第三十四話『要注意人物』
大陸暦一三五八年、八月十五日――
リンダ達が義勇兵に志願して三日が経った。
聞くところによると、現在は東部の港湾都市ニプモスに志願者を集め、ある程度の訓練と編成を行ってから西部の主要都市に送るのだという。先日、その過程を飛ばして直接ツアンカに来た志願者は、リンダ達を含めて四〇名だった。その半数は兵士や傭兵の経験があり、即戦力として編成されたが、残りは素人と判断されたため、各々の技量に応じた後方の仕事につく事となった。
「……で、この前に来た四人組がいなくなっていた、と」
「そのようです。追手を出しますか?」
「まだ何もせず、戦力外以前の問題ではあるが、捨て置くわけにもいくまい。犬亜人の猟兵隊を出しておけ」
「はっ」
義勇兵を指揮下に置く傭兵大隊の一つを束ねる、カイン・E・ドキャンタは副官アロンツォからの報告を受け、専門の部隊を出すよう指示した。来たばかりで訓練も編成もままならぬ素人とはいえ、義勇兵として登録された以上は、立派な脱走兵である。戦時下にあるツアンカにて、その存在は士気に大きく関わる問題であった。
「前にも同じような事があったな」
「はっ」
「ちょっと下の連中が緩んでいるのではないかな」
「では、一つ引き締めに向かいますか」
アロンツォからの返事に、ドキャンタは無言で頷いた。しかし、時計が指すのは十二の刻限。ちょうど昼飯時だった。半分ほどに減った葉巻を灰皿に押し付け、ゆっくりと腰を上げた。
司令部の食堂は戦いがなくても忙しく、常に戦場のようなものだった。人でも入りそうな大鍋が幾つも並び、それを一斉に煮込むのだから溢れる熱は尋常ではない。積まれた豚肉に人の頭ほどあるキャベツの山。パンは何個あっても足りず、窯の火が消える事などほとんどなかった。さらに、守備につく兵士は交替制のため、人が絶える事がない。そんな厨房で、リンダは戦いの渦中にあった。
「昼飯の時間だ、気合い入れるぞ!」
料理長は厨房の主であり、言うなれば前線指揮官だった。十二から十四の刻限は、交替で訓練や前線の兵士が入り乱れるため、最も忙しい時間帯になる。その慌ただしさを回避出来るのは、正規軍の将校くらいだった。
「……まったく、相変わらず混んでるな」
「人数が人数です、ツアンカはこれで済んでますが、今頃ニプモスやジョーギンはもっと大変でしょう」
ドキャンタの愚痴に、アロンツォが返す。ニプモスには二万の兵が集まっていると聞く。ジョーギンは十万を超える避難民が流入しているとの事なので、贅沢は言ってられなかった。トレーを手に料理を待つ列に並んでいると、一際気立ての良い娘の姿が目に入った。
「いい娘がいるな。民間人か?」
「いえ、先日志願した義勇兵だったかと」
含みのある言い回しに、この副官はまた悪い癖が出たと思いながらも、さして言う事はなかった。何かあれば、おこぼれに預かる事くらいは出来るだろうと、いつもの調子で考えていた。皿に乗った豚肉は、よく火が通っており、艷やかな脂の照り返しさえ見える。ドキャンタは、その艶に厨房で見た娘の姿を重ねていた。
「豊穣神の思し召しかな」
その視線に気付かぬ娘、リンダを悪意が狙っていた。
夕刻、基礎訓練を終えたカーンとティットルはひどく疲れた様子で、兵舎代わりに使われている、街角の小さなホテルのロビーの片隅にいた。
「この前に来たばかりの奴が三日で脱走とな」
「何があったか知らんが、追手が出るわ話が長いわで大変だったな」
ルビィ隊で戦闘員として扱われるのはカーンとティットルの二人で、昼食過ぎの訓練が始まって早々、傭兵大隊の総員が一堂に集められ、大隊長ドキャンタの一刻半に渡る説教の餌食となった。
「災難だったな、新入り達」
二人に声を掛けてきたのは、軍服姿の兎亜人だった。
「あんたは……」
「待った」
カーンが応じた瞬間、兎亜人の右手から仕込んでいたかのような折り畳み式のロッドが伸び、カーンの右腕を軽く打った。呆気に取られつつも気付いたカーンが、慌てて様になっていない敬礼を返す。ティットルは既に型になっていた。
「一応な。君達は兵卒待遇だから、どんな奴が来ても対応出来るようにした方がいい」
「すいません、気を付けます」
「うむ。私は義勇兵相手にそこまで気にはしないが、うるさい奴はいるからな」
軽く注意を促されながらも、二人は兎亜人を一瞥した。戦時のため、階級章は簡易の物しか付けていないが、黒地に金線ニ本と星が一つ。垂れた耳に生成り色の毛は、どこか見覚えがある。
「母から君達の事は知らされている。アルヴィン・リカンパ少佐だ。よろしく」
「母……リカンパという事は、カリエ殿の」
「あぁ。明らかに風変わりな連中が来るだろうから、目を光らせておけと。本当に風変わりだよ」
アルヴィンと名乗った将校はからからと笑うと、人が変わったように真剣な目付きになった。この切り替えと怜悧な視線、それに違わぬ知性が備わっている。
「生憎だが、君達は厄介な隊に組み込まれてしまった」
「あの傭兵隊長の事ですか」
「そうだ。ドキャンタ隊長は過去に正規軍にも籍を置いていてな。その頃からの実績を買われて大隊長の任に就いている」
カーンはピンと来た。元軍人で大隊規模の人間を動かせるだけの能力を持ちながら、傭兵に身を置いている意味を、何となく察したのだ。その様子を見て、アルヴィンは黙って頷く。
「カーン、どういう事だ」
「訳あり札付き曰く付き、ってところだ」
「直接的に言う事がはばかられるので伏せるが、今朝に脱走が判明した四人の義勇兵、半分が人間の若い女性との事だ。君達も気を付けるように」
アルヴィンの言葉に、カーンは顔をしかめた。彼が兵士ならばやっていい反応では決してないが、反射的にそういう顔になる。アルヴィンが踵を返して去った後、ティットルがカーンの脇腹を肘で小突いた。
「カーン、どういう事か分からん。説明を頼む」
「分かった、どうせ晩飯の後は時間がある。その時にでも話そう」
鈍いというより、人と竜との違いによるものだろう。あるいは、ティットルがひどく察しの悪い性分なのかもしれない。カーンはやれやれ、とばかりに時計を見ては夕食の時間を待った。
ルビィ隊が一堂に集まる事が出来たのは、二十の刻限を回った辺りだった。リンダとエリック、ソキュラの忙しさが一段落するまで、どうしても時間が掛かってしまう。エリックは治癒などの術式が使えるため、ソキュラは水の魔術が使えるため、二人して衛生兵の補佐となった。ちなみに、サイクスがどこで何をしているのかは誰も知らなかった。
「……というのが、カリエの婆さんの息子さんから聞いた、俺達の上に立つ大隊長の大雑把な人物像だ」
「好色ですぐに手を出す、か。なるほど分からん」
「ティットルはともかく、リンダは気を付けてくれ。今の状況で大事になっても、表立って味方になれる者は少ない」
「私はともかくとは何だ」
カーンやエリックの言葉に、ティットルが眉間に皺を寄せる。人間が亜人や妖精に対して好意を抱く事は珍しくないが、劣情となると話は別である。相応に変わり者、場合によっては気狂いと見なされる事も少なくなかった。亜人でもそのレベルなので、竜の類ともなれば相当な者という見方はわけない事だった。
「どうも釈然としないな……ソキュラ、君も竜族だろう。人間とは色々と異なる、そうだろう」
「えっ」
「待った、ソキュラはまだ子供だ。いくらなんでもそんな突っ込んだ話にはついていけないだろう」
話を振られたソキュラが呆気に取られたような声を返し、カーンが応じる。しかし、当の本人は少し考える仕草をした後、さして驚いてもないような口ぶりになっていた。
「水竜と風竜は貞操の観念や周囲の種族の繁殖能力が異なるので、一概には言えませんが……水竜の一族は、百歳までに一度は他者と交わるとされています。成熟かどうかは関係ありません。ちなみに、僕は水竜の郷を出る前に済ませておきました」
ソキュラの言葉に、一同が凍り付いた。水竜の百歳とは、人間に換算すると十歳前後である。ソキュラが郷を出る前となると、少なくとも十年以上前、人間で言うなら五、六歳の幼児という事になる。ティットルは開いた口が塞がらないといった風情だった。
「血縁や性別も問われませんね。むしろ、体を交える事で心を許し、結びつきを強めるという考えです。兄妹の中でも、特に次女ラニャと四男ピコーダの双子の姉弟が」
「もういい、やめてくれ」
ティットルが泣きそうになっていた。エリックは頭を抱え、カーンは目元を押さえている。リンダは今ひとつ状況がつかめないのか、サイクスに訊いている始末だ。自分が狙われている、狙われやすいという自覚もほとんどないと見てよい。間の悪い沈黙が重くのしかかっていた。文化や概念のズレは、こういう時に思わぬショックをもたらす事を、幼いソキュラはまだよく知らなかった。
「……とりあえず、今日はもう休むとしよう。皆、各々の仕事や訓練で疲れているだろうし」
見かねたサイクスに促され、如何ともしがたい空気のまま、お開きとなった。街角のホテルは部屋の規模も相応で、本来の定員の倍近い人数が押し込まれる形で使われていた。シングルベッドが二つ置かれた部屋は三人での使用が求められ、ベッドを動かして横並びに繋げて対処していた。部屋割りはエリック、カーン、サイクスとリンダ、ティットル、ソキュラとで分かれている。
「それじゃあ、おやすみ、リンダ」
「お兄ちゃん達も、おやすみ」
エリック達が部屋を後にする。扉の閉まる音を確認すると、リンダは何の前触れもなしに服を脱ぎ払い、下着一枚になった。妖精の郷から同行して一旬、もう二人とも驚かなかった。心身共に磨り減ってはいるが、若さで補われた肢体の瑞々しさは器量の良さと相まって、彼女の魅力となって溢れている。
「……よし、今日は私も脱いで寝よう」
「無理に張り合わなくてもいいですよ」
淡白な口調で横槍を入れたソキュラの頭を、ティットルは軽く平手で打った。
消灯は二十二の刻限だが、民間人上がりの義勇兵は既に多くが眠りに就いている。まだ半刻ほど残っているからと、カーンが持ち込んだ荷物の中から酒瓶とグラスを取り出した。
「エリック、まだちょっとだけ時間あるし、付き合うか」
「一杯だけなら。サイクスはどうする?」
「……私は強くないのでな」
「そりゃ初耳だな」
サイクスはほとんど無意識、反射的に答えていた。封印が解かれてから、酒の席に誘われるのは初めてだった。昔の記憶が蘇っているのか、それとも今の自分がそう自認しているのか、区別が付かなかった。ショットグラスの半分ほどまで注がれた蒸留酒は、明るく澄んだ褐色に揺らめいている。
「見た事がない色だな」
「ニバラク・ヴィケだね。ハーム王国北部のニバラク地方で摂れた麦を原料にしてるとか。ナーウィン湖から流れる良質な水が、良い酒を作るんだ」
「ニバラク……」
エリックの説明に、サイクスは懐かしい響きを覚えた。魔王の呪いに縛られてはいるものの、記憶の糸を手繰り寄せる事は出来る。そのためには、出来る事はすべてやっておく必要がある、黒い鎧の英雄はほのかな香りに誘われるようにして、眠りに落ちていた。
ニバラク・ヴィケ
大陸暦九〇〇年代、蒸気文明時代のハーム王国にて、魔法技術の継承と再興を目指す魔術師の一派が、ニバラク地方の水に目を付けた。
ニバラク地方の良質な水源であるナーウィン湖は狩人の森と呼ばれる広大な森の中にあり、蒸気機関主体の文明圏とは一線を画していた。
石炭の乏しいニバラク地方では、未だ魔法文明時代の装置が多く用いられており、安価な魔晶石で稼動する大規模蒸留器もその一つだった。
魔術師達の秘薬作りの一環で発展した高品質な蒸留器は、やがて麦を原料とした蒸留酒の品質向上に繋がった。
狩人の森の木材から作られた樽は蒸留酒の保管に最適で、結果として前文明の生んだ奇跡の酒として人気を博した。
なお、一〇〇〇年ごろには蒸留器の技術向上により、完全に魔法技術は廃されている。




