぞ」

「分かった」


 ティットルは翼を広げて浮き上がると、二台の車の間を保って飛んだ。体ごと翼や尻尾を振って合図し、ついてくるよう誘導した。二台の車は寂れた倉庫の脇で停車し、すぐにヘッドライトを消した。メリッサとローザがトラックから降りて来ては、カーン達に近付いてきた。


「ティットルが空からエンジン音がすると言ってきた。空襲の可能性がある」


 空襲という言葉に、メリッサとローザが一際の警戒を顕わにした。ツアンカ侵攻の初期、南西方向からの空襲にさらされたという。市街地の荒れた建物はそれが原因であり、少なくない犠牲者が出ている。倉庫街の路地から垣間見える夜空を、探照灯の光の帯が振り払われるように通り抜ける。司令部も各所の防空陣地も、まだ空からの敵を認識していない。


「……あれか、俺達にも聞こえてきた」


 カーンが渋い顔で耳をそばだたせ、エリックも黙って頷く。ティットルとソキュラは姉妹を落ち着かせる事にした。何かの拍子に心の傷を掻き回されれば、どうなるか分かったものではない。ティットルが聞いたという重低音は、思いもよらぬ方向から聞こえていた。


「北西、僕達の進行方向からだ」

「ヌンカル火山の方から飛んでくるという事か?」

「下手に動くと狙い撃ちされる可能性もあるが、リンダ達と合流するには通りに出ないとな……」


 困惑するエリックとティットルを尻目に、カーンはトラックから離れて通りに近付いていた。フィズの足音は聞こえて来ない。仮に接近していても、頭上のエンジン音は激しさを増しており、ニダモア一羽の足音などかき消されていた。

 遠くから迫っていた重低音が、頭上を通り過ぎてゆく。探照灯の光がその姿を捉えた。太く長い胴体に、楕円を思わせる主翼、けたたましい音を立てるエンジンは機首と両翼の三基。ほとんど一瞬だったため、機種の特定までは至らなかったものの、腹の底まで震わせるエンジン音の量から、少なくない数の機体がツアンカ司令部を目指していると察せられた。


「三発機であの胴体、少なくとも重攻撃機の類だな」

「詳しい事は分からないけど、折を見て動いた方がいい。ここは倉庫街だ」

「そうだな。別働隊がいてもおかしくない」


 通りから戻ってきたカーンはエリックと共に、車のヘッドライトにスリット入りのカバーを取り付けた。必要最低限の光量を確保しつつ、敵からの視認性を下げるためだ。


「リンダ達は見えたか?」

「いや、分からなかった。どっちにせよ、ヌンカル火山で合流って手筈だ。どこかで先に行ってる可能性もある。俺達も動こう」


 追手を撒いて、ニダモアの足で車の先に行っている可能性は低かったが、下手に立ち止まるとこちらが危険である。車を切り返して、再びドワーフ通りに出た。その時だった。

 腹の底から響く重低音は、空をも切り裂くような轟音に塗り潰された。ツアンカ中心街が赤々と燃え、探照灯が必死に敵機の影を追い掛ける。紺碧の夜空から星々は失せ、地獄の釜と化した街を呑み込む炎に照らされて、死神の影を幾つも浮かび上がらせている。


「何だあれ……あっという間に街が燃えている……」

「そうとう強力な焼夷弾だな。あの火力じゃ、焼かれなくても酸欠で倒れる」

「なんて事だ……」


 バックミラーを見ずとも、背後から迫る死の輝きが、自分達の影を前に向けて伸ばす。灼熱が命を焚べて燃え盛る様に、カーンは不思議と無心で捉えていた。自分が冷淡になったというより、心のどこかが壊れている。十年前に全てを喪った時から、幾度となく繰り返された破壊は、人の心を壊すには充分過ぎた。


「変わらないか、今も昔も」


 カーンの独り言を風に流し、二台の車はドワーフ通りを抜けてツアンカ市街地を後にした。


 ツアンカ市街地を北西に抜けて走る事一刻、ヌンカル火山の山道に差し掛かった辺りのバスロータリーで車を止めた。トラックの荷台から必要な荷物を降ろし、残りは置いていく。


「置いといていいのか?」

「車二台を壊す余裕もないし、ここから先は登山道だ。車では追ってこれない」


 カーンは人数分の携行食と水を詰めた背囊を負い、歩き出した。エリックも薬品や魔晶石が入れられた袋を肩に担ぐ。ソキュラとティットルはこの先に欠かせないため荷物は持たず、メリッサが小銃と手榴弾を携え、ローザが弾薬を受け持った。

 手筈通りであれば、一合目のロッジまでのどこかで合流出来る。夜の登山道は危険も多い。追手に加えて魔王の軍勢は言うまでもなく、野生の動植物や魔物の類、果ては山の天気さえ敵になる事がある。ヌンカル火山は魔王ルハーラの時代、火の竜王ツアンカを奉る神殿が建てられており、今でもそれらの瓦礫が山の至る所に転がっている。登山道の脇に押しのけられた、朽ちた石材を横目に、ペースを保ちながら進んでいた。



「どういうわけか、先に着いてたみたいだな」


 登り始めて一刻、日付が変わって少し経った頃。出くわした若い溶岩イノシシを仕留めた所で、エリックが遠目にロッジを見つけた。夜半過ぎに遠くのロッジを見つけるなど常人には不可能だが、エリックは一定間隔で鷹眼の術式を用いて辺り一帯を見ていた。灯りも無かったが、ロッジ脇の繋ぎ場に脚を畳んで丸くなっているニダモアの姿を認めたのだ。


「早いところ、その溶岩イノシシを滑落させてしまおう」

「皮も肉も使えそうだが、いいのか?」

「血に誘引物質がある。若い個体は群れの斥候を務める事が多いし、溶岩イノシシの群れは仇討ちの習性がある。運が悪ければ、他の奴に見つかるんだ」


 少々焦り気味で早口になるエリックに、カーンは分かった、とだけ返すと、溶岩イノシシの死骸を道の脇から滑落させた。まだ一合目にも満たない高さでも、場所によっては切り立っている。既に車が入れないほどの場所なので、滑落による死亡もあり得なくは無かった。


「詳しいな、エリック」

「以前、先生と一緒にもう少し低い所で出くわして、皮や肉を剥いでたら囲まれてた事がある」

「容易に想像が付くな」


 その名の通り、黒々とした溶岩のような表皮のイノシシは、斜面を転がり落ちてすぐの所で止まった。流れ出る血は僅かな光でも照り返し、やはり流れる溶岩のような色をなしていた。


「命が、流れているのだな」

「仕留めた獲物から何も採らずに、というのは引っ掛かるけど、僕達も急いでいる」

「無意味な死とは思わんさ。今は特にな」


 もの悲しげな声色のティットルに、エリックもまた同様の声で返した。願わくば、誰かの糧にならんことを、一同は口には出さずに心で呟いた。


 それから四半刻ほど歩いて辿り着いたロッジの入口で、見慣れた黒い鎧が佇んでいた。繋ぎ場のフィズは眠っている。警戒心の決して弱くないニダモアがここまで眠りこけているという事は、相応の無理をさせたのだろう。


「サイクス、リンダはどうした?」

「中で寝ている。皆も入るといい。暗いが、体を休めるには充分だ」

「そうだな。エリックとソキュラ、ローザが先に入ってくれ。俺とティットル、メリッサは後からだ。サイクスは最後に頼む」

「分かった」


 一行はカーンの言った順番にロッジに入った。サイクスが周囲を見回してからドアを閉める。

 警戒のため灯りは点けられないが、荷を降ろして銃を起き、登山者向けに用意された毛布に身を預けて横たえる。それだけでも、心身共に幾らか安らぎを得る事が出来た。程なくして、数人分の寝息が立てられる。


「ソキュラとローザも寝たか。まぁ、疲れてたしな。エリックとメリッサも、運転して疲れてるだろ。休んどけ」

「すまない、少ししたら替わるよ」


 たぶん朝まで起きないだろうな、という視線も感じる事なく、エリックも横になるとすぐに寝入ってしまった。メリッサは相変わらず一言も話さないが、小さく頷くと、ローザの近くに座って壁にもたれ掛かる形で眠りについた。


「カーンもティットルも休んでおいてくれ。恐らく、夜明け前に出発する事になる」

「サイクス、お前は大丈夫なのか?」

「私はこういう時は眠れなくなる質でな」


 穏やかな口調で言ったサイクスは、出発までの不寝番を買って出た。ティットルは言われるとすぐに横になった。下手にあれこれ問答すると、それだけ時間と体力の消耗に繋がると判断したためだ。ツアンカから響く遠雷のような音も、今では落ち着いている。敵機の編隊は別の方向へ飛び去ったのか、迫ってくる気配は無かった。


「嫌なものだな、戦というのは」

「そりゃ、な。だが、こいつは……いや、なんでもない」


 カーンは何かを言い掛けては止めると、サイクスに背を向けるようにして横になった。彼は未来から来た、つまりこの先の何かを知っている――そう思いながらも、サイクスは何も問わずに窓の外に顔を向けた。

シュメウ五二年式

キュリール王国製、大陸暦一三五二年に制式採用された中型トラックで、同国陸軍では野戦砲の牽引や弾薬の輸送に用いられている。

五五年には民生モデルも発売され、頑丈さと整備性の良さ、運転のしやすさから大ヒットし、生産が追いつかないほどになった。

ヤノミ大陸やメーシア大陸にも輸出されており、重要な外貨獲得の手段となっている。

しかし、売れ過ぎて中型トラックのシェアをレンストラ大陸各国から奪ってしまい、貿易摩擦を発生させている。

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