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第三話『帰ってきた男』

 大陸暦一三五八年、七月二十日――

 リンダが暴漢に襲われてから三日、エール村に漂う気配は研ぎ澄まされた刃のようであり、人々の視線は不審者に対する猜疑の念に満ち溢れていた。村を経由する一日二便の島内巡回バスから人が降りてくるだけで、その警戒心は煽られる。護身用に拳銃やナイフ、山刀の類いでも持ち歩かねば安心出来ない状態だったが、いつそれらが抜かれて血生臭い乱闘になるか、誰も気が気でなかった。


「……なるほど。それで、僕はバスから降りるなり、抜き身の山刀を向けられたわけだ」


 憮然とした態度で足を組み、駐在所の椅子に腰掛けているのは、若い男だった。エリック・ルビィ。リンダの兄であり、考古学者の補佐としてキュリール王国内外の遺跡を研究している。島南西部のラキーテ砂丘にて発見された遺跡のフィールドワークに半月ほど行っていて、エール村に帰ってきた矢先の事だった。


「すまねぇ、犯人は厚手のコートを着た奴だって聞いてたから……」

「厚手のコートか、その色に関する情報はないのか?」

「いや、とにかく、厚手のコートと深めの帽子で、姿形がよく分からねぇって話だ」


 エリックは唸るように小さく息を吐くと、自分を襲ってきた男を見やった。何の変哲もない村人の服に、それに似合いの使い込まれた山刀。護身用に持ち歩いていたが、警戒心の余り、バスから降りるエリックを見て興奮し抜いてしまったとの事だった。


「まぁ、幸い被害者が出なかったので、この件はこれでお開きにしましょう」

「分かった。今後は許可無く武器を持ち歩かないように呼び掛けよう」


 傍らで調書を録っていた警官に声を掛ける。男は顔写真を撮られて氏名と住所を記録され、山刀は没収となった。逮捕や勾留に至らなかっただけ御の字というものであった。肩を落とした男が駐在所を去ってから、エリックは警官に向き直った。


「ところで、妹は今どちらに?」

「家に帰すのは危ないと判断されて、傭兵に護衛を任せて施療院に保護されてる」

「分かりました、ありがとうございます」


 駐在所を出たエリックは、真っ先にコートを脱いで肩に担いだ。国家認定の調査員を示す黒いコートが、まさか襲われる目印になるとは心外だった。エリックは思わずため息を吐き出した。


「さて、施療院か……南西部行きの次のバスは半刻後か」


 幸い、村の巡回バスはさほど待たずに乗れそうだった。夏本番とはいえ、エール村は避暑地として隠れたスポットになっている。乾いた気候も相まって、汗でシャツが貼り付くような不快感はない。しかし、生まれつき日光が苦手なエリックにとって、コートを脱いで陽の光に曝されるのは、汗に濡れるよりも辛い事だった。



 バスを降りて少し歩き、エリックが施療院に到着したのは、十四の刻限を少し回った頃だった。受付にて面会の手続きを済ませると、二階の個室へと向かった。通路の奥、扉の前に似つかわしくない人物がいるので、すぐに分かった。


「お久し振りです」

「リンダは中にいるよ。会ってやりな」


 仕事用の装備に身を包んだマリーに言われて、エリックは部屋の前に立った。ドアノブに手を掛けた瞬間、言いようのない重さを感じた。暴漢に襲われたという情報だけで、どのような目に遭わされたかまでは聞いていない。暴行を受けている可能性もある、確証もないのに跳ね上がる心拍数を感じながら、エリックはゆっくりとドアを開けた。


「……リンダ、無事か?」


 ベッドから上体を起こし、窓の外に視線を送る妹の後ろ姿に、エリックは心臓を鷲掴みにされたような気分になった。何も考えられないほどに呆けて、ただただ外の景色を見る事しか出来なくなったのか、返事一つ寄越さず、自分が入ってきた事にも気付いてないようだった。


「済まない、仕事ですぐに帰ってくる事が出来なかった」


 エリックは言い訳じみた言葉しか出ない自分を内心で呪った。何かあったとて、すぐに動ける仕事でないことは事実だが、それでも無力感を覚えずにはいられなかった。リンダは応じない。間の悪い沈黙が横たわり、木々のざわめきと鳥の声が過ぎていった。


「……あれ、お兄ちゃん?」

「あぁ、戻ったよ」

「ごめん、なんかボーッとしちゃって……」

「話は聞いたよ。あんな事があれば、何も考えられなくなるのも無理はない」


 ゆっくりと振り向いたリンダの表情は、恐怖が通り過ぎた後の呆然とした色を帯びていた。言葉は無かったが、それは沈黙というより静寂であった。しばらくして、リンダの目に涙が浮かんできた。恐怖、悔しさ、そして安堵。複雑に絡み合う感情の起伏が彼女の心を大きく揺さぶり、抑えきれなくなったものが両の眼から溢れ出ていたのだ。エリックは何も言わず、妹を抱き寄せて静かに眼を閉じた。


「……あのジェリム野郎、今度会ったらぶち殺してやる」


 嗚咽から慟哭になったリンダの嘆きをドア越しに聞いたマリーは、誰もいない真正面に銃口を向けた。



 明く、七月二十一日――

 リンダは三日ぶりに自宅のベッドで目を覚ました。あれからエリックと共に家に帰り、兄に守られながら一夜を過ごした。六の刻限、日は既に昇っていた。


「なんだろう、すごい解放感」


 施療院ではなく自宅のベッドであるという事もあったが、寝る時に何も着なくていいという事の方が大きかった。幼い頃から、素肌をシーツが包み込む感触が好きだった。流石に施療院ではそうもいかない。窓から射し込む柔らかな光を受けて、しばし心地よさそうに佇んでいたが、通り掛かったエリックにワンピースを投げつけられて現実に引き戻された。


「お兄ちゃん、今日はどんな仕事するの?」

「僕のやる事はそこまで多くない。ニプモスに戻った博士が写真を現像してからが本番だ」


 揺らめき立ち昇る湯気は香ばしく、エリックの淹れたコーヒーが食卓に並ぶ。父から受け継いだ愛用のミルで挽いたコーヒー豆は、不思議と鼻をくすぐる香りが立つ。焼き上がった厚手のトーストに、一欠片のバターがゆっくりと溶け出す。久しぶりの、兄妹の朝食だった。


「リンダ、お前はどうするんだ?」

「マークスさんの店はしばらく休みだし、私も狙われてるしで、あんまり外には出られないかな」

「そうか。なら、少し手伝ってくれるか? この前の遺跡調査で色々あってね」

「うん、いいよ。私に出来る事なら言って」


 夏の陽射しを受けた食卓で、二人だけの時間が過ぎてゆく。エリックはフィールドワークでの出来事を話し、リンダは先日の王都ジョーギンまでの小さな冒険について語った。


「それにしても、気になるな。この季節は波も高くないし、ニプモスとミツカッソの航路に大海獣の生息域は確認されていない」

「そうみたいね。マリーさん達が帰ってくる時の船も、時化や怪物騒ぎとかは無かったって言ってたし」


 エリックも、件の貨物船の荷崩れが気になるようだった。小包や手荷物が落ちる程度なら珍しくもないが、樽のビールが少なくない数の損壊を被るなど、余程の事がないと発生しない。リンダとエリックは、砂まみれになった鞄や調査道具を裏庭に広げて点検しながら、そんな事を話していた。


「ごめん下さい、ルビィさん」


 客が来ても良いように、玄関から裏庭までまっすぐ開け放たれた家を通して、よく通る声が聞こえてきた。あまり聞き慣れない、若い男の声だった。時計を横目で見やると、十一の刻限に差し掛かっている。この時間、若い男は働きに出ているのがエール村の常だった。


「待て、僕が出よう」

「お願い、お兄ちゃん」


 リンダの身の安全を考え、エリックが応対した。家を尋ねた若い犬亜人の男は、シャツの胸ポケットから警察手帳を見せてきた。確かに、働きに出ている若い男だった。若い警察官の後ろには、同様に警察手帳を携えた中年の男が立っている。王都ジョーギンから泊り掛けでやって来た刑事だった。


「ジョーギンから来ました、王立警察刑事課のジャック・キスウィーです」

「同じく、ダニエル・ロックです。こちらはリンダ・ルビィさんのお宅で間違いないですか?」

「えぇ、妹は後ろに。私はリンダの兄、エリックです」


 二人の刑事は中年の方がキスウィー、若手の方がロックである。エリックは万一に備えてリンダを玄関の奥に下がらせていたが、来訪者が刑事と分かると、言われる前に歩み寄ってきた。不安の色を瞳に残すリンダの顔を見て、キスウィーが貫禄のある厳つい顔をいくらか和らげた。


「君がリンダだね、お嬢さん。君が襲われた事件に関して、いくつか話を聞きたい。現場までご同行願えるかね」

「現場……マークスさんのお店ですね」

「そうだ。写真と照らし合わせながら、その時の状況を思い出して欲しい。お兄さんも来てもらえるか?」

「えぇ、大丈夫です。私からも気になる点がありますし」


 リンダとエリックはキスウィー達のパトカーに乗り込んだ。エール村の駐在が乗っているようなルンビーカ社製の軽自動車ではなく、モノゲア共和国製の乗用車をベースにした一級品で、乗り心地も速さも段違いだった。まさに、王都を駆け回るエリートに相応しい。信号待ちもなく、一息つく程度で車は『マークスの呑み処』の前に着いた。


「おう、リンダ。無事だったか」

「施療院でも面会謝絶で、心配したのよ」

「ごめんなさい、マークスさんにウィノアさん。駐在さんが、何が起きるか分からないから、出来るだけ人と会わない方が良いって」


 数日ぶりに顔を合わせたリンダに対し、マークスは店が休業を余儀なくされている事など意に介さずといった風情だった。店の中を見渡すと、リンダを襲った者が割った窓に簡単な補修が行われており、テーブルの上にあった占い道具は片付けられていた。


「さて、お嬢さん。襲われた時に何があったか、思い出して貰えるかね」

「はい、私が前日の宴会後の片付けと掃除をしている時、帽子を目深に被った、厚手のコートの男がやってきて、そこのテーブルで占いを始めたんです」


 リンダの言葉はたどたどしく、声色はどこかか細い。ロックも心配そうな目付きになるも、キスウィーの眼光は鋭かった。


「その時の占いというのは、これだね」

「はい、私にも分からない類いの」


 キスウィーが見せた写真には、リンダを襲った男が広げていた占い道具の様子がはっきりと写し出されていた。天文図のような敷布に、幾つかの石が置かれている。微妙な濃淡の具合から、様々な色の石が使われているらしかった。誰も、その占いに関しての知識はなかった。


「カードでもコインでも水晶玉でもない。国によっては顔や手のひらを見るなんてのもあるが、それでもない……」

「……その占い、もしかして、魔石星占術では?」


 写真を覗き込んだエリックが言った。その場の全ての視線が彼に集まる。ロックは目を細め、エリックに対して疑惑に近い眼差しをも向けていた。しかし、襲撃者は人間ではない。


「知っているのかね」

「えぇ。星占術、いわゆる星詠みによって吉凶を占うというものがあるのですが、これを昼間でも行えるよう、天文図に魔石を置いて星の代わりにするというものです。僕も知っているだけで、これが何を意味するのかまでは分かりません。ただ……」

「ただ、何だね」

「このやり方が主に使われていたのは、大陸暦五〇〇年代なんです」


 エリックの言葉に、辺りは水を打ったように静まり返った。

エール村の施設と区画

エール村は東部、南西部、北西部の三区画に分かれている。


南西部はエール鉱山での作業に従事する工員のため、最初に開拓された区画であり、役場や施療院に商店街、酒場や賭場、警察署が設けられた。


東部は幹線道路からの入り口に当たり、郊外の居住区画としての意味合いが強い。酒場や雑貨屋、駐在所が設けられた。


北西部は農業区画であり、村の農業従事者の多くが働いている。丘陵地に作られた段々畑で栽培されるレモンはエール村の名産品。


各区画は舗装路で繋がれており、主要な交通手段は車によるところが大きい。

巡回バスは村民の足として親しまれている。

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