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第四十三話『大脱出』

 大陸暦一三五八年、八月二十四日――

 まるで時が止まったかのように、リンダは立ち尽くして固まっていた。薄明かりの明滅に照らされるドキャンタの眉間に、喰い込むように穿たれた親指大の穴と、そこから流れ出る赤い筋が、その命が絶たれている事を物語っていた。駆け寄るべきか下がるべきか、わずかに動かせた足に、硬いものがぶつかる感触があった。リンダがゆっくりと目を向けると、そこにあったのは一丁の拳銃だった。拾い上げて見ると、銃口の先に太い筒のようなものが備え付けられている。


「まさか、この銃で……? でも、銃声がしたら、外の人も気付くはず……」

「そうです、彼はその銃で射殺されました、あなたにね」


 他に誰もいないとばかり思っていたところに、突然後ろから聞こえてくる声、リンダは思わず振り返った。部屋の照明が点き、声の主が顕になる。狡猾を絵に描いたような顔付きの、蛇や狐を思わせる男が立っている。ドキャンタの副官、アロンツォだった。義勇兵に登録した時、一度だけ顔を見た事がある。


「何を言ってるの? 私は今、ここに入ってきたばかりだし、銃声なんてしなかったじゃない」

「そのサイレンサー付きの銃であれば、銃声はかなり抑えられる。警備の兵もあれだけ離してあれば、気付く事も遅れよう」


 一歩踏み出したリンダは、アロンツォの言葉にハッとした。奥まった場所の部屋、妙に距離を置いていた警備兵、そして銃声を小さくする効果のある太い筒。それらが重なった瞬間、彼女の中で一つの答えが出た。


「あなたの仕業ね」

「中々に頭の回転が早い」

「目的は何なの? 自分達の団長を殺して、自分が成り変わる気だったの?」

「それだけではない……が、これ以上は話す必要もないな」


 アロンツォの口調は冷徹で、示し合わせたように入ってきた警備兵に、リンダの拘束を指示した。


「団長を殺した、敵のスパイだ。捕らえろ。抵抗するならば射殺せよ」


 アロンツォの命令を受けた二人の警備兵が、まるで緻密な人形のようになった。向けられた銃口はアロンツォ含めて三つ、拳銃一丁で敵う相手ではなかったが、大人しく捕まる理由もなかった。ほとんど無意識に頭のリボンに触れていた。コピーする相手は――


「陽炎の術式」


 不意に部屋全体の温度が上がり、リンダの姿が誰の目から見てもぼやけ、まっすぐ捉えられなくなった。それを抵抗と受け取った警備兵が発砲するも、銃弾はリンダから大きく外れて壁に突き刺さった。


「くそっ、陽炎か。しかも、この部屋の中では……!」


 陽炎の術式は、周囲の空間の温度を上げる事で、術者を陽炎のようにぼやけさせる術式である。空気が冷える事で効果が切れるのだが、屋外とは異なり、狭い室内で使われれば、冷えるにも時間が掛かる。そして、歪んだ虚像のようにぼやけたリンダが、拾い上げた拳銃を構えている事に気が付いた。


「まずい、こちらも張るか」


 部屋の温度がさらに増し、今度はアロンツォがぼやけた。こうなると、もう戦いにはならない。しかし、リンダが狙っていたのはアロンツォではなかった。くぐもった銃声と共に吐き出された弾が、天井の照明の付け根に喰い込む。部屋に暗闇が戻った。リンダは高温に包まれた部屋から駆け出し、通路に躍り出た。


「まだ、大きな騒ぎにはなっていないはず……!」


 通路を駆け抜け、階段を二段飛ばしで降りる。コピーは解き、拳銃を捨てる。階段から通路に出た時、巡回の兵士と鉢合わせた。服装から見て正規軍、声を掛けようとした矢先、小銃を向けられた。目には生気がない。


「どういう事……!?」


 まだ、アロンツォ達は上の階にいるはずだった。しかし、既に階下にまで影響が及んでいる。リンダは空気が湿り気を帯びている事に気付いた。昼間は晴れており、今も天気は悪くない。後ろから詰め寄ってきた兵士がリンダを押し倒す。うつ伏せに倒れ、押さえ込まれる。ここまでか――向けられた銃口に、諦念が心に垂れ込めた、その時だった。頭上で鈍い音が数回、それから体が軽くなる。押さえ付けていた兵士が打ち倒され、もう一人も昏倒している。手を引いてリンダを立ち上がらせたのは、見慣れた黒い鎧だった。


「大丈夫か?」

「サイクス、来てくれたの?」

「皆、もう動いている。しかし、二人で逃げるのは難しい。ちょっとこっちへ」


 サイクスに手を引かれ、リンダはドアに資料室のプレートが取り付けられた部屋に連れ込まれた。鍵はないが内開きなので、近くにあった机や椅子を閂代わりにする。奥まで来たところで、サイクスが言った。


「リンダ、私と一つになるんだ」


 突然の言葉に、リンダは呆気に取られた。つい先程まで、そういった危機にはあったが、改めて仲間からもそんな事を言われるとは――


「な、何を言ってるの、こんな時に。そもそも、あなたにあるの? 一つになるためのモノが」

「落ち着け、私が君にじゃない。君が私の鎧をまとう。君が私の中に入るんだ」


 焦燥から不明瞭な言葉を口走るリンダに、サイクスは冷静に答えて落ち着かせた。状況が状況だけに、平常心とまではいかずとも、頭に血が上りっぱなしというわけではなくなっていた。


「でも、どうやって? こんなの打ち合わせでは聞いてなかったし、私は鎧の着方は分からないよ」

「そこは心配ない。私自身が分解と組み立てを自力で行える。最後に兜を被る時だけ、手伝って貰えればいい」


 そう言うと、サイクスは兜を外してリンダに手渡した。大きさの割には重く、それでも人の頭よりは軽い。バイザーの奥は裏地ではなく、虚空のような暗闇が広がっている。しかし、その暗闇に霊的な冷たさは感じない。むしろ、命ある者の温かみさえ感じられた。

 サイクスが呪文を一つ唱えると、首から下の鎧が音を立てて崩れた。そして、手と足の先から鎧の部品がリンダの体を覆い始めたのだ。下腕に篭手、足先から脛当て、上腕に大腿と覆っては鎖帷子を羽織り、胴当てと腰と肩、首元まで守る鎧の形を成す。


「重くはないか?」

「たぶん大丈夫。鎧はサイクスが動かすんでしょ?」

「そうだ。だが、中で君がぶつかって怪我をする可能性もある。私をコピーし、シンクロしてくれ」

「分かったわ」


 兜を小脇に抱え、リンダは頭のリボンに触れた。そして、慣れた手付きで兜を被る。虚空のような闇はサイクスの魂のようなものだった。金属板の塊のような外観とは裏腹に、内側にも簡素だが厚手の布張りが施されていた。髪を巻き込まないようにするためではなく、衝撃を和らげるためである。

 ふと、リンダは自分の身長がサイクスと大差ない事に気が付いた。人間は時代を追うにつれて大きくなっていると聞いた事があるが、改めて実感すると複雑なものだった。逆に考えると、カーンは小柄なのかもしれない。

 そんなリンダの思考を遮るかのように、ドアを激しく叩く音が聞こえてきた。アロンツォが捲し立てる声もする。小銃の銃床、体当たり、音が大きく重くなってくる。次あたりで椅子でも机でも叩き付けられると思ったところで、サイクスが言った。


「よし、行くぞ。窓から出よう」

「窓から?」

「突風の術式を使ってくれ。魔晶石はある」

「分かったわ」


 リンダとサイクスは資料室の奥の窓に向かって走り、腕を顔の前で組んで飛び込んだ。派手な音を立ててガラスと木枠が砕け、夜の闇に黒い鎧が躍り出る。三階の窓から飛び出したのである。そのまま地面に叩き付けられれば、サイクスはともかくリンダは助からない。


「な、何これ」


 落下の瞬間であるにも関わらず、リンダを襲ったのは浮遊感だった。そして、同時に幻覚を見た。同じような夏の夜、誰かに抱きかかえられて、細工の施された手すりから飛び降りている。その先の地面には青々とした草が、月の光に照らされている。この真下は舗装路のはずだった――


「今だ!」


 サイクスの声に、リンダは幻覚から覚めたのか否か分からないまま、突き出されている手の先から突風の術式を行使した。強烈な風が巻き起こり、落下速度がゼロになる。受け身を取って立ち上がり、走り出した。目的の場所は畜舎である。三棟の真ん中、奥から二番目、そこにフィズがいる。アロンツォの息が掛かった者が追跡してくるまで、まだ時間はあった。司令部に使われている役場の階段は、入口から少し奥まった場所にある。一番近い出口を選んでも、充分に距離が稼げた。

 役場の敷地を出た辺りで、サイレンが鳴って探照灯が夜空を照らした。


「分かっていたけど、大騒ぎね」

「スパイによる司令部の侵入と指揮官暗殺、大急ぎで軍の上層部が集まってくるだろう。急ぐぞ」


 全力疾走すると体力の減りが早いので、少し速めの長距離走スタイルで走る。リンダはエール村で鍛えられた足腰で、それなりに体力はあったので、ペースを落とす事なく畜舎まで辿り着けた。見張りの兵を当て身で眠らせ、目的の場所まで駆け込む。


「フィズ!」


 他のニダモアと同様、鳴り響くサイレンの音でそわそわしていたフィズの元へ駆け寄る。サイクスの鎧からリンダの声がした事で、一時は面食らった反応を見せたが、兜のバイザーを上げて顔を見せる事で落ち着かせた。金細工の短剣を抜き、鍵を壊して戸を開けた。


「ちょっと重いけど、頑張って」

「ニダモアは荷役のほか、騎乗にも用いられる。背中の骨が広く偏平なので、鞍も要らない。心配ないさ」


 目に映る者が一人で、二人分の声がする事にも不審がったが、首元を撫でてやる事で警戒を解かせた。サイクスはフィズを、荷物を乗せる時のように座らせると、慣れた動きで肩の辺りに跨った。サイクスの言うように、人間の肩甲骨にあたる骨が、腿を安定させる。フィズが立ち上がっても、手綱さえ握っていれば落とされる事はなさそうだった。


「このまま、ヌンカル火山まで行くぞ」

「分かったわ」


 サイクスがフィズの横腹を軽く蹴った。左手に手綱を取り、右手には金細工の短剣が握られている。畜舎を飛び出して道路に出た頃には、司令部の方から小銃を抱えた兵が繰り出して来ていた。傭兵も正規兵も義勇兵も混ざっており、しかも隊伍を成していない。


「催眠の類だな。リンダ、目をつむれ」

「え、うん」


 何人かの兵がこちらを見つけて駆け付け、小銃を構えようとしたところに、サイクスは魔光弾の術式を連弾で撃ち込んだ。殺傷力のない光と音の炸裂が辺りを覆い、常人ならば少しの間は身動きが取れなくなる。催眠を受けていると思われる兵が相手でも、逃げるに充分な時間を稼ぐ事が出来た。

 よろけながら立ち上がった兵の前からサイクス達は既に消えており、暗闇の中に遠ざかるニダモアの足音と鎧の擦れる音だけが残っていた。



「……すみません、取り逃がしました」


 司令部から少し離れた、傭兵隊の宿舎に使われているホテルのロビー、屋内噴水の前にアロンツォはいた。大量の水を必要とする術式陣があるためだ。周囲の者は催眠で、自分の行動に疑問を抱かないようにしている。


「えぇ、そちらの方は片付けました。手筈通り、アーカルからの攻撃隊が来るはずです」


 水鏡を用いた通信には、多大な量の水と魔力が必要になる。並の人間や魔晶石の量では到底行えない。アロンツォだからこそ出来るのだ。


「……はい、分かりました。ヌンカル火山にて合流します」


 通信を終え、水鏡をただの噴水の水に戻すと、アロンツォはロビーで警備にあたっている傭兵達を集めた。ドキャンタ傭兵隊において、特別に動かす裁量を与えられた親衛隊のような存在である。


「これより、我々はヌンカル火山へ向かう。狩りの時間だ」


 細目で狡猾なアロンツォの顔が、まさに醜い狐のように歪んだ。

水鏡の通信魔術

魔法文明時代の記録でもほとんど残されておらず、形式的な名称さえはっきりしない魔術。

離れた場所にいる者同士が、各々の場所で一定量の水をもって水鏡を形成し、互いに重ねる事で顔を見ながら対話する。

人間の魔術師や一般的な量の魔晶石では起動さえままならず、主にこの魔術を用いる事が出来たのは、魔法使いや竜、一部の魔族といった高い知性と魔力を有する者である。

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