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第三十六話『湿る夜に迫るもの』

 大陸暦一三五八年、八月十七日――

 時は少し遡る。

 港湾都市ニプモスを紺碧に染める夜の帳に、下弦に差し掛かった月が南の頂を跨ごうとしていた。晩夏の星空は月明かりを受けた灰白色の雲に覆われて見えず、辺りは草の匂いが鼻孔にへばり付くほどの湿り気に包まれていた。


「こりゃ、一雨来そうだね」

「こういう夜は、特に注意が必要だな」

「どうする、私達も交替で夜警でもする?」


 マリーの提案に、ゴードンは静かに頷いた。


「そういう事でしたら、私も手伝いましょう」

「それはありがたいけど、一介の義勇兵に任せるには難があるわ」


 見張りを買って出たのは、先日グリンクパースからやって来たという義勇兵の老人だった。名をリカルドといった記憶があった。鮮やかな羽の色が特徴的な鳥亜人で、かなりの高齢に見えるのだが、思った以上に堅牢な足腰から、実年齢を掴めない何かがある。


「このリカルド・ガーヴィネー、老いてはおりますが健脚と夜目には自信がございます。お役に立ちましょう」

「そうね……分かったわ。私と一緒に来て。あなたはここで待機。ニ刻したら戻るわ」

「分かった」


 マリーとリカルドは小銃を担いで夜警に出た。雲はあるが風はなく、波の音も聞こえない。港から歩いて四半刻ほど離れた距離のホテルを兵舎代わりに使っている。フロントで衛兵に呼び止められるも、顔と身分証を見せれば概ねパス出来る。傭兵としてのレイアッド姓は一つの銘柄であり、マリーはそれに相応しいだけの腕前を備えていた。


「マリー、こんな時間に何をしている?」

「お互い様じゃない?」


 夜警に繰り出して間もなく、港を見下ろせる高台の麓に近付いた時、聞き覚えのある声を掛けられた。ゲルハルトだった。護衛は三人で、それぞれが小銃、短機関銃、狙撃銃を携えている。


「考える事は同じか」

「嫌に静かなくせに、空気の重い夜だからね、何かある気がするのよ」

「ここ数日、妙な噂も耳にする」

「噂ねぇ。あんた程の傭兵が気にするなんて、どんな噂よ?」


 不確かな情報を好まない、堅実な性格のゲルハルトが噂話を真に受けて動くとは考えにくく、マリーは思わず尋ねた。


「近年はマンスィスの数が増える傾向にある、以前にニプモスを襲った水竜は竜王のソキュラで、残党がいつ襲ってくるか分からない、月の見えない夜が危ない……こんな所だ」

「マンスィスの大発生による襲撃事件は二、三十年に一度と言われているし、確かにそんな頃合いね」

「おまけに、こんな天気だ。今は匂いを感じやすいが、雨でも降れば敵に有利だ」

「なるほどね、確かにこの空気はちょっと気になる。ここ最近は天気が良かったのに、急な曇りだもの」


 夏ともなれば、積乱雲の一つや二つ、不自然な話ではない。しかし、どのような状況が自分達の生死に関わるか分からない以上、天気一つも油断は出来なかった。歴戦の傭兵達が真剣な面持ちで話している少し後ろで、リカルドは口許に小さく笑みを浮かべていた。

 余人の耳にはほとんど入らないほどの音量で、妖精の羽音が耳朶を打つ。蜂の音に朝露のリズム、リカルドはそれを理解すると、小さく右手を上げた。そして、上げた手を不自然のないように目の上にかざし、遠くを見るような仕草で海に目を向けた。来たか、リカルドが小さくつぶやくと、港の方角で轟音と火柱が打ち上がった。


「なんだ!?」

「港の方からよ!」


 ゲルハルトとマリーはほぼ同時に双眼鏡を取り出し、覗き込んだ。紺碧に塗り潰されていた夜空に、炎の赤と熱と光の黄色が溶け出し滲む。明らかに不自然な傾き方をした軍艦のシルエットが、レンズ越しに飛び込んできた。


「あれは……」

「マストとブリッジの形からして、パヨイラ級フリゲートだわ。あの傾きは……燃料か弾薬に魚雷か何かを喰らった?」

「事故による爆発も考えられるが、攻撃を受けたのなら当たり所が悪かったと見える」


 キュリール海軍主力のパヨイラ級は、タスパ海軍のアテンデール級のライセンス生産で建造されたフリゲート艦である。ゲルハルトもその事は知っていたため、どこに攻撃を受けたら致命傷になるかは把握していた。


「一度戻ろう。恐らく司令部は混乱しているはずだ」

「一番危ないのは、素人の義勇兵がどう動くかよ」


 マリーからすれば、義勇兵は戦力ではなく、ただの頭数だった。どれだけ浅くとも、最低限の軍歴があれば、動揺をある程度は抑える事が出来る。しかし、集められただけの素人がひとたび混乱に陥れば、それはもはや軍とも呼べない烏合の衆であった。


「仮に、あれが敵襲ならば、まだ海からここまで来るのに時間が掛かる。守りを固める時間はあるだろう」

「どれだけがまともに動けるか、分からないけどね……!」


 ゲルハルトと三人の護衛、マリーとリカルドは、兵舎へ向けて駆け出した。敵はまだ来ていないと踏んで、急ぐ事を優先して周辺警戒は行わず、一気に駆け抜ける。表通りから離れた、小さな交差点に差し掛かった時、リカルドの視線が海側に向いた。


「伏せろ!」


 リカルドが叫ぶ。ちょうど交差点を渡っていたマリーの視界に、銃火の明滅が飛び込んできた。機関銃の類ではない。単発式の小銃を複数人が一斉に撃ちかけて来た光だった。マリーの右肩辺りから、赤いものが弾けた。撃たれたという感触と共に足が止まる。幸い、被弾は一発だけだった。


「マリー!」

「私が担ぎます!」

「分かった。マリーの救出を援護しろ!」


 建物の角を遮蔽物に、銃撃戦が始まった。ゲルハルト達は努めて冷静に引き金を引くが、胸の内は動揺していた。仮に港から攻めてくるとしても、展開が早すぎる。まるで、事前に潜伏でもしていたかのようだった。狙撃銃を携えていた猫亜人の傭兵は、距離が近過ぎるので護身用の拳銃を発砲している。


「数は多いが、この撃ち方は何だ?」

「中隊長、自分が上から援護します」

「よし、分かった。こいつを投げるから、爆発に合わせて飛べ」


 ゲルハルトが手榴弾のピンを抜き、手元で軽く上下させてから投げる。爆発のタイミングを合わせ、投げ返されるのを防ぐためだ。破片を撒き散らす防御手榴弾の炸裂に合わせて、短機関銃を携えた鷹亜人が飛び上がった。訓練された猛禽の亜人は、足の指さえ手のように扱えるという。上からの機銃掃射は当たらなくても、牽制としては非常に大きな効果がある。リカルドはマリーを背負って交差点を渡りきった。


「よし、後退だ。もう一発投げ込んでおけ」

「了解ッ」


 下がり際に、再び手榴弾が敵に投げ込まれる。反撃の銃火は散発的なもので、逃げる相手を負うほどの力はなかった。



「マリー、ゲイリー、無事か!」

「すまない、ドジったよ」

「彼女はこちらの救護班に任せる」


 ゴードンが完全武装で出迎え、マリーはゲルハルトの中隊に所属する救護班に引き渡された。恰幅のいい彼女を支えるには、二人で両肩を担いでも少し足りなそうに見える。そんなマリーをリカルドは担ぎ、ゲルハルト達と共に走ってきたのだ。


「リカルドといったな。あなたは何者だ? 単なる義勇兵ではあるまい」

「……隠し通せる相手ではないと見た」


 怪訝な視線を向けたゲルハルトに対し、リカルドは鋭い目付きになって答えた。卑屈ささえ感じさせる腰の低さは何処かへと去り、火花さえ散りそうな煌めきを放っている。ただの老人ではない、息を飲んだゲルハルトの沈黙を、空の裂ける音が突き破った。


「伏せろッ!」


 目を見開いたゲルハルトの叫びと、ホテルに直撃した砲弾の炸裂は、ほとんど同時だった。


「どこだ、どこから撃ってきた!」

「艦砲か!?」


 ホテルは海から離れておらず、日によっては波の音が聞こえるほどである。どんな小型の艦砲でも、沿岸に付ければ十分に狙える距離だった。一万という非正規兵を収容するには、兵舎を市内各地に設ける他なく、そのうちの一つがマリー達のいるホテルだった。降り注ぐ破片とガラスから身を守りながら、フロント近くまで駆け付けると、右も左も分からないといった風情の義勇兵達が、蜘蛛の子を散らすように飛び出てきた。


「まずい、ほとんどの奴が丸腰だぞ」

「隊伍を乱すな、敵に備えろ!」


 三々五々に駆け出す義勇兵に危機感を覚えるゴードンとは対照的に、ゲルハルトは努めて冷静に振舞っていた。しばらくすると、先々の暗闇から銃声と悲鳴が聞こえてくる。


「港で艦が爆発してから、攻めてくるまでが早過ぎる。潜伏されていたのか」

「恐らくな。ゴードン、来るぞ」


 後退している暇はない。ゲルハルトの二個小隊はホテルのフロント前の大きな噴水の縁に機関銃を構え、塹壕の代わりとした。鳥亜人の兵に担がれ、フロント前の屋根の上に、狙撃銃を携えた猫亜人の兵が陣取る。


「司令部に伝令をお願いしたい。ニプモスプラザホテル正面にて交戦中。砲撃を受け義勇兵が散逸、キヤスキー傭兵隊とレイアッド夫妻で抑えている。負傷者あり、敵戦力不明。以上だ」

「了解ッ」


 フロントで守衛に当たっていた兵士二人がバイクに乗り込み、司令部に向けて走り出した。ホテルの敷地は正門以外にも、非常口として裏門から道路に出る事が出来る。包囲されていなければ、脱出する事は容易だった。


「足音からして、こちらの三倍はいるでしょうな」

「分かるのか」

「えぇ、距離もだいぶ近付いている。あと十を数えたら、照明弾を撃ち込んで勝負に出ましょうか」

「やはり、あなたは只者ではないな……」


 リカルドの読みは正確だった。ホテル前の照明を落としたというのに、敵の数と距離を推察している。ゲルハルトの目は誤魔化せなかった。すると、二人の間に恰幅のいい身体が滑り込んで来る。右肩に包帯を巻き、右腕を吊ったマリーだった。左手でも扱いやすいよう、腰のベルトに手榴弾を備えている。自慢の二丁拳銃は使えないものの、片手でも戦えるとばかりに息巻いていた。


「マリー、お前……」

「こんな所でへばってたら、リンダちゃんに申し訳ないからね」

「リンダ?」


 マリーの言葉に、リカルドは思わず反応した。


「マリーさん、あんたリンダを知って……」

「撃て!」


 ゲルハルトが指示を飛ばす。照明弾が敵の集団に撃ち込まれ、炸裂と共にまばゆい光で辺りを包み込む。照らされたのは、強烈な光に目がくらんで足の止まったマンスィスの集団だった。噴水に陣取った機関銃が銃火を噴き、大口径弾を立て続けに射出する。キヤスキー傭兵隊の運用指針では、機関銃は歩兵一個小隊に一挺とされている。今回は予備部品を含めて三挺分の機関銃を持ち込んでいた。


「噂は本当だったのか。連中のあの銃……なるほど、あんな旧式の単発銃なら、つるべ撃ちするしかないという事か」

「港町の猫は魚を好むというが、どうだ?」

「あいにく、私は山猫なのでな。あんな下手物は口に合わんさ」


 ゴードンの狙撃がマンスィスの眉間を割る。ゲルハルトの投げた手榴弾が低い弾道で足下に転がり、炎を巻き上げながら炸裂する。焼いても不味そうね、マリーは右肩の痛みも忘れて微笑んでみせた。体を噴水の縁に合わせて固定し、拳銃でも狙いを付けて撃つ。距離があるので連射よりも狙った方が良い。


「初手はこちらが有利だが、相手は数が多いと見た。問題は……やはりか」


 ゲルハルト率いる傭兵達の奮戦により、三倍以上の相手を足止めしている。共に狙いを定め、引き金を絞りながらも、リカルドは次の一手をどう対処するか思案していた。

パヨイラ級フリゲート

駆逐艦ですら貴重とされる、キュリール王国海軍の主力戦闘艦。

小口径単装砲を前後に一基ずつ、大口径の三連装機関銃の銃塔を両弦側面に二基ずつ備える。最大の武器は近距離用の対潜爆雷で、数隻で一斉に投射すれば、潜水艦に逃げる術はないと言われている。コンパクトな船体に積めるだけの武装を積み込んでいるという印象を与える。

元々はメーシア大陸タスパ王国海軍にて主力とされてきたアテンデール級フリゲートで、一番艦アテンデールを生産ライセンスと共に売却した。

その後、アテンデールはパヨイラと改名、二番艦ヨイロッホ、三番艦オシトー、四番艦ロストングが建造された。

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