第二十話『狩るか狩られるか』
大陸暦一三五八年、八月二日――
精霊の森にてリンダ達を取り囲んだのは、十二匹にも及ぶ魔物であった。
三匹の多肉カマキリが、鎌というより斧に近い前脚を振り上げてにじり寄る。大型のカマキリが薬効性のある多肉植物の性質を持つようになったのか、あるいはその逆なのか定かではないが、人間が不用意に出遭って良い存在ではない。肉厚の前脚による斬撃も脅威だが、全身を防御するための棘も同様であった。
「出来れば一匹だけでも、鮮度を維持したまま仕留めたい所だね」
「なるほど、多肉カマキリは貴重な薬が採れるからな」
カリエのぼやきに、カーンが相槌を打つ。彼が元いた時代では、多肉カマキリの身は薬効性を有する上に水分も多量に含むため、食糧としても薬としても重宝されていた。一匹分の身で、少なくとも三日は困らないだけの水と食糧を融通して貰える。常々、余裕があれば狙っている相手だった。
「しかし、岩切りウサギが厄介だな。コイツがいるって事は、装甲コガネも近いだろう」
「装甲コガネかぁ、あれ見つけた時の駆除が大変なのよね。硬いし」
カーンは右方向から突進のタイミングを計る岩切りウサギを見ていた。この凶暴な巨大ウサギが岩切りなどと呼ばれる所以は、その前歯にある。硬い前歯で装甲コガネの外殻を砕いてを捕食しているうち、体内に蓄積される金属物質を歯に回す事で、より強固な前歯を形成するのだと言う。その装甲コガネはこの時代では単なる害虫に過ぎず、駆除の対象でしかない。しかし、強固な外殻に悩まされる者も少なくなかった。リンダも家庭菜園で出くわした時は、手斧でもって駆除するほどであった。
「エリック君、星空アゲハの鱗粉には気を付けたまえ。飛ぶぞ」
「先生が言うと、妙に説得力がありますね」
左側面から囲うように舞い降りてきた星空アゲハに対し、ニールが警戒を促した。翅の模様で視覚的に惑わすだけでなく、撒き散らされる鱗粉に含まれる幻覚成分が鼻の粘膜を通じて血液に溶け込むのだという。この毒蝶により狂わされると、ほとんどの人間は助からないという。
「奴の差し金……というわけではなさそうだな。来るぞ」
「ニダモアをやられないようにするんだよ」
サイクスが金細工の短剣を構えたまま、にじり寄る多肉カマキリに相対する。狩りは仕掛けるタイミングが成否の分かれ目となる。逃げられても、返り討ちにあってもいけない。肉食性の魔物を相手に、睨み合いが続いた。隙を突いて先手必勝か、誘い込んで叩くか、両者とも数が揃っているだけに、見極めが付かなかった。ふと、カーンが視線を魔物達から外す。それを好機と踏んだ多肉カマキリの一匹が前脚を振り上げた。
「掛かったな」
多肉カマキリは大柄ながら、前脚を振り上げてから降ろすまでの速さは普通のカマキリと大差ない。斧状に発達した前脚の一撃は、素人が避ける事は難しい。その上、直撃を避けても棘に引っ掛けられる事さえある。抱き込むように振るわれた前脚は宙を切り、カーンの体は振り上げた瞬間に無防備になっていた胴体に滑り込んでいた。
「多肉カマキリの弱点はここだ、覚えとけよ」
リンダに見せるように言い放ったカーンのナイフは、逆手に握られて多肉カマキリ胸部の正中線上に突き立てられた。強固な外骨格の隙間があり、その奥に心臓に当たる部位がある。通常サイズの昆虫と異なり、人間ほどの大きさになれば、循環器も似たような構造になるらしい。そして、突き刺したらすぐに引き抜いて離れる。昆虫ゆえ痛覚がなく、死ぬまで暴れるのだという。
「分かったわ、やってみる」
リンダは意識して、カーンの技を真似てみせた。前の戦いでは無意識状態に陥っており、目を覚ました時はひどい筋肉痛に襲われていた。技術を写す事は出来ても、身体能力は変わらないのだ。片やカーンは荒廃した未来で狩りや警護に走り回る戦闘のプロ、片やリンダは力仕事こそあるものの酒場で働く娘である。踏み込みの速さが足りず、多肉カマキリの前脚の未来位置と交差していた。
「まずい、当たる!」
カーンが踏み出そうとした瞬間、後方からの一閃が多肉カマキリの頭を吹き飛ばした。正確無比な狙撃は、ニールの拳銃によるものだった。鈍い黄金色に輝く合金製の銃で、蒸気が噴き出すような発砲音が特徴的だった。
「慌ててはいけないよ、お嬢さん。カーン君の技術は経験により培われたものだ。才能だけでどうにか出来るものではない」
頭を失いながらも、昆虫である以上は動ける。多肉カマキリが前脚を振り上げ、力任せに振り下ろした。しかし、その相手はカーンが胸部にナイフを突き立てた個体であり、視覚も平衡感覚も失われていた。
「おや、星空アゲハの翅が波打っている。エリック君、君の術式でどこまで出来るかね」
「先生はまたそうやって……」
エリックの見据える先に、星空アゲハの名に相応しい、紺碧に白い斑模様が浮かぶ翅が波打っている。厳密には動いているように見えるだけで、羽ばたき以外の動きはない。既に幻惑は始まっているのだ。これが進むと、見ている者は翅の夜空に月が昇ったり、流星が迫ってくる幻覚に襲われ、狂ってしまうのだという。
「目を閉じれば幻覚は抑えられるんだろうけど、そんな事をすれば岩切りウサギの前歯の餌食か。だったら、幻惑には幻惑だ。陽炎の術式!」
エリックが突き出した手のひらから、むせ返るような熱波が放出された。直接相手を火傷させるような熱ではないが、高温に弱い昆虫である星空アゲハの感覚器官は、獲物の正確な位置を見失っていた。毒蝶の群れには、エリックの像が歪んで浮かび上がっているように感じられる。鱗粉も翅を揺らめかせる幻惑も、すべては浮かび上がったエリックの虚像に向けられていた。
「陽炎で惑わすか。なかなかいい。後は私が仕留めよう。炸裂火の術式!」
ニールの拳銃から放たれた炸裂火は、幻惑を得意としながら逆に惑わされ、ふらふらと漂うばかりとなった星空アゲハのど真ん中で爆ぜ、周囲を高熱と閃光で染め上げた。
「さて、これで残りは多肉カマキリ一匹と、岩切りウサギが……おや」
右側面からにじり寄っていた岩切りウサギが、いなくなっていた。道から外れた茂みが揺れる。狩りの成功の見込みがないと踏んで、早々に引き上げてしまったらしい。元より、岩切りウサギは昆虫食を含む雑食で、肉食の性質はそこまで強くない。その上、遥かに大柄のニダモア、フィズがどっしりと構えていては、足元に噛み付く隙さえ見出だせなかったのだ。
「賢明な判断だな」
岩切りウサギを追わず、サイクスが言った。食糧には困っていなかったし、仮に要したとしても、森の茂みに隠れたウサギを追うような事はしない。一歩踏み込んだその先が、手に負えないレベルの捕食者の巣窟である可能性があるからだ。
最後に残った多肉カマキリの一匹が、前脚を振り上げる。狙いを定めたのはカリエだった。攻撃に失敗していたとはいえ、リンダも武器を構えている。案内役として先導しているカリエは恰好の獲物に見えた。
「お婆ちゃん!」
「婆さん!」
残る二匹を始末していたリンダとカーンが叫ぶ。揉み合いながらも前脚の鎌を振り回す多肉カマキリは、放置しておくには危険な存在だった。エリックとニールが振り向くも、間に合わない距離だった。
次の瞬間、降り下ろされていた前脚の鎌が二本とも宙を舞った。そして、噛み付かんとして開かれた口に刃を叩き込むと、そのまま振り上げて顔面を真っ二つに切り開いたのである。
「やれやれ、こんなものかい。そっちはどうだい?」
カリエが右手の得物を払う。多肉カマキリの体液が叩き付けられた飛沫となって地面を濡らす。そして、先の取れた杖を拾い上げては刃を納めた。
「仕込み杖とはな。こっちは俺とリンダでなんとか片付けた」
「こちらも問題ありません。僕と先生で」
「岩切りウサギの群れは不利を察して逃げていったよ。進もうか」
「ちょっと待った。せっかくだし、多肉カマキリの脚を少し頂戴しようか」
サイクスは前進を促したが、カリエは思い出したように、多肉カマキリの死骸から、まだ鮮度を保っている脚を何本か切り離した。関節の内側の隙間に刃を突き立て、逆関節を決めるように曲げると、枝でも折るような音と共に脚が外れる。
「はっはっは、蟹みたいなものだね」
「ニール、あんたなら凍らせられるだろ。手伝いな」
「一本分けてくれるならね」
「自分で引っこ抜きな。その辺にまだ使える奴がいる」
ニールとカリエのやり取りは、年季を感じさせる。熟年夫婦のような気配さえあったが、カリエには普通に子や孫がおり、ニールにとっては現代の女など全て小娘に見えている。積み重ねられた歴史に心身を捧げた――悪く言えば狂っている――この学者にとってのいい女とは、太古のロマンを帯びた虚像の中にしかいないのだ。
「それじゃあ、まとめて凍らせてしまおう。凍結の術式」
ニールの拳銃は、実弾の他に魔法弾も撃てる仕様らしく、吐き出された圧縮冷気の弾は、束ねられた多肉カマキリの脚に着弾すると、渦巻く冷気と化してそれらを凍り付かせた。その余波は凄まじく、空気中の水分さえ微細な氷と化してパラパラと舞い散った。
「はい、フィズ。ちょっと重いけど頑張って。街に戻ったら降ろしてあげるから」
半分ずつに分けて、フィズの鞍に括り付ける。重量の増加に驚く仕草を見せたフィズが頭を下ろすと、リンダは優しく撫でてやり、励ました。森に入ってそろそろ三刻、一行はもう少しだけ、先に進む事にした。
一刻ほど歩いた。森に入ったのが八と半刻なので、現在はおおよそ十二と半刻になる。一行は少し開けた広場に出た。
「わぁ、精霊の森の奥に、こんな広場があるなんて」
「誰かの作業場のようにも見えるけど……先生、これは一体?」
光の粒となった精霊達が好き勝手に漂い、暗がりの森に神秘の光を宿す。テーブル代わりに使われていると思わしき大樹の切り株は、長い年月を経て深い褐色に染まりながらも、艷やかな光沢を放っている。初めて見る光景にリンダは感激し、エリックも感動を隠せない。しかし、カーンは警戒の色を強め、サイクスとカリエは表情が険しい。ニールは羽を逆立てるフィズを一撫ですると、リンダ達より少し前に歩を進めた。
「ここは妖精の村、その入口の広場だよ」
「竜王に会うなら、ここからが正念場さ」
ニールとカリエの言葉に、リンダとエリックも遅れて危機感を覚える。精霊達が動きを止めた。光の粒はその場にとどまり、森の広場は薄暗さと肌寒さに覆われた。そして、一陣の風が枝葉を揺さぶり、矢のような速さで一行の前に振り降りて来た。
「門番より、報告は受けている。我が名はティットル・ソグ、竜王ミュルコ・モースに仕える騎士である」
ティットルと名乗った騎士は、翡翠のような色の鱗に覆われた、人に近い竜の姿をしていた。丸みを帯びながらも整ったシルエットは雀蛾を思わせる。リンダ達を一瞥した騎士は、腰の剣を抜き放つと、一直線に飛び込んで来た。
その目標は、ニールだった。
多肉カマキリ
多肉植物に似た構造体を持つ巨大カマキリで、硬い表皮を鋭い棘で守っている。キュリール島を含むヤノミ大陸域に多く棲息しており、地域によって体内の保水性や成分が異なる。
キュリール島の個体は主に薬用成分を含んでおり、火傷に聞く上に鎮痛作用もあるため、重宝されている。




